home  22年版 23年版 24年版 25年版 26年版 27年版 28年版 現役 平成 昭和

大相撲パラサイト 


部屋データ 26年版

部屋・一門別の勢力を測る「部屋データ」
近年激動の部屋の勢力図を一望する

部屋ごとの詳細ページは24年作成分をベースに不定期で更新する。


一門データ 理事 所属 上位 勢力 主な部屋 代表力士 近年の動き
出羽海一門 11
↑↓
B 春日野、境川、
北湖、藤島、木瀬
豪栄、栃煌
妙義、碧山
三保ヶ関閉鎖 新武蔵川部屋誕生
二所ノ関一門
B 佐渡、田子浦
尾車、片男波
琴奨、稀勢
琴欧、松鳳
本家閉鎖 鳴戸が名称変更
貴乃花グループ
E 阿武松、貴乃花 若荒、大道
貴岩
間垣が閉鎖、伊勢ケ濱部屋に合流
伊勢ケ濱一門
↑↓
A 宮城野、伊勢浜
友綱
白鵬、日馬、
安美、旭天
浅香山が独立
時津風一門 C 時津風、井筒
錣山
鶴竜、豊島
豊真、勢
式秀は一門外から招へい、閉鎖回避
高砂一門 D 高砂、九重
八角
隠岐、千龍 中村閉鎖後は大きな動きなし

データは2月理事選後


<部屋データ 注釈>

師匠現役名:青字は元横綱、緑は元大関。下線は近年継承。

創設形式: 「独立」(旧所属から内弟子を引き連れるなどして分離)
「改称」(名跡変更等により部屋名を変更)
    「継承」(他の部屋を自身の年寄名のまま受け継ぐ)
★は当代の親方が独立。        


出羽一門 所属部屋11 理事3

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
出羽海 鷲羽山 江戸     常陸山、栃木山   出羽 E E SS 旧田子ノ浦から一部移籍
境川 両国 平成10 ★独立後改称 出羽海 岩木山、寶千山 豪栄道,妙義龍 出身等 C B C 中立部屋として独立後名跡変更
藤島 武双山 平成22 継承 出羽海 武蔵丸、出島 翔天狼 武、本名 D C A 旧武蔵川部屋を継承
武蔵川 武蔵丸 平成25 ★独立 藤島     武蔵 F F F 師匠の甥を受け入れ独立
尾上 濱ノ嶋 平成18 ★独立 三保関 把瑠都、境澤 里山、天鎧鵬 本名から C C C
北の湖 北の湖 昭和60 ★独立 三保関 巌雄、北桜 北太樹 北、湖 C C C 木瀬勢が分離
木瀬 肥後ノ海 平成24 ★独立 北の湖 清瀬海 臥牙丸,常幸龍 徳、瀬 B C D 三保から独立後、一旦北の湖に吸収
春日野 栃乃和歌 大正8 独立 出羽海 栃錦、栃ノ海 栃煌山,碧山 C B S 旧田子ノ浦から一部移籍
玉ノ井 栃東 平成2 独立 春日野 二代栃東 富士東,東龍 C C C 初代栃東が独立、停年に伴い継承
入間川 栃司 平成5 ★独立 春日野 皇司、Y司 磋牙司 D D D
千賀ノ浦 舛田山 平成15 ★独立 春日野   舛ノ山 D D E

24年2月、田子ノ浦師匠が死去、力士は出羽海、春日野へ。
5月、北の湖部屋に併合されていた木瀬部屋が再興。
25年2月、元横綱武蔵丸が武蔵川名跡を継承し藤島部屋から独立
25年9月場所限り三保ヶ関部屋が閉鎖

本家出羽海部屋には、分家独立を許さない伝統があったため
功労者の春日野、一時預かりだった三保ヶ関を例外に長らく動きはなかった。
元横綱千代の山の九重さえ独立時には破門されたが、それも昔の話で、近年は緩和されている。
風穴を開けたのは横綱三重ノ海が興した武蔵川部屋(現藤島部屋)。
平成に入って大学相撲出身者を中心に各部屋から独立ラッシュが起こった。


