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大相撲パラサイト 


部屋データ 29年版

一門・部屋別の勢力を測る「部屋データ」
激動の時代を迎えた一門・部屋の動向を探る

(1月場所中更新)

部屋ごとの詳細ページは24年作成分をベースに不定期で更新する。


一門データ 理事 所属 上位 勢力 主な部屋 代表力士 直近V 近年の動き
出羽海一門 11 B 春日野、境川
木瀬、山響
豪栄、栃煌
妙義、御嶽
豪栄道 北の湖死去、山響部屋として継承
二所ノ関一門 B 佐渡、田子浦
尾車、片男波
琴奨、稀勢
嘉風、玉鷲
琴奨菊 元琴錦が独立も、伊浜一門へ移籍
貴乃花一門 D 阿武松、貴花
大嶽、立浪
大砂、貴岩
阿夢、貴景
  出羽の千賀ノ浦部屋を音羽山が継承
伊勢ケ濱一門 5↓ A 宮城野、伊勢濱
友綱、浅香山
白鵬、日馬
照富、魁聖
日馬富 春日山を預かった追手風が離脱
時津風一門 9↑ C 時津風、井筒
伊勢海、湊
鶴竜、逸城
正代、勢
鶴竜 追手風が移籍加入
高砂一門 D 高砂、九重
八角
隠岐、千龍
千鳳、朝赤
朝青龍 一門から戦後初、八角理事長誕生

<部屋データ 注釈>

師匠現役名:青字は元横綱、緑は元大関。下線は近年継承。

創設形式: 「独立」(旧所属から内弟子を引き連れるなどして分離)
「改称」(名跡変更等により部屋名を変更)
    「継承」(他の部屋を自身の年寄名のまま受け継ぐ)
★は当代の親方が独立。        


出羽一門 所属部屋11 理事4

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
出羽海 小城ノ花 江戸     常陸山、栃木山 御嶽 出羽 D D SS 旧田子ノ浦から一部が移籍
境川 両国 平成10 ★独立後改称 出羽海 岩木山、寶千山 豪栄,妙義 出身等 B B C 中立部屋として独立後名跡変更
藤島 武双山 平成22 継承 出羽海 武蔵丸、出島 (翔天狼) 武、本名 D D A 旧武蔵川部屋を継承
武蔵川 武蔵丸 平成25 ★独立 藤島     武蔵 E F F 先代の名跡で独立
尾上 濱ノ嶋 平成18 ★独立 三保関 把瑠都、境澤 里山,(天鎧) 本名から C D C
山響 巖雄 昭和60 継承 (北の湖) 巌雄、北桜 北太,北磨 北、湖 C D C 北の湖部屋を継承
木瀬 肥後ノ海 平成24 ★独立 北の湖 清瀬海 臥牙,徳勝 徳、瀬 B C D 三保から独立後、一時北湖預かり
春日野 栃乃和歌 大正8 独立 出羽海 栃錦、栃ノ海 栃煌,栃心 C B AA 旧田子ノ浦、三保ヶ関から受入
玉ノ井 栃東 平成2 独立 春日野 二代栃東 東龍,(富東) C D C 初代栃東が独立、停年に伴い継承
入間川 栃司 平成5 ★独立 春日野 皇司、Y司 (磋牙司) E E D
式秀 北桜 平成4 独立 時津風 千昇 潮,式,珍名 E E E 北の湖の弟子、一門外の名跡継承

24年2月、田子ノ浦師匠が死去、力士は出羽海、春日野へ。
5月、北の湖部屋に併合されていた木瀬部屋が再興。
25年2月、元横綱武蔵丸が武蔵川名跡を継承し藤島部屋から独立
25年9月場所限り三保ヶ関部屋が閉鎖
26年、時津風一門の式秀を北の湖部屋付の元北桜が継承し、一門に加わる。

