新・名力士データ

新パラメータ版

1昭和の大横綱 2平成の大横綱 3強豪横綱(昭和前半) 4強豪横綱(昭和後半〜平成)


.強豪横綱【昭和後半/平成】編

玉の海 北の富士 輪島 曙   武蔵丸 

大横綱とは呼ばれないが、見事な実績を残して一時代を担ったA級横綱たち。
最強力士の座にあった際の力は、大横綱にひけを取らない。

本章では、昭和後半から平成の強豪横綱を取り上げる。
昭和前半の4人が大横綱と並んで名前が挙がる名横綱なのに対し、
こちらは大横綱とは明らかに差があり、マイナス要素もあって総合的には劣るものの、
他の横綱からは実績、存在感で抜きん出ている。

基本データ 四股名(最盛期のもの)、横綱代数、出身地、所属、参考年号(最盛期)
取り口:相撲の取り方を独自の分類で表記(⇒相撲解体新書のページ参照)
型   :得意とする形(一例)  得意技:公式のものに近い表記で
体格 :身長は1cm刻み、体重は5kg刻みで掲載前後の平均的なもの、体格分類は解体新書参照
パラメータ

持ち技リスト

特性

体格:スケール、重量など体格面の総合値
力 :馬力、腕力、小力などパワーに関する総合値
足腰:バランス、踏ん張り、柔軟性など総合的な下半身の強さ
速 :スプリント力、アジリティ、レスポンスなどスピードに関する総合値
技 :相撲勘、技の鋭さ、タイミングなど技能に関する総合値
離 :突き、押し、引きなど離れて取った時の技量
組 :四つに組み合った時の技量
SA
BCDEFG(原則15〜1、0.5刻み)でパラメータ表示
それぞれに下位項目を設けているが、それ以外の要素も加味して計上している。
持ち技リスト
は、数字がレベル(低1<7高)、英字が頻度(多a>e少)を表す。
決め技、崩し技は便宜上分けているが、それほど厳密に分類しているわけではない。
(技名の前に左右がついていない場合は、どちらもある、または特に差がない場合。)
特性
は、:精神面・癖、ジンクス、その他の特徴など
       :技量面、技リストで表しづらいテクニックなど
      :体格・体力面、ケガなど

詳細は、<データ解説ver2.1>を参照
S:15.5〜14.5 A:14〜13 B12.5〜11.0 C10.5〜9.5 D9〜8 E7.5〜6.5 F6〜4.5 G 4〜

解説 略歴・後世の評価・実績・引退後/取り口解説・パラメータの評価とスキルの解説・現代との比較
/
四股名・締め込みについて

       玉の海  51 愛知出身 片男波部屋   昭和45  
取り口:本格型 型:右差し左上手 得意手:寄り,吊り 177cm/130kg 平均中肉

C10.0  9.5
<決め技>
右四つ寄り6a

吊り   6b

左四つ寄り4b

上手投げ 5c

突っ張り  4b

上手出投げ3b

両前褌寄り4c

打っ棄り 3d

内掛け  4c

右下手投げ4c

 

<崩し技>

引きつけ6b

右腕返し4b

まわし切り4c

吊り寄り3c

外掛け 4c

横吊り 4b

極め  3c

上手ひねり3c

切り返し 3d

首投げ 2d

<立合>

右差し  3b

モロ手突き3c

のどわ  3c

カチ上げ  2c

ぶちかまし2d

かっぱじき2d

ccb

c変化e
<心>

強行

安定感

スタ-ト○

息切れ

勝負弱い

 

<技>

上手相撲

外四つ〇

後の先

一枚廻し〇

足癖

吊り合い〇

 

<体>

足腰柔軟

肩幅広い

二枚腰

腰重い

怪我〇

重心低い

スタミナ〇

勇み足

11.0
B12.5 馬力 12.0
怪力 12.5

A13.5 安定 13.5
粘り 13.5
C10.5 出足 10.5
敏捷 10.5
B12.0 技巧 10.5
キレ 12.5
C10.5 10.5
10.5
10.0
A14.0 13.0
13.0
14.5
★略歴  玉乃島(新入幕場所まで玉乃嶋)の四股名で順調に出世し、入門5年で入幕。40年1月には新三役。この場所から部屋別総当りとなり、初日いきなり実現した本家の大横綱大鵬戦。見事内掛けで破り、一躍その名を上げた。さらにその後1年で金星4つを挙げるなど、大物食いとして人気を得たが、まだ体も小さく、一度は上位から跳ね返された。しかし41年1月、8枚目に落ちると地力を発揮、柏戸との争いに敗れるが13勝で自信をつけると、関脇に戻って10,9,11勝。3場所連続の三賞を得る活躍で、大関を勝ち取った。大関1年目は二桁にも届かず停滞したが、43年に入ると体も厚みを増し、連続12勝。5月、初優勝を飾って横審諮問まで行ったが、惜しくも否決。その後は復調した大鵬の牙城を崩せずにいたが、44年9月に2度目の優勝。11月は10勝に終わるも、翌場所北の富士との決定戦に持ち込むと、実力が評価されて連続優勝のライバルと横綱同時昇進となった。直前の成績ではかなり甘いが、前年も昇進目前だった実績と「北玉」への期待感が綱をもたらした。

