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大相撲パラサイト 


部屋データ 25年版

部屋・一門別の勢力を測る「部屋データ」。
近年激動の部屋の勢力図を一望する。

部屋ごとの詳細ページは24年作成分をベースに都度メンテナンスしていく。


一門データ 理事 所属 勢力 主な部屋 代表力士 現況
出羽海一門 12
B 春日野、境川、
北湖、木瀬、尾上
把瑠、豪栄、
栃煌、妙義
北の湖理事長再登板
木瀬復活武蔵独立
二所ノ関一門 10
A 佐渡、鳴戸、尾車 琴欧、琴奨、
稀勢、松鳳
3大関擁し依然安定も 本家閉鎖へ
貴乃花グループ
D 阿武松、貴乃花 若荒雄、大道 立浪が事実上合流
伊勢ケ濱一門
A 宮城野、伊勢浜
友綱
白鵬、日馬、
安美、旭天鵬
不知火型2横綱擁立の旧立浪一門。
雷失脚で春日山を外した新名称へ
時津風一門 C 時津風、井筒、錣山 鶴竜、豊島、
豊真
20年ぶり大関誕生
式秀は一門外から招へいし閉鎖回避
高砂一門
D 高砂、九重、八角 隠岐海、千大龍 九重勢が台頭も中村閉鎖等勢い下火

データは5月時点(年始からの激しい興亡がひと段落した時期)


<部屋データ 注釈>

師匠現役名:青字は元横綱、緑は元大関。下線は近年継承。

創設形式: 「独立」(旧所属から内弟子を引き連れるなどして分離)
「改称」(名跡変更等により部屋名を変更)
    「継承」(他の部屋を自身の年寄名のまま受け継ぐ)
★は当代の親方が独立。        


出羽一門 所属部屋11→12 理事3

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
出羽海 鷲羽山 江戸     常陸山、栃木山   出羽 E SS 田子から一部移籍
藤島 武双山 平成22 継承 出羽海 武蔵丸、出島 雅山、翔天狼ら 武、本名 C A 元三重ノ海の武蔵川部屋を継承
武蔵川 武蔵丸 平成25 ★独立 藤島          
三保ヶ関 増位山 大阪 独立 出羽海 北の湖、北天佑 阿覧 D A 昭和初期出羽海に吸収、戦後再興
尾上 濱ノ嶋 平成18 ★独立 三保関 山本山、境澤 把瑠都、天鎧鵬 本名から C C
北の湖 北の湖 昭和60 ★独立 三保関 巌雄、北桜 北太樹、臥牙丸 北、湖 C C 木瀬勢が再度分離
木瀬 肥後ノ海 平成24 ★独立 北の湖 清瀬海、明瀬山 臥牙丸、常幸龍 徳、瀬 C D 三保から独立後、一旦北の湖に吸収
春日野 栃乃和歌 大正8 独立 出羽海 栃錦、栃ノ海 栃煌山、栃ノ心 B S 田子から一部移籍
玉ノ井 二代栃東 平成2 独立 春日野 二代栃東、国東 富士東、芳東 C C 初代栃東が独立、停年に伴い継承
入間川 栃司 平成5 ★独立 春日野 皇司、Y司 磋牙司 D D
千賀ノ浦 舛田山 平成15 ★独立 春日野   舛ノ山 D E
境川 両国 平成10 ★独立後改称 出羽海 岩木山 豪栄道、豊響 出身等 B C 中立部屋として独立後名跡変更

●閉鎖・消滅した部屋:二十山、田子ノ浦

24年2月、田子ノ浦師匠が死去、力士は出羽海、春日野へ。
5月、北の湖部屋に併合されていた木瀬部屋が再興を許された。
25年2月、元横綱武蔵丸が停年となる武蔵川名跡を継承して藤島部屋から独立?

本家出羽海部屋には、分家独立を許さない伝統があったため、
功労者の春日野、一時預かりだった三保ヶ関を例外に長らく動きはなかった。
元横綱千代の山の九重さえ独立時には破門されたが、それも昔の話で、近年は緩和されている。
風穴を開けたのは横綱三重ノ海が興した武蔵川部屋(現藤島部屋)。
平成に入って大学相撲出身者を中心に各部屋から独立ラッシュが起こった。

若い親方衆の積極的なスカウト活動で、一門全体として活性化されてきた。
しかし近年の不祥事では、木瀬が取潰し、尾上、入間川などからは八百長認定者が続出。
せっかくの隆盛に水が差されてしまった。

24年はようやく落ち着き、二所の分裂で優位に立った理事選では3枠を確保し北の湖理事長が復活。
木瀬部屋も2年ぶりに再興を許され、再スタート。
さらに武蔵丸が武蔵川部屋を復活させ、縮小の流れに反して出羽一門だけは部屋増加を果たした。
把瑠都が陥落して横綱大関こそいなくなったが、有力な若手力士は揃っている。

出羽直系ー出羽海、境川 春日野系ー春日野、玉ノ井、入間川、千賀ノ浦 
三保系ー三保ケ関、北の湖、木瀬、尾上 武蔵川系ー藤島、武蔵川?


