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大相撲パラサイト
部屋データ 27年版
部屋・一門別の勢力を測る「部屋データ」
近年激動の部屋の勢力図を一望する
部屋ごとの詳細ページは24年作成分をベースに不定期で更新する。
一門データ | 理事 | 所属 | 上位 | 勢力 | 主な部屋 | 代表力士 | 近年の動き |
出羽海一門 | 3 | 11 | 0 | B | 春日野、境川、 北湖、藤島、木瀬 |
豪栄、栃煌 妙義、碧山 |
待望大関誕生 三役級も充実 |
二所ノ関一門 | 2 | 8 | 2 | B | 佐渡、田子浦 尾車、片男波 |
琴奨、稀勢 松鳳、豪風 |
本家二所が復活 松ケ根が名称変更 |
貴乃花一門 | 1 | 4 | 0 | D | 阿武松、貴乃花 大嶽、立浪 |
大砂、貴岩 阿夢、大道 |
ついに一門として認定 |
伊勢ケ濱一門 | 2 | 6↓ | 2 | A | 宮城野、伊勢濱 友綱 |
白鵬、日馬 遠藤、旭天 |
名門朝日山閉鎖 |
時津風一門 | 1 | 9 | 1 | C | 時津風、井筒 伊勢海、湊 |
鶴竜、逸城 豊島、勢 |
一門の横綱は柏戸以来 |
高砂一門 | 1 | 5 | 0 | D | 高砂、九重 八角 |
隠岐、千龍 千鳳、朝赤 |
中村閉鎖後大きな動きなし |
<部屋データ 注釈>
師匠現役名:青字は元横綱、緑は元大関。下線は近年継承。
創設形式: 「独立」(旧所属から内弟子を引き連れるなどして分離)
「改称」(名跡変更等により部屋名を変更)
「継承」(他の部屋を自身の年寄名のまま受け継ぐ)
★は当代の親方が独立。
★出羽一門 所属部屋11 理事3
部屋名 | 師匠現役名 | 創設年 | 創設形式 | 独立元 | 代表力士 | 現役関取 | 四股名の特徴 | 層 | 勢力 | 実績 | 備考 |
出羽海 | 小城ノ花 | 江戸 | 常陸山、栃木山 | 出羽 | E | E | SS | 旧田子ノ浦から一部移籍 | |||
境川 | 両国 | 平成10 | ★独立後改称 | 出羽海 | 岩木山、寶千山 | 豪栄道,妙義龍 | 出身等 | B | B | C | 中立部屋として独立後名跡変更 |
藤島 | 武双山 | 平成22 | 継承 | 出羽海 | 武蔵丸、出島 | 翔天狼 | 武、本名 | D | D | A | 旧武蔵川部屋を継承 |
武蔵川 | 武蔵丸 | 平成25 | ★独立 | 藤島 | 武蔵 | F | F | F | 師匠の甥を受け入れ独立 | ||
尾上 | 濱ノ嶋 | 平成18 | ★独立 | 三保関 | 把瑠都、境澤 | 里山、天鎧鵬 | 本名から | C | D | C | |
北の湖 | 北の湖 | 昭和60 | ★独立 | 三保関 | 巌雄、北桜 | 北太樹,北播磨 | 北、湖 | C | D | C | 木瀬勢が分離 |
木瀬 | 肥後ノ海 | 平成24 | ★独立 | 北の湖 | 清瀬海 | 臥牙丸,常幸龍 | 徳、瀬 | B | C | D | 三保から独立後、一旦北の湖に吸収 |
春日野 | 栃乃和歌 | 大正8 | 独立 | 出羽海 | 栃錦、栃ノ海 | 栃煌山,碧山 | 栃 | C | B | AA | 旧田子ノ浦から一部移籍 |
玉ノ井 | 栃東 | 平成2 | 独立 | 春日野 | 二代栃東 | 富士東,東龍 | 東 | C | D | C | 初代栃東が独立、停年に伴い継承 |
入間川 | 栃司 | 平成5 | ★独立 | 春日野 | 皇司、Y司 | (磋牙司) | 司 | E | E | D | |