 昇進を機に「玉の海」に改め、4場所目に横綱初優勝を飾ると、以降1年は平均14勝と驚異的な成績。大鵬、北の富士とのハイレベルな争いが続いたが、北の富士はムラがあり、大鵬は46年の5月でついに引退。7月、初めての全勝優勝を果たした玉の海の安定ぶりに一歩抜け出す期待が高まった。ところが、無理が祟って9月は12勝に終わると、10月、延ばしに延ばしていた虫垂炎の手術から肺血栓を生じ、27歳にしてあっけなくこの世を去った。

★評価  これから「北玉時代」を盛り上げ、さらに「双葉の再来」の域に達しようとしていた矢先の悲劇を惜しむ声は多い。タラればになってしまうが、昇進後の勝率は抜群。北の富士よりも2歳若く、あと3年でも綱を張っていれば、優勝回数も二桁に乗せるくらいでは終わらなかっただろう。優勝回数だけでいうと強豪横綱に挙げた中では最も少ないが、強豪と呼ぶことに異論を唱える人はいないだろう。

★実績  優勝は6回。準優勝は同点2回を含む12回と、柏鵬、佐田の山や北の富士に勝負所で敗れて好機を逸している。上位戦のなかった若浪に逃げ切られる不運もあった。横綱在位は10場所だが、130勝20敗の超高勝率。晩年期がなかったことはあるが、昭和以降双葉山に次ぐ記録だ。年間最多勝は大関時代を含め2度ある。全勝こそ1度だけだが、在位中の安定感たるや記録上も特筆すべきもので、連続4場所14勝以上は2位タイ。連続6場所13勝以上は6位タイ、連続12勝以上も6位タイの7場所で継続中だった。

★引退後  横綱の現役死は、大師匠に当たる玉錦以来で昭和以降2人だけ。直前場所には連続勝ち越し記録を更新し、前記録保持者の玉錦の名前が挙がったばかりだった。しかも、いずれも難病ではなく虫垂炎をこじらせる事故のような死因なのも奇妙な話だ。健在であれば、昭和50年ごろまでは綱を張り、片男波部屋を継承したか、或いは新たな部屋を旗揚げしたか。3代に受け継がれる片男波系統も、花籠の系統に負けないくらいの繁栄を迎えていたかもしれない。

★取り口   突っ張りも得意としたが、右四つの型を磨いて本格化。強烈な引き付け、吊り身で前に持っていく迫力のある横綱相撲。上手を取れば左四つでも盤石。力強い上手投げも武器と、外四つでも力で小手投げ、首投げに振り飛ばすこともあった。捻ったり、廻しを切ったりする技術にも優れていた。通算決まり手数では吊り出しが寄り切りに迫り、貴ノ花、陸奥嵐、若浪といった吊り名人との相性は抜群だった。

★パラメータ・スキル  総合値11.9。双葉に寄り身は及ばずも投げは互角、強靭な腰の強さが生み出す吊りは史上最高とも評される。柔道出身らしく外掛け、内掛けもキレていた。体の割に肩幅もあって上手相撲のため、ワキは堅い方ではなく、ケンカ四つの北の富士らとの取り組みでも大抵相手十分に渡り合っている。それでも四つに組めば十分勝機ありと左四つでも応戦するあたり、天性の横綱相撲の素質。取りこぼしの少ないタイプで、毎場所のようにストレートで勝越し。大関時代は上位戦で失速が目立ったが、克服した。大関以降の勇み足3敗はご愛敬。

★現代との比較   体格はちょうど双葉山と同じくらいで、現代から見れば小兵。当時としても平均以下だったが本格的な四つ相撲で頂点に立った。マイナスとなるのが、大鵬との対戦成績。初顔からしばらくは苦しめたが、大関時代にかけて16連敗を喫するなど、体格で勝る万能型の四つ相撲相手に歯が立たなかった。現代ならば体格的不利はさらに大きくなる。高見山は圧倒しているが、近年の体格のよい本格派四つ相撲の外国勢に対し、がっぷりでどこまで通じるか。長身で四つの技能も高い白鵬と、右の相四つとなってどう戦うか。 

★四股名   「玉の海」は昭和に入り3人目だが、それぞれ最終の四股名が「ノ」「乃」「の」と異なるので区別しやすい。初代、二代とも二所ノ関部屋の関脇。初代は玉錦から二所ノ関を二枚鑑札として継承、のち解説者となる。平幕優勝もした二代の内弟子として入門し、騒動の末に片男波部屋を興した際に同行した。大関時代まで名乗った玉乃島は、平成に入って復活した。四代目の誕生も期待したいが、片男波部屋はついに弟子不足で存亡の危機にある。旧名の玉乃島だが、安芸乃島、豊ノ島といったズングリ体型の力士が続いているのは偶然だろうか。戦災死した関脇豊嶋あたりからその系譜が見受けられる。

★締め込み  カラー映像の残る時代の草分け。紺色の締め込み姿が本格派らしい。

その他   二所一門初の不知火型の土俵入り。吉葉山以来途絶えていた型を復活させたが、短命のジンクスの端緒となった。派手すぎないが、足が高く伸びる四股が美しい。


    北の富士 52 北海道出身 九重部屋 昭和46  
取り口:スピード型 型:左差し右上手/突張り 得意手:寄り,投げ,外掛 185cm/135kg 均整筋肉

B11.0 11.0
<決め技>
左四つ寄り5b

右上手投げ5c

外掛け  5b

上突っ張り5a

はたき  5b

モロ手突き4b

のどわ  5c

吊り寄り  3c

首投げ  3c

下手投げ 3c

<崩し技>
左腕返し5d

肩透かし 4c

モロ差寄り3c

小手投げ 2d

張り手 2d

引きつけ3b

掬い投げ3c

引き落とし3c

うっちゃり2d

上手出投げ2d

 