 本家出羽海部屋には、分家独立を許さない伝統があり、功労者の春日野、一時預かりだった三保ヶ関を例外に、弟子は多いが部屋数はコンパクトな一門を形勢していた。元横綱千代の山の九重でさえ独立時に破門となったが、今やそれも昔の話。昭和の終わりに横綱三重ノ海が武蔵川部屋(現藤島部屋)を興して以降、平成に入ると続々と独立した。春日野、三保ヶ関からも次々独立。独立したのは大卒力士が多く、各自の人脈を活かしてスカウトに励んで早々に関取を生んで、一門は発展した。

 分家が活躍する一方、3つの本家筋は長らく低迷。関取は出すが大卒頼みで層に厚みがなく、出羽海は100年余ぶりに関取不在、三保ヶ関は後継者がなく閉鎖した。

 土俵上では、尾上部屋の把瑠都に代わって26年に境川部屋の豪栄道が大関昇進。春日野部屋も3人の関脇を出して上位を賑わす。木瀬部屋も絶えず個性派の大卒関取が輩出、小兵の宇良が人気沸騰。出羽海は、御嶽海が三役に躍進し復活の気配。一時代を築いた武蔵川は、藤島と武蔵川に分かれて現在再建中。関取は途絶えたが、弟子を増やしつつある。

出羽直系ー出羽海、境川、(三保ヶ関)、(旧・武蔵川)
春日野系ー春日野、玉ノ井、入間川、千賀ノ浦 
三保系ー山響、木瀬、尾上、式秀?
武蔵川系ー藤島、新・武蔵川

消滅:三保ケ関、二十山、北の湖など


二所一門 所属部屋8↑↓ 理事2

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
芝田山 大乃国 平成11 ★独立 放駒 大勇武 (魁),(若島) 大,魁 E E E 25年2月本家の放駒部屋を吸収
峰崎 三杉磯 昭和63 ★独立 放駒 荒鷲 E E E 新花籠部屋を吸収
田子ノ浦 隆の鶴 平成25 改称 (鳴戸) 隆乃若,力櫻 稀勢,高安 隆、里 C B C 二子山から独立、当代が名跡変更
二所ノ関 若嶋津 平成26 ★独立後改称 (松ヶ根) 若孜,若光翔 松鳳 E D D 二子山から独立、のち名跡変更
高田川 安芸乃島 昭和49 独立 高砂 剣晃,前乃森 前,安芸 D E C 無所属から23年に当代が一門加入
片男波 玉春日 昭和37 独立 二所 玉の海,玉富士 玉鷲 C D B 22年に3代目となる
佐渡ヶ嶽 琴ノ若 昭和30 独立 二所 琴桜,琴風 琴奨,琴勇 C C A 17年に3代目となる
尾車 琴風 昭和62 ★独立 佐渡 富風,星風 豪風,嘉風 C C C 押尾川部屋を吸収

22年に貴乃花一派が一門離脱
25年、二所ノ関部屋が閉鎖。一門名は変更せず
25年暮れ、鳴戸が名跡変更し田子ノ浦部屋と改称。
26年末、松ケ根が名跡変更し二所ノ関部屋が復活。

 昭和の時代から出羽海に対抗する大きな勢力を有した一門だが、22年理事選における貴乃花親方の一門離脱でヒビが入った。旧藤島部屋の若手親方ばかりか、前理事の間垣や中堅の阿武松までも一門を出て勢力縮小。その後、無所属だった高田川が合流した。

 大鵬らを擁した二所ノ関部屋から独立したのが旧・花籠、佐渡ヶ嶽、片男波、押尾川。旧花籠からは横綱若乃花、輪島、大関魁傑。二子山からは横綱若乃花、隆の里、貴乃花、若乃花、大関貴ノ花、若嶋津、貴ノ浪が輩出。佐渡ヶ嶽からは横綱琴櫻を筆頭に琴風ら4大関。片男波からは横綱玉の海や名関脇が出るなど、実績は抜群。昭和後半から平成にかけては出羽一門を圧倒した。