二所一門 所属部屋10→8? 理事2

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
二所ノ関 金剛 明治42 独立 旧・友綱 玉錦、大鵬   大、漢語 F S 始祖は海山、佐賀ノ花時代に独立相次ぐ
放駒 魁傑 昭和56 ★独立 旧・花籠 大乃国、花ノ国   傑、魁、駒 E B 旧花籠部屋を吸収、25年2月に閉鎖へ
芝田山 大乃国 平成11 ★独立 放駒 大勇武   E E 25年2月放駒部屋が合流
峰崎 三杉磯 昭和63 ★独立 放駒 荒鷲 E F 新花籠部屋を吸収。移籍の荒鷲が初関取
鳴戸 隆の鶴 平成元 ★独立 二子山 隆乃若、力櫻 稀勢里、高安ら 隆、里 B C 師匠の急死で急遽継承
松ケ根 若嶋津 平成2 ★独立 二子山 若孜、若光翔 松鳳山 D D 19年荒磯から行司ら受入
高田川 安芸乃島 昭和49 独立 (高砂) 剣晃、前乃森 竜電 前、安芸 D C H10年高砂を破門、23年二所一門加入
片男波 玉春日 昭和37 独立 二所 玉の海、玉富士 玉鷲、玉飛鳥 C A 22年に3代目となる
佐渡ヶ嶽 琴ノ若 昭和30 独立 二所 琴桜、琴風 琴欧洲、琴奨菊ら A AA 17年に3代目となる
尾車 琴風 昭和62 ★独立 佐渡 富風、星風 豪風、嘉風ら C C 師匠退職に伴い押尾川部屋を吸収

●閉鎖・消滅した部屋:旧・花籠、押尾川、荒磯、新花籠、(旧・藤島、二子山→貴乃花に継承)

22年に貴乃花一派が一門離脱
23年、無所属だった高田川が加入。
24年、花籠部屋が閉鎖し峰崎部屋に合流。
25年、師匠停年に伴い放駒部屋が閉鎖。弟子の芝田山部屋へ合流。
二所ノ関部屋が継承の折り合いつかず消滅へ。一門名称変更含め討議へ。

大きな勢力を有する一門だが、22年理事選における貴乃花親方の一門離脱でヒビが入った。
旧藤島部屋の若手親方ばかりか、前理事の間垣や中堅の阿武松までも一門を出て勢力縮小。

昭和の前半から二所ノ関部屋は分離独立が激しく(佐渡ヶ嶽、旧芝田山・花籠、片男波)、
今日の大勢力を誇る礎となったが、元々お家騒動の多い一門である。

旧花籠からは横綱若乃花、輪島、大関魁傑。
二子山からは横綱若乃花、隆の里、貴乃花、若乃花、大関貴ノ花、若嶋津、貴ノ浪が輩出。
佐渡ヶ嶽からは横綱琴櫻を筆頭に琴風ら4大関。
片男波からは横綱玉の海が出るなど、実績は抜群。


琴奨菊、稀勢の里が立て続けに大関に昇進して現在3大関を擁しているが、
関取のない部屋も多く、全体的な層は薄い。
近年になって押尾川、荒磯、花籠部屋が閉鎖、淘汰の嵐が押し寄せる。
師匠定年の波も押し寄せ、放駒に続いて本家・二所ノ関まで閉鎖。
一門存亡の危機を迎えている。

本家ー二所ノ関 花籠直系ー放駒、峰崎、芝田山 花籠・二子山系ー鳴戸、松ケ根、(高田川) 
佐渡系ー佐渡ケ嶽、尾車 片男波系ー片男波 


★貴乃花グループ 所属部屋5 理事1

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
貴乃花 ○貴乃花 平成16 継承 (二子山) (貴ノ浪) 貴ノ岩 E E 二子山部屋を一代年寄名で継承
間垣 二代若乃花 平成58 ★独立 二子山 五城楼、若ノ城   若、若三 E D
大嶽 大竜 平成16 継承 (大鵬) 露鵬   珍名多用 E D 大鵬から継承
阿武松 益荒雄 平成6 ★独立 大鵬 片山、古市 若荒雄、大道ら 緑、師匠名など C D 押尾川の弟子、大鵬部屋付から独立
立浪 旭豊 大正4     双葉山、羽黒山   立、浪 E S 24年立浪一門を離脱し貴派へ合流