千賀ノ浦 | 舛田山 | 平成15 | ★独立 | 春日野 | 舛ノ山 | 舛 | D | D | E |
24年2月、田子ノ浦師匠が死去、力士は出羽海、春日野へ。
5月、北の湖部屋に併合されていた木瀬部屋が再興。
25年2月、元横綱武蔵丸が武蔵川名跡を継承し藤島部屋から独立
25年9月場所限り三保ヶ関部屋が閉鎖
本家出羽海部屋には、分家独立を許さない伝統があったため、功労者の春日野、一時預かり扱いの三保ヶ関を例外に長らく動きはなかった。元横綱千代の山の九重さえ独立時には破門されたが、それも昔の話で、近年は緩和されている。風穴を開けたのは横綱三重ノ海が興した武蔵川部屋(現藤島部屋)。以降、平成に入って大学相撲出身者を中心に各部屋から独立ラッシュが起こった。
不祥事続きの時代には、弟子の大麻事件で北の湖理事長が引責辞任。暴力団がらみで木瀬がお取潰し。尾上、入間川などからは八百長認定者が続出。冬の時代を迎えたが、24年に北の湖理事長が再登板すると、木瀬部屋、武蔵川部屋が復活。他の一門で部屋の閉鎖が相次ぐうちに、いつの間にか最多の部屋数を抱える一門になった。独立を許さなかった伝統はすっかり昔のことになった。
土俵の上では、把瑠都大関から陥落したが、26年に境川部屋の豪栄道が昇進。その境川勢と、ライバル栃煌山らを擁する春日野部屋が三役を賑わしている。100年幕内力士が途絶えなかった出羽海は関取すら不在が続いたが、出羽疾風の昇進で久しぶりに復活。
出羽直系ー出羽海、境川、(三保ヶ関)、(旧武蔵川)
春日野系ー春日野、玉ノ井、入間川、千賀ノ浦
三保系ー北の湖、木瀬、尾上
旧武蔵川系ー藤島、武蔵川
消滅:三保ケ関、二十山など
★二所一門 所属部屋8 理事2
部屋名 | 師匠現役名 | 創設年 | 創設形式 | 独立元 | 代表力士 | 現役関取 | 四股名の特徴 | 層 | 勢力 | 実績 | 備考 |
芝田山 | 大乃国 | 平成11 | ★独立 | 放駒 | 大勇武 | 魁 | 大 | E | E | E | 25年2月本家の放駒部屋を吸収 |
峰崎 | 三杉磯 | 昭和63 | ★独立 | 放駒 | 荒鷲 | 峰 | E | E | E | 新花籠部屋を吸収。 | |
田子ノ浦 | 隆の鶴 | 平成元 | ★独立 | 二子山 | 隆乃若、力櫻 | 稀勢里、高安 | 隆、里 | C | B | C | 証書提出が難航 急遽名跡変更し移転 |
二所ノ関 | 若嶋津 | 平成2 | ★独立後改称 | 二子山 | 若孜、若光翔 | 松鳳山 | 若 | E | D | D | 19年に荒磯から行司ら受入 |
高田川 | 安芸乃島 | 昭和49 | 独立 | (高砂) | 剣晃、前乃森 | 輝 | 前、安芸 | D | E | C | 無所属から23年に二所一門加入 |
片男波 | 玉春日 | 昭和37 | 独立 | 二所 | 玉の海、玉富士 | 玉鷲、玉飛鳥 | 玉 | C | D | B | 22年に3代目となる |
佐渡ヶ嶽 | 琴ノ若 | 昭和30 | 独立 | 二所 | 琴桜、琴風 | 琴奨菊,琴勇輝 | 琴 | C | C | AA | 17年に3代目となる |
尾車 | 琴風 | 昭和62 | ★独立 | 佐渡 | 富風、星風 | 豪風、嘉風 | 風 | C | C | C | 押尾川部屋を吸収 |
22年に貴乃花一派が一門離脱
23年、無所属だった高田川が合流。
24年、花籠部屋が閉鎖し峰崎部屋に合流。
25年、師匠停年に伴い放駒部屋が閉鎖。芝田山部屋へ合流。