不祥事続きの時代には、大麻事件で北の湖理事長が引責辞任。
暴力団がらみで木瀬がお取潰し。尾上、入間川などからは八百長認定者が続出。
冬の時代を迎えた。

24年は北の湖理事長が復活。木瀬部屋、武蔵川部屋も復活と明るいニュースが目立った。
把瑠都陥落で大関が不在となり、豪栄道らに期待が掛かる。

春日野部屋は元気だが、出羽海からはなかなか関取が復活せず、三保ヶ関は閉鎖。
これも時代の流れ、境川など新勢力が中心を担う。

出羽直系ー出羽海、境川、(三保ヶ関)、(旧武蔵川)
春日野系ー春日野、玉ノ井、入間川、千賀ノ浦 
三保系ー北の湖、木瀬、尾上 旧武蔵川系ー藤島、武蔵川


二所一門 所属部屋10→8 理事2

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
芝田山 大乃国 平成11 ★独立 放駒 大勇武   E E E 25年2月本家の放駒部屋を吸収
峰崎 三杉磯 昭和63 ★独立 放駒 荒鷲 E E E 新花籠部屋を吸収。
田子ノ浦 隆の鶴 平成元 ★独立 二子山 隆乃若、力櫻 稀勢里、高安 隆、里 C B C 証書提出が難航 急遽名跡変更し移転
松ケ根 若嶋津 平成2 ★独立 二子山 若孜、若光翔 松鳳山 E D D 19年に荒磯から行司ら受入
高田川 安芸乃島 昭和49 独立 (高砂) 剣晃、前乃森 竜電 前、安芸 D E C 無所属から23年に二所一門加入
片男波 玉春日 昭和37 独立 二所 玉の海、玉富士 玉鷲、玉飛鳥 C D A 22年に3代目となる
佐渡ヶ嶽 琴ノ若 昭和30 独立 二所 琴桜、琴風 琴欧洲、琴奨菊 B A AA 17年に3代目となる
尾車 琴風 昭和62 ★独立 佐渡 富風、星風 豪風、嘉風 C C C 押尾川部屋を吸収

22年に貴乃花一派が一門離脱
23年、無所属だった高田川が合流。
24年、花籠部屋が閉鎖し峰崎部屋に合流。
25年、師匠停年に伴い放駒部屋が閉鎖。芝田山部屋へ合流。
二所ノ関部屋も閉鎖、松ヶ根部屋へ移籍。
25年暮れ、鳴戸が名跡変更し田子ノ浦部屋と改称。

大きな勢力を有する一門だが、22年理事選における貴乃花親方の一門離脱でヒビが入った。
旧藤島部屋の若手親方ばかりか、前理事の間垣や中堅の阿武松までも一門を出て勢力縮小。

旧花籠からは横綱若乃花、輪島、大関魁傑。
二子山からは横綱若乃花、隆の里、貴乃花、若乃花、大関貴ノ花、若嶋津、貴ノ浪が輩出。
佐渡ヶ嶽からは横綱琴櫻を筆頭に琴風ら4大関。
片男波からは横綱玉の海が出るなど、実績は抜群。

琴奨菊、稀勢の里が立て続けに大関に昇進して現在3大関を擁しているが、
関取のない部屋も多く、全体的な層は薄い。
近年になって押尾川、荒磯、花籠部屋が閉鎖、淘汰の嵐が押し寄せる。
師匠定年の波も押し寄せ、放駒に続いて本家・二所ノ関まで閉鎖。

一門名は当面そのままで連合を続ける。

本家二所ノ関は消滅
旧花籠直系も消滅 (二子山)、(放駒)
放駒系      芝田山、峰崎
二子山系  田子ノ浦、松ヶ根、※高田川(現師匠は元二子山所属)
佐渡系     佐渡ケ嶽、尾車
片男波系       片男波 


★貴乃花グループ 所属部屋5→4 理事1

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
貴乃花 貴乃花 平成16 継承 (二子山) (貴ノ浪) 貴ノ岩 D D E 二子山部屋を一代年寄名で継承
大嶽 大竜 平成16 継承 (大鵬) 露鵬 大砂嵐 珍名多用 D E D 大鵬から継承
阿武松 益荒雄 平成6 ★独立 大鵬 片山、古市 若荒雄、大道 緑、師匠名など C C D 押尾川の弟子、大鵬部屋付から独立
立浪 旭豊 大正4     双葉山、羽黒山   立、浪 E E S 24年立浪一門を離脱し貴派へ合流

二所一門を離脱し無所属となった部屋の連合。通称貴乃花グループ。
旧藤島系二子山部屋の貴乃花、大嶽、さらに改革派の阿武松、元理事の間垣。
立浪など理事選挙で造反表を投じて他一門から合流する勢力も加わった。