<立合>

カチ上げ4a

モロ手突き4c

張差し 2d

左差し 4c

右上手  3d

かっぱじき3d

肩透かし  3d

いなし  3d

dbc

b変化d
<心>

現代っ子

勝負強い

速攻

掛技多用

連敗癖

ムラッ気

番付運○

調整×

人気

<技>

出足早

まわりこみ

黄金の引足

左堅い

被さり

 

<体>

足腰硬い

腰高

かばい手

カタフン

 

 

 

 9.5
B11.0 馬力 11.5
怪力 10.0

C10.0 安定 10.0
粘り  9.5
B12.5 出足 13.0
敏捷 12.0
B12.0 技巧 10.5
キレ 12.5
A13.0 13.0
12.0
13.5
B12.0 12.5
12.0
12.5
★略歴   入門当初は香車とあだ名されるほどの線の細さで出世は早くなかったが、6年かけて十両昇進。15戦全勝を記録して38年11月入幕。いきなり13勝して敢闘賞。2場所目にして三役。さすがに家賃が高く跳ね返されたが、すぐに三賞・三役の常連となった。三役では10勝が最高だったが、大鵬への善戦ぶりが評価され、直前3場所28勝ながら本人もびっくりの大関の使者が来た。42年3月、この場所から出羽海から移籍したことで実現した兄弟子・横綱佐田の山との取り直しの一番を制して初優勝。ところが、翌場所から連続負け越しでカド番に追い込まれるなど不安定で、2年余りは平凡な成績で停滞した。大鵬の一人横綱となった44年後半からようやく力を発揮し始め、44年11月に2年半ぶりの優勝。横審では「全会一致で」否決されたが、45年1月場所では屈辱を晴らす連続優勝。決定戦を戦った玉乃島と同時に横綱に昇進した。

 北玉時代と期待された昇進前後は優勝4回、準優勝2回と充実。その後11勝が4場所続いてイレブン横綱と揶揄され、玉の海有利に傾くが、46年5月初の全勝優勝。翌場所は玉の海が全勝に対して8勝と大暴落するも、9月は再び全勝とV字回復。遂に大鵬も引退し、名実ともに北玉時代が到来するはずだったが、玉の海の急死で突然一人横綱となった。翌場所は責任を果たして8度目の優勝を飾るが、やはり馬群に揉まれて力を発揮するタイプ。ライバルを失って気力を削がれたか、その後は高血圧や不眠症という変な理由で途中休場したり、休場中にハワイで発見されたりとお騒がせも多々あり。時折復活するも不安定で、4場所連続休場明けの49年7月、初日から連敗したところで引退した。

★評価  安定感抜群で王道相撲の玉の海に対し、ムラはあるがハマれば強いスピード相撲の北の富士といった対称性で語られ、どうしても軽薄な評価を受けるため損をしている面がある。プラス評価は下記の実績であるが、出羽の先輩横綱佐田の山(優勝6回)が大鵬の長い全盛時代に重なったのに比べると、やや時代に恵まれたとも言える。在位期間は4年余り、引退時32歳というのも平均的。二桁優勝を記録したこと、不完全ながらも一時代を担ったことから強豪横綱に数えたが、マイナス面も多い。一人横綱ゆえに苦しい休場にも追い込まれ、潔く引退ともいかずに苦心。今ならもっと叩かれそうな不祥事も。ただ、40年代後半の大荒れの時代(を招いたとも言えるが)に、単発的ではあるが全勝も記録して第一人者の貫禄を示し、北の湖の横綱昇進場所までバトンをつないだことは評価したい。

★実績  優勝10回は栃錦、若乃花と並ぶ記録で、当時は上に大鵬と双葉山だけ。全勝3回も光る。入幕前後の破竹の勢いは記録的で、新入幕での13勝は未だ最高記録として残り、十両での全勝優勝はその後、半世紀ほど現れなかった。

★引退後  当時空き名跡となっていた井筒を襲名して部屋を興すが、程なく千代の山の九重が死去したため部屋を統合する形で継承した。その後千代の富士、直弟子の北勝海の2横綱を育て、部屋勢で10連覇、9連覇を達成。名伯楽として名を馳せたのは周知のとおり。審判部長などを歴任し、理事長候補とも言われたが、平成10年の政変の煽りで理事から外れ、60歳を前に退職。弟子の2横綱を従えた還暦土俵入りは、国技館で行えなかった。その後NHK相撲中継の解説者として長年活躍する。

★取り口  カチ上げるように当たってからのど輪、突っ張りで起こし、左四つに組み止める。出足を止めずに左を返して右上手を引き付けての速い寄り。嵩にかかって外掛けや、残すところを右上手投げで仕留める。先手を取っての突っ張りからの引き技、出足の勢いに任せた外掛けいった取り口は、従来の横綱像には当てはまらないものとして批判もあった。ただ、左四つの寄り、上手投げの堂々たる型もあり、イメージで語ることは公正ではない。

★パラメータ・スキル  総合値11.6。体質的にやや硬く、そのため粘り強さこそもの足りないが、全体にバランスの良い能力。最大の武器はその出足、スピードに乗った攻め。前だけでなく、横、後ろへ動きの良さは「黄金の引き足」と少々皮肉を込めて称えられた。組んでも離れても技を出せ、突っ張りながら組む相撲だが、左ワキは非常に堅く、ケンカ四つの玉の海にもほとんど差し勝っている。