二所ノ関部屋も閉鎖、松ヶ根部屋へ移籍。
25年暮れ、鳴戸が名跡変更し田子ノ浦部屋と改称。
26年末、松ケ根が名跡変更で二所ノ関部屋の名が復活。
昭和の時代から出羽海に対抗する大きな勢力を有した一門だが、22年理事選における貴乃花親方の一門離脱でヒビが入った。旧藤島部屋の若手親方ばかりか、前理事の間垣や中堅の阿武松までも一門を出て勢力縮小。その後、無所属だった高田川が合流した。
大鵬らを擁した二所ノ関部屋から独立したのが旧・花籠、佐渡ヶ嶽、片男波、押尾川。旧花籠からは横綱若乃花、輪島、大関魁傑。二子山からは横綱若乃花、隆の里、貴乃花、若乃花、大関貴ノ花、若嶋津、貴ノ浪が輩出。佐渡ヶ嶽からは横綱琴櫻を筆頭に琴風ら4大関。片男波からは横綱玉の海や名関脇が出るなど、実績は抜群。昭和後半から平成にかけては出羽一門を圧倒した。
現在も琴奨菊、稀勢の里が大関を務めているが、決して層は厚くない。師匠の高齢化で淘汰の波が押し寄せ、元理事長の放駒、本家・二所ノ関まで閉鎖(ともに停年後まもなく死去)。一門名の部屋がないという異常事態だったが、松ケ根部屋が改称して27年から二所ノ関部屋の名前が復活することになった。統廃合の結果、どの部屋にも関取が在籍している。
本家・旧二所ノ関は閉鎖
旧花籠直系も消滅・離脱 (二子山)、(放駒)
放駒系 芝田山、峰崎
二子山系 田子ノ浦、新・二所ノ関
佐渡系 佐渡ケ嶽、尾車
片男波系 片男波
※高田川(元高砂一門、現師匠は元二子山所属)
消滅:旧二所ノ関、新・花籠、放駒、押尾川、荒磯
★貴乃花グループ 所属部屋4 理事1
部屋名 | 師匠現役名 | 創設年 | 創設形式 | 独立元 | 代表力士 | 現役関取 | 四股名の特徴 | 層 | 勢力 | 実績 | 備考 |
貴乃花 | 貴乃花 | 平成16 | 継承 | (二子山) | (貴ノ浪) | 貴ノ岩 | 貴 | D | D | E | 二子山部屋を一代年寄名で継承 |
大嶽 | 大竜 | 平成16 | 継承 | (大鵬) | (巨砲)、露鵬 | 大砂嵐 | 珍名,大 | E | D | D | 大鵬から継承 |
阿武松 | 益荒雄 | 平成6 | ★独立 | 大鵬 | 若荒雄、片山 | 阿夢露、大道 | 緑、阿など | C | C | D | 押尾川の弟子、大鵬部屋付から独立 |
立浪 | 旭豊 | 大正4 | 双葉山、羽黒山 | 立、浪 | E | E | S | 24年立浪一門を離脱し貴派へ合流 |
二所一門を離脱し無所属となった部屋の連合。貴乃花グループと呼ばれていたが、ついに一門として認められた。旧二子山部屋の貴乃花、大嶽、さらに改革派の阿武松、立浪など理事選挙で造反表を投じた勢力も加わった。25年には間垣が閉鎖。土俵の上では大砂嵐ら外国勢が関取として健闘中。
二所一門から 貴乃花、大嶽、阿武松
立浪一門(現伊勢ケ浜)から 立浪
消滅:間垣
★伊勢ヶ濱一門 所属部屋6 理事0
部屋名 | 師匠現役名 | 創設年 | 創設形式 | 独立元 | 代表力士 | 現役関取 | 四股名の特徴 | 層 | 勢力 | 実績 | 備考 |
伊勢ヶ濱 | 旭富士 | 平成19 | ★改称 | (安治川) | (照国、清国) | 日馬富.安美錦 | 富士、安 | B | A | B | 安治川を継承した現師匠が名跡変更し復活 |
春日山 | M錦 | 平成9 | 独立 | 安治川 | 春日王 | 春日 | E | E | D | 旧春日山の春日富士が再興 | |
