郷土相撲史 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誰か郷土を思わざる。 各県がどのような力士を生んだのか。 土地を基準にすると、語り尽くされた相撲史を新鮮に味わい直したい。 (24年7月) |
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上位力士に見る盛衰 まずは一番華やかなところから切り込もう。 時代の覇者はどのように移り変わったのか。いくら幕内力士を多く出していても、やはり横綱一人には存在感で敵わない。横綱を出すというのはどれほど誇らしいことか。どの地方出身の力士が時代をリードしてきたのか、横綱大関を中心に見ていきたい。 右の表をご覧頂きたい。 まず目につく点としては... 表を眺めるだけでも、横綱大関の供給元には極端な偏りがあることがお分かりいただけるだろう。 数えるまでもなく、昭和以降最強は北海道。 これに対抗したのもやはり米どころ。秋田は照國から清国まで、新潟は羽黒山、豊山と戦前からの勢いを持続。しかし北海道と実力を二分した勢力と言えば青森である。実力はともかく、人気では劣らなかった。戦前から清水川ら名力士が輩出していたが、戦後横綱若乃花、大関貴ノ花の兄弟が国民的人気を得る。二子山部屋からは二代若乃花、隆の里の両横綱、平成に入っても大関貴ノ浪と実力派が続き、舞の海や安美錦など技巧派が存在感を発揮している。 地味ながら結果を出しているのが、茨城。「平成の怪物」が二代に渡って輩出、さらに稀勢の里が大関となって現代では有数の和製大関産地である。「怪物」の歴史は長く、男女ノ川、大内山の二大巨人が出ている。戦後しばらくの低迷を経て平成に復活した。三重県もあまりコンスタントには育たないが、昭和後期に2横綱1大関を生んでいる。 「緯度が高いほど強い」という定説は通用しそうだが、遠く離れた九州勢も数の上では及ばないが、見逃せない。角聖双葉山と10年大関千代大海を生んだ大分。古くは3人の横綱西ノ海から続く井筒部屋が有名な鹿児島からは、横綱朝潮、大関若嶋津、霧島。佐田の山ら出羽海勢が根付いた長崎、魁皇から琴奨菊と日本人大関のタスキを繋いだ福岡も熱い。九州場所の大声援を瀬に活躍する。 対して産業界では圧倒する太平洋ベルト上の都市圏は、人口からすれば不甲斐ない。愛知は玉の海、琴光喜、大阪は大関在位10場所の前の山1人、広島は安芸ノ海以来、神奈川も武蔵山、若羽黒以来大関はいない。多くの相撲部屋が居を構える東京もお膝元の割には勢いがない。「江戸っ子」と呼べるのは東富士、栃錦くらい。平成の2横綱、1大関はいずれも二世力士である。 そして現代はモンゴル全盛時代。記録的な強さを発揮した大横綱朝青龍と白鵬、さらに現役2大関らを加えた陣容は質量ともに平成最強。外国人枠の影響もあり、ハワイ勢のように突然絶滅する可能性もあるが、しばらく王座は揺るがないだろう。 |
(大関は明治以降)
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現代力士出身地論
前項で、昭和以降の歴史でどの地方が強いのかイメージができた。続いて現代と比較してみる(24年7月番付より)。過去のデータが全く通用しないことがわかるだろう。 A東高西低傾向の緩和 数の上では東日本優勢も、西も質では負けていない。 外国勢に呑まれてどこもかつての勢力は保てておらず、「相撲王国」と呼べる地方はない。昭和の王者たる道産子は関取不在。しかもここ10年常態化している。強豪を出してきた北陸も0に。時津風のお膝元・新潟の低迷も長いが、長年頑張っていた出島、栃乃洋の石川も後が続かず。 健闘が目立つのは、東北は青森。昭和51年組に同郷が多く、若の里と高見盛は健在。安美錦ら伊勢ヶ濱部屋が3人の関取を擁する。関東では稀勢の里、高安の鳴戸コンビを抱える茨城。東京も栃東以後上位はいないが、千代大龍、常光龍の大卒同期の出世争いが楽しみ。相撲部屋の郊外化の影響もあるのか、地元になりつつある千葉勢も台頭している。 西日本からは、これまで目立たなかった地方の台頭が見られる。意外と強豪が出ていなかった大阪からは豪栄道が、さらに大器・勢が。お隣兵庫も豪栄道の盟友妙義龍に、巨漢栃乃若。山口も関取が途絶えていたが、大物食いの2人が盛り上げている。四国も平成以降土佐ノ海、玉春日の両雄頼みだったのが、近年高知勢が目立ってきて粒ぞろい。出身ではないが、明徳義塾へ相撲留学の朝青龍、琴奨菊を育てた地でもある。九州勢も大学相撲の強豪が続々と出て、一定勢力を保っている。 外国出身力士に触れないわけにもいかない。6年ぶりに現れた日本人優勝力士が、モンゴル出身で帰化した旭天鵬だったことに象徴されるように、今や覇を競うのは外国勢。昭和では高見山が1度抱いただけの賜杯は、日本人の手の届かないところに行ってしまった。ハワイ勢が切り開いたジャパニーズ・ドリームの道は、モンゴル勢が受け継いで我が世の春を謳歌。朝青龍の初優勝から10年でほとんどモンゴル勢が優勝している。アジアでは他に中国、韓国からも出た。これを東欧の勢力が追いかけて2大関が誕生した。ロシア4人、グルジア3人、ブルガリア2人、エストニアとなぜか東欧諸国に偏っている。他の大陸からも、南米ブラジルの魁聖が台頭、そしてアフリカからイスラム教徒の力士まで誕生した。 |
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部屋の地盤
左の表で、主な部屋と地盤となっている地域の例を書きだした。「各部屋分析」のまとめでもある。 師匠や、大師匠の出身地が多い。二子山部屋は青森から2横綱2大関、九重部屋は師匠の出身・北海道から3人の横綱が出た。時津風部屋は2代前の元大関豊山が築いた新潟(多くは東農大を経て)のパイプが堅固。古いのは鹿児島の井筒で、明治・大正の初代から3代の横綱西ノ海から続き、鶴ヶ嶺が復活させてからも3兄弟に大関霧島と見事に出身者が育った。 郊外化した相撲部屋が地域密着を打ち出して地盤とするケースも増えている。川崎フロンターレとの交流が有名な春日山部屋、子供向けに開いた相撲教室から小結若荒雄が出た阿武松部屋が代表的。大きなタニマチが期待できない時勢、地道な活動で存在感を高める戦略は、スカウトという目先のことだけでなく、相撲普及の面からも賞賛されるべき。 下の表は海外編。特定地域を開拓したパイオニアを抜き出した。現在では外国人制限があるため、特定の国を開拓して大量に獲得できなくなり、各部屋に分散している。 |
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