★現代との比較   掛け手が決まり手数の第3位に入る横綱・大関力士はめったにいない。出足を活かした速攻、意外性のある動きは、現代でも武器となる。速さ勝負に持ち込めば、前捌きの良さも発揮されそう。大鵬には外掛けも苦もなく跳ね除けられて対戦成績は5-26。柏戸には突っ張り合いで動き勝つなど10-14と健闘しており、スピード勝負の要素が強まる現代でも一定の成績を残しそうだ。

★四股名  北の「冨」士から大関時代にマイナーチェンジ。「北」は出身地から。「富士」は、弟弟子に弟子となる千代の富士、孫弟子の北勝富士に引き継がれる。直弟子には「富士」がつく力士が多く、昭和後半から平成初期にかけては富士と言えば九重部屋だったが、兼ねてより専売特許ではなく、のちに元富士櫻の中村部屋、現在では元旭富士の伊勢ケ濱部屋に目立つ。

★締め込み  カラーで残る映像では、緑色の締め込み姿が残る。若いころからだったのか、解説時に聞いてみてほしい。

★その他   大関が移籍するのは極めて異例。自分をスカウトした千代の山が独立したことによるもので、出羽海部屋の恵まれた環境を捨てて苦労することになったが、最初の場所でいきなり優勝。自ら華々しい船出を演出したが、のちに自身が師匠として九重王国を築き、部屋別の優勝回数もいまだ1位だ。土俵入りは師匠譲りの雲竜型で、2人の弟子も同じ型を受け継いだ。玉の海が巡業を体調不良で休んだ際には、不知火型の土俵を披露してフォロー。両方の土俵入りをした稀有な横綱であることは有名だ。現役中から芸能活動、実業にも取り組んでうるさ型の反感を買っているが、土俵外の話題も豊富なタレント性は、角界には収まりきらない器だったか。


     輪 島 54 石川出身 花籠部屋   昭和51
取り口:堅牢・怪力型 型:左下手右おっつけ 得意手:下手投,吊り 184cm/130kg 均整筋肉

C10.5 11.0
<決め技>
左下手投げ7b

右上手投げ5b

吊り寄り 5b

上手出投げ4b

左差し寄り4b

左前褌寄り4c

掬い投げ 3c

小手投げ2d

掛け投げ2e

左上手投げ4c

 

<崩し技>
右おっつけ6a

右絞り  6b

腕返し  5a

巻き替え 5c

モロ差寄り4c

突っ張り 3b

はたき 3d

外掛け 3c

張り手 2c

小股  2e

 

<立合>

張差し  3b

右突き 3b

左差し  4b

モロ手突き3c

カチ上げ 3c

右上手  2d

いなし  2d

 

dbc

c変化e

<心>

相撲勘

勝負師

チャンス〇

調整×

蔵前の星

対小兵○

息切れ

打たれ弱い

天才肌

早熟型

<技>

黄金の左

左半身

前捌き

差し身

逆四つ○

後の先

連続技

足跳上げ

打合い〇

体入替え

 

<体>

怒り肩

肩幅広い

胸板薄い

前傾〇

腰重い

すり足〇

顎引き〇

スタミナ×

ユルフン

腰痛

 
10.0
B12.5 馬力 10.5
怪力 13.5

B11.5 安定 11.5
粘り 11.0
C10.5 出足 10.0
敏捷 11.0
A13.0 技巧 12.5
キレ 14.0
C10.5 10.5
11.0
10.0
A13.0 11.0
14.0
12.0
★略歴  2年連続学生横綱など圧倒的な実績を引っ提げて、昭和45年初場所幕下付出でデビュー。幕下を連続優勝で2場所で突破するなど異例のスピードで番付を駆け上がり、「蔵前の星」と注目を集める。46年初場所で新入幕。大鵬、玉の海が去って混沌とする土俵で急浮上。関脇2場所目の47年夏場所、2敗で首位を走ると、上位は総崩れ。14日目唯一残った大関大麒麟が敗れて初優勝が決定した。大関取りが期待された翌場所は8勝に終わるも、続く秋場所は13勝。千秋楽、貴ノ花との水入りの死闘は熱狂を呼び、大関同時昇進となった。「貴輪」コンビは、看板力士不在で低迷する相撲界の救世主となった。大関在位は4場所、準優勝後の48年夏、全勝で2度目の優勝を果たし、入門からわずか3年半で頂点に立った。

 2場所目で全勝優勝、翌場所には終盤休場しながら12勝2敗1休で連覇。49年名古屋では先輩2横綱が引退、代わって宿命のライバルとなる若い北の湖が昇進。この場所は1差で千秋楽対決となった。本割決定戦とも左下手投げに下して逆転し、綱の面目躍如。この年3度の賜杯を加えた。順風満帆だったが、50年は春、夏と初日から連敗で途中休場するなど絶不調で引退も取り沙汰された。しかし輪島は蘇った。51、52年は毎場所のように北の湖と賜杯を分け合い、空前の二強時代を築いた。52年11月では相星決戦を制して双葉山に並ぶ歴代2位、12回目の優勝。が、30歳となり再び失速。53年名古屋では復調し、13戦全勝同士、通算優勝回数12回同士で北の湖との決戦となったが、水入りの末に屈する。以降は休場も目立ち、北の湖独走、対抗馬の地位も若乃花に譲る形となった。それでも54年名古屋、55年の九州と賜杯を抱いた。千秋楽、1敗を守って勝ち残り。見上げる土俵上、北の湖が並走する若乃花を破り、最後の優勝を贈った。2場所後の56年3月、2日目に敗れると引退を発表した。