二所一門を離脱し無所属となった部屋の連合。通称貴乃花グループ。
旧藤島系二子山部屋の貴乃花、大嶽、さらに改革派の阿武松、元理事の間垣も加わった。
立浪など理事選挙で造反表を投じて他一門から合流する勢力も加わった。


伊勢ヶ濱一門 所属部屋6 理事0

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
追手風 大翔山 平成10 ★独立 立浪 追風海、黒海   追風、大翔 D D 大関清水川が独立も、長く途絶えていた
友綱 魁輝 昭和36 改称 (旧高島) (太刀山)魁皇 魁聖、旭天鵬ら D C 先々代が高嶋から改称 24年大島を吸収
朝日山 大受 大阪     高鐵山、琉王 鬼嵐 朝、受、大 E C 大阪相撲から続く。23年桐山を吸収
宮城野 竹葉山 昭和35 独立 友綱 明武谷,陸奥嵐 白鵬、大喜鵬   C D 吉葉山道場が祖。横綱誕生
伊勢ヶ濱 旭富士 平成19 ★改称 (安治川) (照国、清国) 日馬富.安美錦ら 富士、安 A C 安治川を継承した現師匠が名跡変更し復活
春日山 M錦 平成9 ★独立 安治川 春日王   春日 E D 旧春日山の現師匠が独立し再興

●閉鎖・消滅した部屋:旧伊勢ケ濱部屋、旧玉垣、旧高島、旧追手風、旧間垣、
旧大鳴戸、大鳴戸、旧春日山、旧木瀬、武隈、安治川、桐山、新高島、大島

23年、桐山部屋、高島部屋が閉鎖。
24年2月、元幕内濱錦が春日山師匠となり、理事当選の春日山は雷に変更。
春場所後、大島部屋の師匠停年に伴い、弟子は友綱部屋に合流
24年、立浪が造反票を投じたことから離脱。立浪一門を改め、「春日山・伊勢ヶ濱組合」と名乗る。
しかし理事の雷が不祥事で退職し、前名跡であった春日山を外して「伊勢ケ濱一門」に再度改称。

巡業などを一緒に行ってきた経緯から、長く「立浪・伊勢ヶ濱連合」と呼ばれていたが、
19年の旧伊勢ヶ濱部屋(元大関清國が停年)閉鎖によって「立浪一門」と改称された。

双葉山・羽黒山らが輩出した名門立浪部屋も、当代への継承時に大揉めとなり混乱。
24年理事選をきっかけに一門を事実上破門されてついに一門は拠り所を失った。

理事選では足並みが揃わず自滅、さらに雷が退職して一門の理事は不在。
一時は連合稽古もまともに開けないなど混乱が続いた。部屋数も淘汰が進んで6つにまで減った。
皮肉なことに現役力士は好調で、日馬富士が昇進し2横綱に。旭天鵬も賜杯をもたらした。

立浪系ー追手風 高嶋・友綱系ー友綱、宮城野、新・伊勢ケ浜 朝日山系ー朝日山


時津風一門 所属部屋9→8? 理事2

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
時津風 時津海 昭和20 独立後改称 立浪 鏡里、豊山 時天空、豊ノ島 時(津),豊,双 B A 双葉山道場が起源
湊  湊富士 昭和56 独立 時津風 湊富士   E D 元豊山が独立、二代目へ
式秀 大潮→北桜 平成4 ★独立 時津風   (千昇) 潮、式 E E 師匠停年前に関取誕生!
荒汐 大豊 平成14 ★独立 時津風 蒼国来   E E 初の幕内力士誕生も束の間
伊勢ノ海 北勝鬨 江戸 独立 錦島 柏戸,土佐海 伝統名 D B 昭和期に途絶えるが、再興
鏡山 多賀竜 昭和45 独立 伊勢ノ海 蔵王錦,起利錦   鏡桜 E D 始祖は横綱柏戸 弟子2人ながら関取誕生
陸奥 霧島 昭和49 改称 旧・井筒 白馬、敷島 E C 旧井筒が名跡変更で陸奥となり、3代目
井筒 逆鉾 昭和52 独立後改称 君ヶ浜 (西ノ海)霧島 鶴竜 C B 旧井筒から君ヶ浜として独立後、名跡変更
錣山 寺尾 平成16 ★独立 井筒   豊真将 寺尾 C D 豊真将が部屋初の三役に