追手風 | 大翔山 | 平成10 | ★独立 | 友綱 | 追風海、黒海 | 遠藤 | 追風、大翔 | D | D | D | 大関清水川が興すも、長く途絶えていた |
友綱 | 魁輝 | 昭和36 | 改称 | (旧高島) | (太刀山)魁皇 | 魁聖、旭天鵬 | 魁、太刀 | B | D | C | 先々代が高嶋から改称 24年大島を吸収 |
浅香山 | 魁皇 | 平成26 | ★独立 | 友綱 | 魁 | F | F | F | 朝日山部屋から一部力士が移籍 | ||
宮城野 | 竹葉山 | 昭和35 | 独立 | 友綱 | 明武谷,陸奥嵐 | 白鵬 | D | B | C | 吉葉山道場が祖。 |
23年、桐山部屋、高島部屋が閉鎖。
春場所後、大島部屋の師匠停年に伴い、友綱部屋に合流
24年、立浪が造反票を投じたことから離脱。立浪一門を改め、「春日山・伊勢ヶ濱組合(連合)」と名乗る。
しかし理事の雷(前・春日山)が不祥事で退職し、「伊勢ケ濱一門」に再度改称。
26年に友綱から元魁皇が独立し浅香山部屋が誕生したが、大阪相撲から続く名門・朝日山が今年いっぱいで閉鎖。
力士は伊勢ケ濱、浅香山へ移籍。
巡業などを一緒に行ってきた経緯から、長く「立浪・伊勢ヶ濱連合」と呼ばれていたが、19年の旧伊勢ヶ濱部屋(元大関清國が停年)閉鎖によって「立浪一門」と改称された。双葉山・羽黒山らが輩出した名門立浪部屋も、当代への継承時に大揉めとなり混乱。24年理事選で一門を事実上破門され、旭富士の安治川が襲名した新生伊勢ケ濱を盟主に立て直しを図る。朝日山も師匠停年で閉鎖、部屋数はこの4年で10から6にまで減った。
土俵上では、白鵬、日馬富士の不知火型2横綱を擁してかつてない繁栄。伊勢ケ濱勢も元気だ。40歳旭天鵬、新鋭遠藤と話題性も豊富だ。
部屋の変遷はかなり複雑。以下にはあえて閉鎖した部屋も()付で入れて整理した。立浪一門(立浪系、高嶋・友綱系)と伊勢ケ浜一門に分けられるが、出羽や二所のように樹形図に収まるものではなく、どちらも自然集合的に集まった寄合所帯で、かつ師弟関係や系統を超えての継承、吸収・改称、復活が繰り返されて非常に理解しにくい。
立浪部屋から独立した元大関旭国の弟子である横綱旭富士は、引退後安治川部屋を継承。この安治川部屋というのがまたややこしく、宮城野部屋で活躍した陸奥嵐が引退後に友綱部屋に移籍してから独立したもの。陸奥嵐の安治川部屋は立浪部屋から独立した春日山を吸収している。そして平成19年に旭富士の安治川は伊勢ケ濱と改称。立浪の孫弟子が、友綱系の安治川を継承して、伊勢ケ浜一門の盟主の名を復活させるという荒業だ。
昭和では、高嶋、友綱、熊ヶ谷などが独立と名跡変更で新旧入り混じっており、さらに複雑だ。
貴重な独立系統を持った朝日山も閉鎖されてしまった現在、もはやこの一門には系統という概念は持ち込めない。
立浪系 追手風、(大島)、春日山
高嶋・友綱系 (高島)、友綱、浅香山、宮城野、新・伊勢ケ浜(安治川)
旧伊勢ケ浜一門 (旧・伊勢ケ浜)、(旧・荒磯)、(朝日山)
消滅:朝日山、大島、桐山、高島、旧伊勢ケ浜、熊ヶ谷
★時津風一門 所属部屋9 理事2
部屋名 | 師匠現役名 | 創設年 | 創設形式 | 独立元 | 代表力士 | 現役関取 | 四股名の特徴 | 層 | 勢力 | 実績 | 備考 |
時津風 | 時津海 | 昭和20 | 独立後改称 | 立浪 | 鏡里、豊山 | 時天空,豊ノ島 | 時(津),豊,双 | C | C | A | 双葉山道場が起源 |
湊 | 湊富士 | 昭和56 | 独立 | 時津風 | 湊富士 | 逸ノ城 | 湊 | E | C | D | 元小結豊山が独立、二代目へ |