★評価  卒なく相手を捌く反応の良さ、巧さ。一方で派手すぎる私生活、交友関係で稽古不足を批判されながらも結果を残すあたり、天才の称号を戴くのも無理はない。学生横綱のプロ入りだけでもの珍しがられ、幕下付出の待遇を嫉まれる時代。下手からの技が武器、タブーと言われたランニングと保守派の面々には嫌われることばかり。それでも大横綱に次ぐ優勝回数を記録。北の湖の大いなる壁となり、輪湖と並び称されて一時代を築き8年も綱を張った、まさに強豪横綱。学生相撲出身力士が急増したが、いまだに大卒で唯一の横綱という点でも際立っている。何から何まで相撲界の本流とは対をなす存在だ。

★実績  優勝14回は引退時3位(現在は7位)。47、48、51年は年間最多勝で、48年と51年の77勝は当時2位タイの記録だ。北の湖と対戦成績は、前半の貯金を保ち、勝越している。横綱昇進までの場所数はもちろん歴代最短だ。

★引退後  実は56年3月での引退は既定路線で、場所後に停年となる先代から花籠を継承した。ところが、60年に借金の担保に年寄株を入れたことが明らかになり、降格処分。責任を取って自ら廃業した。名跡継承もままならず、花籠部屋から独立していた元大関魁傑の放駒部屋に吸収されることとなった。その後は東富士以来となる元横綱レスラーとしてデビューするなど各方面で話題になった。

★取り口   左下手を軸に、右おっつけで攻める。体型的にも胸は合いにくく、やや左半身になりながら右で絞り上げておいて、黄金の左で投げ捨てる名人芸を見せた。北の湖を逆転した下手投げの印象が強く、下手相撲で大成した例外のように言われることもあるが、実際には上手からの投げ、吊りの決まり手が多い。学生時代は右四つで、当初はなまくら四つと言われたように万能性もあり、相手によっては突っ張りや右四つで捕まえた。奇襲を狙う小兵を捌くのも得意だった。打っ棄り腰はなかったが、そもそも前傾で頭をつけることも厭わず、がっぷり組むことは少ないので弱点にはならなかった。

★パラメータ・スキル  総合値11.6。特筆すべきは対戦相手が口を揃えて言う力の強さ(黄金の左よりも右からの力が凄まじかったという)。そして技のキレ、巧みさ、足腰の強さ。体つきはレスラーっぽく、晩年に至っても筋肉質で目方は増えなかったが。腰が重くて難攻不落。常に顎が引けていて、押し出し、吊り出しでの負けも少なかったが、剛腕で顔面を突いてくる巨漢高見山には顔を背けてしまって金星7つを献上。

★現代との比較   当時は長身力士に数えられたが、現代では平均以下の体格となる。だが、左半身の体勢で守りを固めれば圧力負けしない。そして厳しいおっつけ、下手投げのコンビネーションは有効だろう。速攻一辺倒の現代なら、弱点と言われた持久戦に持ち込んでくる相手はいないが、得意にした軽量力士が少なく、苦手の高見山級がゴロゴロおり、巨漢ぞろいの現代では、終盤の息切れが心配なところ。

★四股名  明石、丸山あたりを除けば、唯一の本名で通した横綱。出身地は石川県七尾だが、近隣の輪島塗で有名な地名でもあり、遠縁にはボクシングの世界チャンピオン輪島功一。四股名としても通用する響きでもあり、傑作の四股名とも言える。時代は下って同じ石川県、学生相撲出身の出島が本名で大関を張っている。当時春日野理事長は本名関取の増加に警鐘を鳴らしていたが、学生相撲界でその名を知らしめた力士らを中心に、本名で取りつづける関取は徐々に増加した。この異色の横綱の影響は少なくないだろう。

★締め込み   茶褐色、次いで深緑色と落ち着いたカラーだったが、不振の昭和50年途中から黄金の締め込みに。横綱としては超異例で賛否両論あっただろう。しかし見事に復調、「黄金の左」とともに自らのイメージカラーとして定着させた。白鵬が早々と14回目の優勝を決めた場所、優勝回数で並んだ輪島へのリスペクトとして残り2日間を黄金廻しを締める粋な計らいをした。

★その他  何から何まで異例ずくめの横綱だが、土俵入りだけは特に癖のない正統派にして、気迫が漲り高評価。


         曙  64 米国出身 東関部屋   平成5
取り口:パワー型 型:右差左上手、諸手突 得意手:突き、寄り 204cm/215kg 超巨人肉厚

S15.0 15.5
<決め技>
モロ手突き7a

突っ張り 6b

のど輪  6b

右差し寄り5b

がぶり寄り3c

小手投げ 4c

上手投げ  3c

引き落とし2e

外四つ寄り3c

下手投げ2d

<崩し技>
巻き替え4b

張り手 5c

引きつけ4c

右腕返し 4c

おっつけ 4b

体当たり 5d

浴びせ倒し3e

はたき 3d

極め  3d

褄取り 1e

<立合>

モロ手突き6a

カチ上げ5b

右差し 3c

張差し 3c

左上手 2d

抱え込み3d

 