25年には間垣が閉鎖したが、伊勢ケ浜部屋に合流。まだ一門というほどの結束はないか。

二所一門から 貴乃花、大嶽、阿武松
立浪一門(現伊勢ケ浜)から  立浪 


伊勢ヶ濱一門 所属部屋6 理事0

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
伊勢ヶ濱 旭富士 平成19 ★改称 (安治川) (照国、清国) 日馬富.安美錦 富士、安 B A C 安治川を継承した現師匠が名跡変更し復活
春日山 M錦 平成9 ★独立 安治川 春日王   春日 E E D 旧春日山の春日富士が再興、継承も訴訟中
追手風 大翔山 平成10 ★独立 友綱 追風海、黒海 遠藤 追風、大翔 D D D 大関清水川が興すも、長く途絶えていた
友綱 魁輝 昭和36 改称 (旧高島) (太刀山)魁皇 魁聖、旭天鵬 魁、太刀 B D C 先々代が高嶋から改称 24年大島を吸収
浅香山 魁皇 平成26 ★独立 友綱       E E F 2月1日付で元大関魁皇が独立
朝日山 大受 大阪     高鐵山、琉王 鬼嵐 朝、受、大 E E C 大阪相撲から続く。23年桐山を吸収
宮城野 竹葉山 昭和35 独立 友綱 明武谷,陸奥嵐 白鵬、大喜鵬   D B C 吉葉山道場が祖。横綱誕生

23年、桐山部屋、高島部屋が閉鎖。
春場所後、大島部屋の師匠停年に伴い、友綱部屋に合流
24年、立浪が造反票を投じたことから離脱。立浪一門を改め、「春日山・伊勢ヶ濱組合」と名乗る。
しかし理事の雷が不祥事で退職し、前名跡であった春日山を外して「伊勢ケ濱一門」に再度改称。
26年に友綱から元魁皇が独立し浅香山部屋が誕生。

巡業などを一緒に行ってきた経緯から、長く「立浪・伊勢ヶ濱連合」と呼ばれていたが、
19年の旧伊勢ヶ濱部屋(元大関清國が停年)閉鎖によって「立浪一門」と改称された。

双葉山・羽黒山らが輩出した名門立浪部屋も、当代への継承時に大揉めとなり混乱。
24年理事選をきっかけに一門を事実上破門。
新生伊勢ケ濱を盟主にして立て直しを図る。

前回は調整に失敗した上に理事の雷も不祥事で退職して一門から理事0の状態だったが、
26年の改選では2人が当選。

立浪系     追手風 
高嶋・友綱系  友綱、宮城野、新・伊勢ケ浜、春日山 
朝日山系    朝日山


時津風一門 所属部屋9 理事2

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
時津風 時津海 昭和20 独立後改称 立浪 鏡里、豊山 時天空、豊ノ島 時(津),豊,双 C C A 双葉山道場が起源
湊  湊富士 昭和56 独立 時津風 湊富士   E E D 元小結豊山が独立、二代目へ
式秀 北桜 平成4 ★独立 時津風 千昇 潮、式 E E E 師匠停年前に関取誕生!
荒汐 大豊 平成14 ★独立 時津風   蒼国来 E D E 初の幕内力士が2年ぶり復活
伊勢ノ海 北勝鬨 江戸 独立 錦島 柏戸,土佐海 伝統名 D D B 昭和期に途絶えるが、再興
鏡山 多賀竜 昭和45 独立 伊勢ノ海 蔵王錦,起利錦 鏡桜 鏡桜 F D D 横綱柏戸 弟子2人ながら関取誕生
陸奥 霧島 昭和49 改称 旧・井筒 白馬、敷島 D E C 旧井筒が名跡変更で陸奥となり、3代目
井筒 逆鉾 昭和52 独立後改称 君ヶ浜 (西ノ海),霧島 鶴竜 E C B 旧井筒から君ヶ浜で独立後、名跡変更
錣山 寺尾 平成16 ★独立 井筒   豊真将、青狼 寺尾- D D D 豊真将が部屋初の三役に

特に大きな動きなし。

3つの系統からなる時津風一門。時津風は双葉山が開祖であり、比較的歴史は浅い。
伊勢ノ海、井筒の方が伝統があるが、何度か途切れるうち時津風一門に合流した。

本家筋からは途切れなく関取が誕生するものの、小部屋に分散して他の一門に比べて劣勢が続く。

24年に鶴竜が一門からは霧島以来となる大関に。各部屋からも僅かずつだが関取が出るようになった。

時津風系ー時津風、湊、式秀、荒汐

伊勢ノ海系ー伊勢ノ海、鏡山

井筒系ー井筒、錣山、陸奥


高砂一門 所属部屋5

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
高砂 朝潮 江戸     小錦,朝青龍 朝赤龍 朝、伝統名 D D S 若松部屋師匠が襲名して合流
東関 潮丸 昭和61 独立 高砂 曙、高見盛   高見 D E B 中村部屋が合流
錦戸 水戸泉 平成14 独立 高砂     水戸 E E F
九重 千代の富士 昭和42 先々代独立 出羽海 北富士,北勝海 千大龍、千代鳳 千代,(富士) B C S 独立時に破門され、高砂に合流
八角 北勝海 平成5 独立 九重 海鵬,北勝力 隠岐海 北勝、保志 C D C