 現在も琴奨菊、稀勢の里が大関を務めているが、決して層は厚くない。師匠の高齢化で淘汰の波が押し寄せ、元理事長の放駒、本家・二所ノ関まで閉鎖(ともに停年後まもなく死去)。一門名の部屋がないという異常事態だったが、松ケ根部屋が改称して27年から二所ノ関部屋の名前が復活することになった。統廃合の結果、どの部屋にも関取経験者が在籍している。近年名跡変更が増加し、ひと昔前からすっかり様変わり。昭和から安定しているのは佐渡ヶ嶽、片男波くらいだ。

(旧二所ノ関)ー(旧花籠)、片男波、佐渡ヶ嶽、(大鵬)、(押尾川)
(旧花籠)ー(二子山・貴乃花)
(二子山)ー(藤島)、(間垣)、松ケ根・新二所ノ関、鳴戸・新田子ノ浦


放駒系      芝田山、峰崎
二子山系 田子ノ浦、新・二所ノ関
      ※高田川(先代は元高砂、現師匠は元二子山)
佐渡系    佐渡ケ嶽、尾車
片男波系       片男波

消滅:旧二所ノ関、新・花籠、放駒、押尾川、荒磯
離脱:貴乃花(前二子山)、大嶽(前大鵬)、阿武松、間垣


★貴乃花一門 所属部屋5 理事1

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
貴乃花 貴乃花 平成16 継承 (二子山) (貴ノ浪) 貴岩,貴景 D D E 二子山部屋を一代年寄名で継承
大嶽 大竜 平成16 継承 (大鵬) (巨砲)、露鵬 大砂嵐 珍名,大 E D D 大鵬から継承
阿武松 益荒雄 平成6 ★独立 大鵬 若荒雄、片山 阿夢露 緑、阿 C C D 押尾川の弟子、大鵬部屋付から独立
立浪 旭豊 大正4     双葉山、羽黒山 力真 立、浪 D E S 立浪一門を離脱し貴派へ合流
千賀ノ浦 隆三杉 平成15 独立 春日野   (舛ノ山) D E E 師匠停年 28年4月出羽一門から移籍

 22年の理事選に強行出馬した貴乃花を支持し、二所ノ関一門を離脱した親方衆は、しばらくは「貴乃花グループ」と称されて無所属扱いだったが、貴乃花理事が二選するに至り、一門として認められた。貴乃花、大嶽、阿武松、間垣の4部屋でスタート。元貴闘力・大嶽の解雇、元貴ノ浪・音羽山の急逝、間垣の閉鎖など困難も多かったが、他の一門からの支持者も多く貴乃花は理事長戦に出馬するまでになった。理事選挙で造反表を投じた勢力も加わり、一門の本家立浪まで加わった。元隆三杉が千賀ノ浦を継承し、過去最多の5部屋に拡大。

28年、出羽一門・元舛田山の千賀ノ浦停年に際し、貴乃花部屋付の隆三杉が継承。一門に加わった。

二所一門から 貴乃花、大嶽、阿武松
立浪一門(現伊勢ケ浜)から  立浪

消滅:間垣⇒一門外の伊勢ケ濱部屋へ移籍


伊勢ヶ濱一門 所属部屋5 理事1

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
伊勢ヶ濱 旭富士 平成19 ★改称 (安治川) (照国、清国) 日馬富.照富士 富士(安) B A B 安治川を継承した現師匠が名跡変更
友綱 魁輝 昭和36 改称 (旧高島) (太刀山)魁皇 魁聖、旭日松 魁、太刀 B D C 先々代が高嶋から改称 24年大島を吸収
浅香山 魁皇 平成26 ★独立 友綱     F F F 朝日山部屋から一部力士が移籍
宮城野 竹葉山 昭和35 独立 友綱 明武谷,陸奥嵐 白鵬,石浦 本名 C B C 吉葉山道場が祖
朝日山 琴錦 平成28 独立 尾車 (荒馬)     F F F 28年6月に独立、29年1月に移籍加入