ebd

b変化e

<心>

気迫

速攻

ノミの心臓

スロ-スタ-ト

尻上がり

早熟型

ヒール

逆境〇

対小兵×

<技>

差し身

電車道

助走

打ち合い×

肩越上手

外四つ〇

<体>

足腰硬い

リーチ伸

怪我×

腰高

膝痛

腰痛

14.5
S15.0 馬力 15.5
怪力 14.5

D 8.0 安定  8.0
粘り  9.0
C 9.5 出足 11.0
敏捷  9.0
C 9.5 技巧  9.5
キレ 10.0
A14.0 15.0
12.0
10.0
B11.5 12.0
 9.5
10.0
★略歴   花の六三春入門組。各段優勝はなく同期の貴花田の後塵を拝したが、負け越し知らずで追い上げると、3年夏には同郷の先輩・大関小錦との史上初・外国勢対決を制し、三役昇進では先んじた。4年初場所、貴花田に1差及ばずも関脇で13勝し準優勝。翌場所は8勝止まりながら、夏場所は千秋楽1差の平幕若花田を圧倒して初優勝。場所後大関昇進を果たした。怪我で新大関場所を全休、カド番で3勝6敗まで追い込まれたが何とか脱出すると、4年九州は復調し2度目の優勝。続く5年初場所で、大関取りの貴花田を千秋楽1差の対決で下して連覇。外国人初の横綱に推挙された。

 3場所目、同期生巴戦で若貴を圧倒して横綱初優勝。そこから3連覇した。九州ではカド番小錦に引導を渡し、決定戦は初の外国勢対決で武蔵丸を破る。ハワイ勢骨肉の争いを経て孤高の存在となる。6年春も相星の二子山勢を本割、巴戦で3タテ。ところが、翌場所不調を抱える膝を故障すると、手術を余儀なくされて長期離脱。復活したのは翌7年春。横綱になった貴乃花との相星決戦を制して1年ぶりに賜杯を抱いた。敗れはしたが翌場所まで3場所連続相星の横綱対決と、二強時代を形成するかに思われたが、故障が多発し水を空けられた。9年夏、自力逆転で10回目の優勝、貴乃花に一矢報いたが、再び故障との戦いが続いた。10年は序盤で星を落として早々に脱落が続き、11月からは3場所連続全休。一時は引退届も出したが慰留された。11年は2場所しか皆勤できなかったが、12年は毎場所優勝争いに絡む。7月には横綱として最長間隔の18場所ぶりの復活V。11月には2横綱5大関を総ナメして11回目の優勝を果たした。千秋楽に武蔵丸を寄り切った一番は20世紀最後の取組となったが、曙にとっても最後の一番となった。再び膝を故障して翌場所全休すると、場所後に突如引退を表明した。

★評価   超人気力士貴乃花の好敵手として捉えられることが多く、その視点ならば2横綱並立時代の劣勢の印象が強く、柏鵬時代の柏戸の如く期待に沿えなかった印象を持たれている。しかし長い在位期間にして、勝率などは決して悪くない。休場明けに序盤で負けが込んで引退が囁かれたこともあったが、その都度持ち直して二桁は残した。若貴フィーバーの煽りで敵役となったが、長く力士会会長を務め、指導力も発揮。日本人よりも日本人らしいと、横綱としての品格も申し分なく高く評価されていた。優勝に見放されていた期間が長く、回数では武蔵丸に上回られたが、同世代の力士たちの最も勢いがある時期において圧倒的な強さを発揮、横綱空位を解消した価値は高い。見事復活してさっと身を引いた引き際も近年稀に見る潔さだった。

★実績   優勝11回。3連覇を記録した新横綱の平成5年と、最晩年の12年に年間最多勝を記録している。横綱在位は8年48場所で当時4位、現在6位。うち新横綱から11場所は1人横綱で、当時の最長記録だった。在位中全休9場所はマイナスだが、負けが込んでの途中休場はなく、皆勤して一桁は1場所だけ。出れば大崩れしなかった。ライバル貴乃花には、優勝回数こそダブルスコアを許したが、対戦成績は50戦して全くの五分。初土俵から連続勝ち越し記録18場所の記録はいまだ破られない。

★引退後  2年半ほど東関部屋付で在籍、停年の近い元高見山から部屋を継承するものと思われたが、突然格闘家に転向。同年ボブサップにKOを食らうなど惨憺たる成績だったが、掛け持ちしたプロレスの方では成功を収めた。

★取り口  立合い、もろ手突きから突っ張り、のど輪で電車道に圧倒する相撲で、太刀山の再来とも。ただ、突き押しだけで攻め切るのは高リスク。横綱初期までの負けた決まり手の数は、引き落としが最も多かった。体重が200キロを超えた頃からは四つ相撲の割合が増えた。元々寄りも威力十分だったが、捕まえて胸を合わせると、突き押しなら手繰ってかわす力士達も何もできなかった。立合いも大きく下がって仕切り、勢いをつけて立っていたが、後年はどっしりと見て立ち、カチ上げ、張り差しが増えた。それでも最終的に決まり手は押し出しが最多、四つ相撲が多くを占める横綱としては異色である。