●閉鎖・消滅した部屋:旧・井筒、錦島、君ヶ浜、立田川

23年、元藤ノ川の伊勢ノ海が停年となり、部屋付きの勝ノ浦が継承。
24年11月場所限りで式秀が停年、師匠に出羽一門の元北桜・小野川を招聘へ

3つの系統からなる時津風一門。時津風は双葉山が開祖であり、比較的歴史は浅い。
伊勢ノ海、井筒の方が伝統があるが、何度か途切れるうち時津風一門に合流した。

本家筋からは途切れなく関取が誕生するものの、小部屋乱立の様相を呈してしばらく勢いがなかった。

24年に鶴竜が一門からは霧島以来となる大関に。各部屋からも僅かずつだが関取が出るようになった。

時津風系ー時津風、湊、式秀、荒汐 伊勢ノ海系ー伊勢ノ海、鏡山 井筒系ー井筒、錣山、陸奥


高砂一門 所属部屋5

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
高砂 朝潮 江戸     小錦、朝青龍 朝赤龍 朝、伝統名 D S 若松部屋師匠が襲名して合流
東関 潮丸 昭和61 独立 高砂 曙、潮丸 高見盛 高見 D B 中村部屋が合流
錦戸 水戸泉 平成14 独立 高砂     水戸 E F
九重 千代の富士 昭和42 先々代独立 出羽海 北の富士、北勝海 千代国 千代,(富士) D S 独立時に破門され、高砂に合流
八角 北勝海 平成5 独立 九重 海鵬、北勝力 隠岐海 北勝、保志 D C

(閉鎖・消滅した部屋:旧井筒、若松)

11月場所限りで中村部屋が師匠停年に伴い閉鎖、力士らは東関部屋に移籍。

あまり部屋数が増えない一門。
独立もないわけではないが、東関、中村が立ち上がれば、若松、大山が高砂に吸収。
錦戸が独立すれば、中村が東関に合流し、全体の数は抑制されている。

八百長問題に伴う九重の辞任で理事不在となっていたが、
24年は時津風一門との協力で八角、九重とかつての2大横綱が選出。
九重はNO.2の事業部長となる。

高砂系ー高砂、東関、錦戸  九重系ー九重、八角


コラム

<近年の傾向>

  戦後生まれの年寄も次々停年退職を迎えており、部屋持ちの大島、式秀、中村と相次いで停年に伴って部屋を閉じた。その他経営難で太寿山の花籠部屋が、さらに若くして急死した久島海の田子ノ浦も志半ばで部屋が消滅した。木瀬部屋の復活があったものの、一時乱造されていた部屋の数は、急激に縮小に向かっている。元理事長の放駒、師匠は理事ながら力士2人の鏡山などもどうなるかわからない。

  力士自体が減少する中、なぜか増え続けた相撲部屋。小さくなるパイを取り合って共倒れになりかねない事態は、日本の大学とソックリだ。それが自然に淘汰されて適正規模になっているとも言えるが、急激な部屋現象の影には独立基準の厳格化により新たな部屋を起こしにくい現実がある。60場所もの幕内在位という高いハードルの前に、部屋を興せる力士はごくわずかとなった。

  当然師匠の最高位は高くなっていく(高学歴化?)のかに思われた。しかし、まだ制定数年とは言え、全く逆の傾向が現れている。部屋表の師匠欄を見てもらえばわかるように、元横綱の青色、元大関の緑色は驚く程少ない。横綱については絶対数が少ない上に、輪島、曙、若乃花が早々と協会を離れ、双羽黒、朝青龍は年寄にもなれずに退職している。元大関はというと、武双山、栃東が若くして部屋を継承したものの、師匠の停年が見えてきた魁皇、千代大海はともかく、師匠と同年代の貴ノ浪、出島らは全く独立の気配はない。一昔前は、旭国、魁傑、貴ノ花、琴風、若嶋津、北天佑などが早々に独立し、大関の特権とも言えた。それ以下の力士の独立にはやはりひと悶着あったものだが、近年はリベラルになってきたのか関脇どころか元平幕でも続々と部屋を興している。もちろん勝算あってのことなのだろう、有望株を育てている。部屋の後継者にも、以前は他の部屋からわざわざ一門の大関を迎え入れたりしていたのが、それよりも部屋の平幕力士という傾向にある。時津海、湊富士、潮丸、北勝鬨、隆の鶴らがそれにあてはまる。事情は特殊だが、元十両の大竜や金親も師匠に収まった。

  もちろん実績と指導者としての資質は別物だが、やはりスカウトの段になると元大関の看板はでかい。夢を抱いて挑戦する叩き上げの力士には、やはり大物親方の存在は大きい。元大関や功労者の琴錦、土佐ノ海ら名関脇の看板も見てみたい。一方で、即戦力となる大卒力士や外国人力士には就職先としての意識が強く、力士時代の実績よりも、部屋の経営者・指導者としてやり手の親方の方が魅力的に映るのだろう。それぞれの特徴を活かして次代のホープを引き上げてほしいところ。


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