式秀 | 北桜 | 平成4 | ★独立 | 時津風 | 千昇 | 潮、式 | E | E | E | 師匠停年前に関取誕生! | |
荒汐 | 大豊 | 平成14 | ★独立 | 時津風 | 蒼国来 | 荒 | E | D | E | 初の幕内力士が2年ぶり復活 | |
伊勢ノ海 | 北勝鬨 | 江戸 | 独立 | 錦島 | 柏戸,土佐海 | 勢 | 伝統名 | E | C | B | 昭和期に途絶えるが、再興 |
鏡山 | 多賀竜 | 昭和45 | 独立 | 伊勢ノ海 | 蔵王錦,起利錦 | 鏡桜 | 鏡桜 | F | D | D | 横綱柏戸 弟子2人ながら関取誕生 |
陸奥 | 霧島 | 昭和49 | 改称 | 旧・井筒 | 白馬、敷島 | 霧 | D | E | C | 旧井筒が名跡変更で陸奥となり、3代目 | |
井筒 | 逆鉾 | 昭和52 | 独立後改称 | 君ヶ浜 | (西ノ海),霧島 | 鶴竜 | 鶴 | E | B | B | 旧井筒から君ヶ浜で独立後、名跡変更 |
錣山 | 寺尾 | 平成16 | ★独立 | 井筒 | (豊真将),青狼 | 寺尾- | D | D | D | 豊真将が部屋初の三役に |
特に大きな動きなし。
3つの系統からなる時津風一門。時津風は双葉山が開祖であり、比較的歴史は浅い。伊勢ノ海、井筒の方が伝統があるが、何度か途切れるうち時津風一門に合流した。
本家筋からは途切れなく関取が誕生するものの、小部屋に分散して他の一門に比べて劣勢が続いた。しかし他の一門に比べて閉鎖される部屋は少なく、部屋数だけなら出羽海一門に次ぐ勢力になった。
井筒部屋の鶴竜が24年に霧島以来となる大関に。さらに26年は伊勢ノ海部屋の柏戸以来となる横綱に昇進。さらに彗星のごとく現れた逸ノ城がはや関脇に。勢の台頭、解雇された蒼国来の復活と明るいニュースも多い。
時津風系ー時津風、湊、式秀、荒汐
伊勢ノ海系ー伊勢ノ海、鏡山
井筒系ー井筒、錣山、陸奥
★高砂一門 所属部屋5
部屋名 | 師匠現役名 | 創設年 | 創設形式 | 独立元 | 代表力士 | 現役関取 | 四股名の特徴 | 層 | 勢力 | 実績 | 備考 |
高砂 | 朝潮 | 江戸 | 小錦,朝青龍 | 朝赤龍 | 朝、伝統名 | E | D | S | 若松部屋師匠が襲名して統合 | ||
東関 | 潮丸 | 昭和61 | 独立 | 高砂 | 曙、高見盛 | (華王錦) | 高見 | D | E | B | 中村部屋が合流 |
錦戸 | 水戸泉 | 平成14 | 独立 | 高砂 | 水戸 | E | E | F | |||
九重 | 千代の富士 | 昭和42 | 先々代独立 | 出羽海 | 北富士,北勝海 | 千大龍、千代鳳 | 千代,(富士) | B | C | S | 独立時に破門され、高砂に合流 |
八角 | 北勝海 | 平成5 | 独立 | 九重 | 海鵬,北勝力 | 隠岐海 | 北勝、保志- | C | D | C |
24年11月場所限りで中村部屋が師匠停年に伴い閉鎖、力士らは東関部屋に移籍。
あまり部屋数が増えない一門。
独立もないわけではないが、東関、中村、八角が起ち上がれば、若松、大山が高砂に吸収。
錦戸が独立すれば、中村が東関に合流し、全体の数は安定して推移している。
24年は時津風一門との協力で八角、九重とかつての2大横綱が選出されたが、26年は事業部長の九重がまさかの落選。
土俵上では、九重部屋の力士が大挙して関取に駆け上がり、26年は2人の新三役が誕生した。