★パラメータ・スキル  総合値11.8。体力、破壊力は最強クラス。突きの威力は、相手が背中を向けて土俵下へ飛んでいくほどだった。故障に苦しんだ平成10、11年ごろはすぐに足が縺れて転がっていたが、三連覇の平成5年を参考にしたので、200キロに乗ったくらいで足腰や速さもまだ悪くない。電車道で吹っ飛ばす出足、特に貴乃花戦では発揮される土俵際のしぶとさは、ただの巨人力士ではない。余計な小技はないが、一通りの四つ身の技能も持ち合わせていた。巨体にしてノミの心臓と言われた脆さもあり、貴闘力には時間前から挑発されて金星7つを与えている。

★現代との比較   史上最長身横綱の破壊力は時代を問わず。過去にも2メーター級の巨人力士はいたが、もっと体重は軽かったし、スローモーだった。身長では琴欧州が肉薄したが、体重が60キロ差。入れ違いになったモンゴル勢は巧さで対抗できるのか、それとも対抗して増量せざるを得なくなったのか。同タイプが存在しないだけに想像しづらい。

★四股名  珍しい一文字の四股名で、幕内では大正期の横綱鳳以来。関取では昭和40年の轟以来である。平成の終盤に入って一文字四股名の静かな流行があり、勢に輝という一文字対決も実現した。入門時は大海を名乗ったが、すでに大魁がいたため改名。大関昇進時にわずかに改名。「者」の部分に点が入っている。

★締め込み  横綱としてはかなり変遷が激しい。若い頃はパステルカラーがまぶしかったが、大関を狙う頃から落ち着き、横綱昇進前後の最盛期は紫で君臨、その後は苦難を表すように空色、黒、茶色などに2年程度で変更している。復活の12年は深緑の廻しで集大成。変更が多すぎて、曙と言えばこの色というのがないのが欠点か。

★その他  雲竜型の土俵入り。外国人初ではあるが、なかなかに迫力があって好評である。さすがに四股ではあまり足が上がらないが、リーチの長い腕を活かした所作はメリハリもあり、土俵に映えた。柏手を打つ構えは、指先がかなり内側へ入る特徴があった。長野五輪開会式でも披露している。


      武蔵丸  67代 米国出身 武蔵川部屋  平成11
取り口:パワー型 型:右差左上手、諸手突 得意手:突き、寄り 204cm/225kg 超巨人肉厚

S15.0 14.0
<決め技>
突っ張り 6b

右差し寄り5c

右掬い投げ5c

モロ手突き5c

のど輪  5c

小手投げ 3d

モロ差寄り2d

突き落とし3d

引き落とし3d

ひねり    2d

 

<崩し技>
右腕返し 7a

突き付け 5b

おっつけ 5c

張り手  5d

巻き替え  2c

浴びせ倒し3c

極め  4b

いなし  2d

外掛け 1e

吊り  2e

<立合>

右差し 4b

張差し 4b

張り手 5d

モロ手突き4c

ぶちかまし4e

抱え込み 3b

いなし 2d

 

cbc

c変化e

<心>

安定感

スロ-スタ-ト

尻上がり

取りこぼし

慎重

強引

立合不安定

勝負弱い

チャンス×

混戦〇

<技>
右固い
踏み出し
<体>

固太り

巨腹

かいな力

怪我〇

左肩痛

左手首痛

首痛

15.0
S14.5 馬力 14.0
怪力 14.5

D 9.0 安定  9.0
粘り  9.5
D 8.0 出足  9.0
敏捷  7.0
C 9.5 技巧  9.5
キレ 10.0
A13.5 13.5
13.0
10.0
B11.5 13.0
10.0
10.5
★略歴   平成元年初土俵、3年九州入幕、若貴・曙には1年ほど遅れての出世。幕下時代に1度負け越したが、それ以外壁に当たることなく4年7月新三役。この場所11勝で技能賞、以後5場所で4回二桁勝ちながら一時停滞していたが、5年11月に13勝して初の外国人同士の決定戦に進む。続く6年1月も千秋楽大関貴ノ花を寄り倒して決定戦に持ち込んだ、はずが勇み足となった。しかしこの活躍で貴ノ浪とともに大関へ昇進。7月には、並走する若ノ花との決戦を制し初優勝。その後も安定した成績を残すが、先に横綱になった貴乃花の壁が厚く、優勝が、綱が近そうで遠い。そのうち体重が200キロを超え、四つ相撲の併用が迷いとなって不振に陥った。8年九州は11勝ながら5人の決定戦を制し2度目の優勝。翌9年は復調したが、2度決定戦で敗れるなど勝負弱さを露呈。10年1月にも混戦を抜け出しV3を果たすも、ますます増える目方を制御できず先に若乃花に綱取りを許した。ようやく右差しの相撲と巨躯が噛み合い、11年3月はライバル貴ノ浪との楽日相星決戦を制し、5月は力相撲の末に曙を押し倒して連覇。ついに綱を勝ち取った。

 第4の横綱は、9月若乃花、11月貴乃花と二子山勢を千秋楽にねじ伏せ連覇した。翌12年1月、慢性化していた左手首痛が悪化し、初めての休場。遂に史上1位の連続勝ち越し記録が途絶えた。以後武蔵丸はケガに苦しみ、12年、13年の優勝は1度ずつ。左手が使えない場所は金星を次々配給してしまう。さらに貴乃花には2度決定戦で敗れ、特に13年5月は膝に重傷を負った相手に力を出せず、同情、酷評、屈辱にまみれた。既に元気な体ではなかったが、貴乃花が7連続全休する間、3回優勝して一人横綱の責任を果たした。そして14年9月、待望の貴乃花との楽日相星決戦で雪辱。が、これが最後の千秋楽となった。泣き所の左手首を再建手術するが限界、さらに隠し通していた肩、首の古傷もあって復活ならず。全休、途中休場が続いた15年11月、7日目土佐ノ海に引っ掛けられて俵を踏み出し、武蔵立ち往生となった。