24年11月場所限りで中村部屋が師匠停年に伴い閉鎖、力士らは東関部屋に移籍。

あまり部屋数が増えない一門。
独立もないわけではないが、東関、中村、八角が起ち上がれば、若松、大山が高砂に吸収。
錦戸が独立すれば、中村が東関に合流し、全体の数は安定している。

八百長問題に伴う九重の辞任で理事不在となっていたが、
24年は時津風一門との協力で八角、九重とかつての2大横綱が選出。
九重はNO.2の事業部長となる。

高砂系ー高砂、東関、錦戸  九重系ー九重、八角


コラム

<名門の凋落>

 相撲部屋と言えば、まず一門の総帥たる本家筋の部屋が思い浮かぶ。古来から名力士が輩出し、その伝統が現代まで脈々と引き継がれて、下っ端は名前も覚えてもらえないほどの大所帯。つい10数年前までそんなイメージが通用していた。しかし平成に入ってからの栄枯盛衰の苛烈さは、現代とは変化の激しい時代なのかと思い知らされる。

 これまで長く一門の冠となっていたのは、出羽海、二所ノ関、立浪・伊勢ヶ浜(連合)、時津風、高砂。26年初場所現在、この中で途切れず存続しているのは4部屋、うち関取がいるのは時津風と高砂だけだ。さらに高砂部屋もベテランで故障持ちの朝赤龍が十両を維持しているのみで、新たに昇進しそうな力士も見当たらない。伊勢ケ浜(現在の旭富士の伊勢ヶ濱は別系列で名跡変更によるもの)、二所ノ関は長く関取が不在となって閉鎖。立浪も継承をめぐってのトラブルから部屋を追われ、さらに立浪一門からも破門に近い形で追われ、一門再編が起こった。

 昭和の終わりから平成初期はまだまだ古豪の威厳は保たれていた。それぞれ幕内力士を抱えており、花籠や九重、二子山、佐渡ヶ嶽といった昭和中期に興った新勢力に押されながらも一門の威厳は保っていた。
 出羽海は両国、久島海、舞の海といった大学相撲出身の個性派、部屋付の高崎の息子の小城ノ花、小城錦兄弟もいたが、平成10年代に幕内力士が途絶え、普天王が三役となったがすぐに衰えてついには関取も不在に。
 二所ノ関は、麒麟児、大善と長く頑張った力士に支えられていたが、早くから関取衆が減少。伊勢ケ浜は若瀬川のあとに続く力士がいなかった。そして最後は小部屋同然となって後継の目途が立たずに閉鎖の憂き目に合った。
 立浪も横綱双羽黒が廃業、大翔山、大翔鳳と大学出身力士に期待したが彼らが去ると続く力士が出ず。継承問題もあり、関取が途絶えがちになった。
 比較的元気だったのが高砂で、師匠朝潮の早逝はあったが、後を継いだ富士錦の時代にも大関小錦、関脇水戸泉らが長く取り、その後若松部屋と合併して朝青龍時代がやってきた。ところが朝赤龍が続いたあたりは勢いがあったが、日本人力士がさっぱり出て来ず、朝青龍引退後は朝赤龍頼み。休場であわや関取不在というピンチもあったが、このままでは時間の問題だ。
 時津風部屋は元大関豊山が大学出身力士の先駆けとなった人であり、東農大を中心に強固なパイプを活かして関取が途切れない。時天空、豊ノ島と他のルートからも有力力士が続いて活気がある。しかし19年の新弟子暴行死事件で、双葉山以来の信頼感は失われた。それ以降、新たな有望株が生まれにくくなっているため、安泰ではない。

 名門ならではのしがらみもあるのだろうか、一度萎むとなかなか復活しない。常に強豪を抱えていられるような時代ではないが、九重部屋などは不振の時代を乗り越えて第二第三の拡大期を迎えている。ブランド名が通用しない時代、名門を維持するには、たとえ系統の別を超えて、あるいは一門の枠を超えて指導力の高い、人脈豊富な師匠を迎える必要があるのかもしれない。

 二所ノ関一門は、貴乃花の乱で分裂。さらに拠り所である二所ノ関部屋もなくなった。100年に一度の大再編の時代が来ているのかもしれない。

  


大相撲解体新書

home   back

inserted by FC2 system