かつて立浪・伊勢ケ浜連合、立浪一門などと称した一門。
大阪相撲から続く名門・朝日山が26年限りで閉鎖。力士は伊勢ケ濱、浅香山へ移籍。
その後名跡は二所一門に渡って元琴錦が独立し、29年から移籍加入したことで元の一門で朝日山部屋が復活。
一方で、師匠不適格とされた春日山部屋は追手風部屋の預かりとなり閉鎖、不服として10数名が引退。
新師匠が決まれば再興もと含みを残したが、預かり先の追手風は直後一門を移ってしまいますます混迷。

 巡業などを一緒に行ってきた経緯から、長く「立浪・伊勢ヶ濱連合」と呼ばれていたが、19年の旧伊勢ヶ濱部屋(元大関清國が停年)閉鎖によって「立浪一門」と改称された。双葉山・羽黒山らが輩出した名門立浪部屋も、当代への継承時に大揉めとなり混乱。24年理事選で一門を事実上破門され、旭富士の安治川が襲名した新生伊勢ケ濱を盟主に立て直しを図る。朝日山も師匠停年で閉鎖、部屋数はこの4年で10から6にまで減った。

 土俵上では、白鵬、日馬富士の不知火型2横綱を擁してかつてない繁栄。伊勢ケ濱勢も元気だ。40歳旭天鵬、新鋭遠藤と話題性も豊富だ。

 部屋の変遷はかなり複雑。以下にはあえて閉鎖した部屋も()付で入れて整理した。立浪一門(立浪系、高嶋・友綱系)と伊勢ケ浜一門に分けられるが、出羽や二所のように樹形図に収まるものではなく、どちらも自然集合的に集まった寄合所帯で、かつ師弟関係や系統を超えての継承、吸収・改称、復活が繰り返されて非常に理解しにくい。
 立浪部屋から独立した元大関旭国の弟子である横綱旭富士は、引退後安治川部屋を継承。この安治川部屋というのがまたややこしく、宮城野部屋で活躍した陸奥嵐が引退後に友綱部屋に移籍してから独立したもの。陸奥嵐の安治川部屋は立浪部屋から独立した春日山を吸収している。そして平成19年に旭富士の安治川は伊勢ケ濱と改称。立浪の孫弟子が、友綱系の安治川を継承して、伊勢ケ浜一門の盟主の名を復活させるという荒業だ。
 昭和では、高嶋、友綱、熊ヶ谷などが独立と名跡変更で新旧入り混じっており、さらに複雑だ。
 貴重な独立系統を持った朝日山も閉鎖されてしまった現在、もはやこの一門には系統という概念は持ち込めない。

高嶋・友綱系  (高島)、友綱、浅香山、宮城野、(安治川→現・伊勢ケ濱)
    伊勢ケ濱系 伊勢ケ濱
旧伊勢ケ浜一門 (旧・伊勢ケ浜)、(旧・荒磯)、(旧・朝日山)

消滅:旧・朝日山、大島、桐山、高島、旧伊勢ケ浜、熊ヶ谷、春日山
移籍:立浪、追手風


時津風一門 所属部屋8 理事2

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
時津風 時津海 昭和20 独立後改称 立浪 鏡里,豊山 正代,小柳 時(津),豊,双 C C A 双葉山道場が起源
湊  湊富士 昭和56 独立 時津風 湊富士 逸ノ城 E D D 元小結豊山が独立
荒汐 大豊 平成14 ★独立 時津風   蒼国来 E D E 初の幕内力士が2年ぶり復活
伊勢ノ海 北勝鬨 江戸 独立 錦島 柏戸,土佐海 勢,錦木 伝統名 E C B 昭和期に途絶えるがすぐ再興
鏡山 多賀竜 昭和45 独立 伊勢海 蔵王錦,起利錦 (鏡桜) F D D 横綱柏戸 弟子2人ながら関取誕生
陸奥 霧島 昭和49 改称 (旧井筒) 白馬,敷島 D E C 旧井筒が名跡変更で陸奥となり、3代目
井筒 逆鉾 昭和52 独立後改称 (君ヶ浜) (西ノ海),霧島 鶴竜 E B B 旧井筒から君ヶ浜で独立後、名跡変更
錣山 寺尾 平成16 ★独立 井筒 豊真将 青狼 寺尾- D D D 兄の井筒部屋から独立
追手風 大翔山 平成10 ★独立 友綱 追風海,黒海 遠藤,大翔丸 追風,大翔 B C D 現師匠が再興。28年末に一門を移籍