★評価   入幕当時はハワイ第3の男と呼ばれ、その後も影に隠れがちだった。しかし曙、若貴が衰え出した頃に全盛を迎え、横綱昇進の11年から14年頃は地力ではNo.1と評され、優勝回数でも最終的に曙を上回った。しかし同時期も与金星の多さや、優勝決定後の黒星などスキの多さが災いして最強を印象付けられず、曙貴・若貴の時代という世評を覆すには至らず。柏鵬時代の佐田の山同様、実績ではそれ以上なのに損をしている。西郷さんの愛称がついた風貌で、足が長く強面の曙に比べて日本人に親近感を覚えさせていたが、茫洋とした雰囲気からのんびりした印象。そのためか、クンロク大関などと実績未満の評価をもらうことも多かった。

★実績   優勝12回。11年は4回、14年は3回優勝している。ただ、混戦に強いが取りこぼしが多いタイプで、成績は全勝、14勝が各1回。2度獲得した年間最多勝も11年70勝、13年73勝と低調だ(新大関の年は71勝、翌年69勝を記録しており、その頃が全盛という説もある。)。目立つのは55場所に及んだ連続勝ち越し記録。北の湖の50場所を超えて史上1位の快挙となった。その間含まれる大関在位32場所(横綱としては最長タイ)では、当然カド番0、優勝5回と最強クラス。キャリア終盤こそ休場が続いたが、頑丈さ、安定感が売りだった。

★引退後  一代年寄特権で現役名のまま残り、期限後は借株で凌いでいたが、先代の停年に合わせて武蔵川を襲名。旧武蔵川部屋を引き継いでいた弟弟子・元武双山の藤島部屋から独立して、新生武蔵川部屋を興した。甥が入門し、自身の引退で途絶えていたハワイ出身力士を復活させたが、関取に届かず。

★取り口   怒涛の突き押しで大関へ駆け上がった武蔵丸。これで全勝も果たしたが、四つ相撲ではあまり芸がなく、特に突っ張りが通じなくなった横綱貴乃花が天敵になった。手首の痛みや、方向転換に弱点があり、綱を目指して本格的に四つへの転向を図った。時間はかかったが、ようやく右差し左で抱え、丸太のような腕を返して出る相撲が様になると、組んでも貴乃花に対抗できるようになった。差せなくてもおっつけて出る力はすごかったが、離れて勝ち急ぐと足がついてこずに土俵際で逆転されることもしばしば。取りこぼしが多かった。

★パラメータ・スキル  総合値11.6。右の腕力は曙をも凌ぐ剛力(ただ左は古傷の影響があった)。「鬼腕」と称される右の返しだけで相手がひっくり返り、掬い投げや突き落としとして決まってしまった。足が太く短く力士向きで、外国勢共通の弱点だった上半身と下半身のアンバランスがなかったため、200キロを優に超えても下半身に大きな故障がなかった。四つでも取れたがワキの甘いところがあり、貴乃花には左四つに組まれて力を出せなかったが、右差しに磨きがかかって覚醒した。多用はしなかったが、右の張り手は強烈。張差しにも応用した。

★現代との比較  動きの鈍った時期に登場した朝青龍には足取りを食ったりと苦戦したが、ヘッドロック気味にねじ伏せたりと見ごたえがあり、番付上は5場所も並びながら横綱同士で対戦がなかったのが惜しまれる。貴乃花には四つでは最後まで巧さ負けしていたが、後年は胸を合わせれば体力で圧倒できた。白鵬にも四つ身の型では劣るだろうが、重い突っ張りや、右の入り方次第で苦しめそうだ。千代大海でも滅多に真向押し出せなかったこの体躯、突き押しで制するのは容易ではない。

★四股名   はじめ荒武蔵となるところだったが、発音が厳しかったため本名のフィアマルから武蔵丸にしたというエピソードがある。のち帰化してこれが本名になった。大関時代に生まれた甥っ子はムサシマルと名付けられ、のち武蔵国として在籍した。

★締め込み  大関時代は変遷があったが、横綱時代は光沢のあるハワイアンブルーで通した。横綱にしては珍しい明るい色合いだが、褐色の巨体によくマッチした。大関時代もブルーの廻しの時に4度優勝しているが、初優勝時よりも横綱時代の方がより水色に近いように映る。

★その他  師匠譲りの雲竜型土俵入り。小錦、曙に比べると日本語がたどたどしく、愛嬌ある「ワカラナーイ」で凌いでいたが、横綱昇進時の口上は意味不明になってしまった。貴ノ浪とのライバル関係は有名で、新入幕、新大関とも同時。常に地位が近く休場も少なかったので、対戦回数は当時最多を更新した。大関で5年以上並び、ようやく次の大関が生まれた場所で楽日相星決戦。制した武蔵丸は翌場所横綱昇進を決め、貴ノ浪は間もなく陥落した。的が大きいので圧倒することが多かったが、要所で一矢報いられ、横綱と平幕になっても初金星を与えるなど最後まで苦しめられた。

inserted by FC2 system