高砂系ー高砂、東関、錦戸 九重系ー九重、八角
消滅・合併:若松、大山、中村
<コラム>
継承問題
ここ数年、何十年も名門部屋の看板を看板を背負ってきた親方たちが協会を去った。
バブル期あたりから「年寄株の値段」は高騰。それに伴って部屋の継承時のトラブルが相次いだ。実弟への継承時の申告漏れで、億単位の金額が明るみに出た二子山部屋。婿養子へ継承した立浪部屋では泥沼の法廷闘争となり、数々の強豪を生んだ伝統の稽古場を力士自ら取り壊す姿は痛々しかった。ましてや「他人」である弟子への継承では相当な負担があったことが予想される。また、景気の低迷から、伝統ある部屋といえどもタニマチも細って継承するメリットも減ってきたのだろう。
そういう時代を経て、この10年ほどは部屋の継承者がいないという事態が相次いだ。大金を積んで、古くからの後援者の重圧ばかり強くてやりにくい部屋をわざわざ継承する者はいない。
今となってはその予兆だったのかと思われる出来事があった。平成15年に元横綱の年寄・曙が、突如総合格闘技に転身。ハワイからスカウトした高見山の東関親方にとっては、数年後に当然後継者となるはずの愛弟子に逃げられたわけだ。三保ヶ関部屋も後継を予定されていた濱ノ嶋の尾上が独立という道を選び、師匠停年時に継承者不在で閉鎖。名門部屋が復活するケースでも、安治川が伊勢ケ浜を、松ケ根が二所ノ関を襲ったように、系統の違う新興の部屋が伝統をリスペクトしつつ箔をつける意味合いが強く、実態は部屋の復活というより名跡の変更にすぎない。せめても元所属の力士が襲名すれば復活とも言えるのだが。
親方が第二の相撲人生をかけて築いた部屋。それなりの成功を収めた力士がいるのに、一代限りで閉鎖されてしまうのはあまりに寂しい。二代、三代と続いていくなかで技であったり個性であったりと不思議な伝統が生まれていくのが大相撲の醍醐味のひとつ。激変の時代だからこそ、踏ん張り時である。
再雇用制度
さて、平成26年の出来事として、再雇用制度の創設があった。65歳の停年を迎えた親方を最長70歳まで再雇用するものである。これについては、もともと一般企業より長い65歳が停年なのにとか、これから引退する力士の年寄株取得が難しくなるとか、停年間近の親方が多い理事会で強引に決めた、などの批判はもっともである。
しかし、実力ある親方を年齢だけで手放すのは損失だという理屈も建前論とばかりは言えない。近年部屋の師匠の最高位が低いと感じられる人も多いだろう。先述の東関部屋を継承した潮丸をはじめ、元平幕の師匠も少なくない。もちろん名力士名伯楽にあらずではあるが、元横綱や元大関の部屋というのはカリスマがあるし、指導者としてもトップレベルでの経験は大きな武器になる。だが、平成以降の昇進基準厳格化のため、かつてに比べて横綱・大関の絶対数が大きく減ってしまっている。さらにここ10年は上位陣の半分を外国勢が占めることが平常化。上位どころか、幕内の半数近くを占めており、彼らは帰化しない限り年寄として残ることはできないので、近い将来、指導者層がますます薄くなるのは明らかだ。
団塊の世代はかなり姿を消したが、北の湖理事長らニッパチ世代は再雇用で残ることができる。この年代にはかつての名力士もまだまだ残っている。再雇用制度だけでは、根本的な解決にはならず、新陳代謝は悪くなるかもしれないが、技術の継承という意味では現実に則した施策だとは思う。指導者の層を厚くするなら、外国人力士を含め引退後に年寄株を取得できずに流出していく人材の確保について検討する必要がある。再雇用があるなら、有期雇用を含めた人材の有効活用も検討の余地があると考える。