追手風が伊勢ケ濱一門より移籍して久々の部屋増。

 3つの系統からなる時津風一門。時津風は双葉山が開祖で、比較的歴史は浅い。 双葉山のカリスマで誕生、成長した一派で系統はバラバラながら、それなりの結束を見せている。本家よりも伊勢ノ海や井筒の方が伝統があるが、何度か途切れるうち時津風一門に合流した。

 各本家筋からはほぼ途切れることなく関取が誕生するものの、小部屋に分散しており他の一門に比べて劣勢が続いた。しかし他の一門に比べて閉鎖される部屋は少なく、部屋数だけなら出羽海一門に次ぐ勢力になった。

 井筒部屋の鶴竜が一門からは20年ぶりの大関に。さらに26年に伊勢ノ海部屋の柏戸以来となる横綱に昇進。逸ノ城の登場、さらに超人気力士・遠藤を擁する追手風が加入と、明るいニュースも多い。時津風部屋は長く幕内を張った時天空が引退、豊ノ島もケガで幕下に落ちたが、正代が一気に関脇まで駆け上がり、豊山襲名の噂があるホープの小柳も出てきて世代交代は心配なさそう。荒汐の蒼国来はブランクを忘れさせる活躍で部屋初の三賞。

時津風系ー時津風、湊、式秀、荒汐
伊勢ノ海系ー伊勢ノ海、鏡山
井筒系ー井筒、錣山、陸奥
他ー追手風(移籍)


高砂一門 所属部屋5

部屋名 師匠現役名 創設年 創設形式 独立元 代表力士 現役関取 四股名の特徴 勢力 実績 備考
高砂 朝潮 江戸     朝潮,朝青龍 (朝赤龍,朝弁慶) 朝、伝統名 E D S 若松部屋師匠が襲名して統合
東関 潮丸 昭和61 独立 高砂 曙,高見盛 (華王錦) 高見 D E B 中村部屋が合流
錦戸 水戸泉 平成14 ★独立 高砂     水戸 E E F
九重 千代大海 昭和42 独立 出羽海 北富士,北勝海 千大龍,千代鳳 千代,(富士) B C S 独立時に破門され、高砂に合流
八角 北勝海 平成5 ★独立 九重 海鵬,北勝力 隠岐海,北勝富 北勝、保志- C C C

大きな変化なし

あまり部屋数が増えない一門。
独立もないわけではないが、東関、中村、八角が起ち上がれば、若松、大山が高砂に吸収。
錦戸が独立すれば、中村が東関に合流し、全体の数は安定して推移している。

元北勝海の八角が北の湖の後を受けて理事長に就いた。
兄弟子の千代の富士の死去を受け、直弟子の佐ノ山(元大関千代大海)が九重を継承。

朝青龍、千代大海がいた平成10年代は盛り上がったが、
近年は九重部屋から多数の関取が出ているほかは苦戦が続いた。
本家高砂は朝赤龍の陥落で百数十年ぶりの関取断絶となったが、
若手が伸びてきて1場所で快勝。八角も北勝富士が台頭。

高砂系ー高砂、東関、錦戸
九重系ー九重、八角

消滅・合併:若松、大山、中村


崩壊寸前?一門について

 

  いよいよ危機的な状況を迎えた一門制度。かつては同じ部屋から派生した集団や、共に巡業を回った一派が形成した「一門」。戦前の東西制を経て、昭和40年に現在の部屋別総当りとなるまでは、部屋が違っても同じ一門同士は対戦することがなかった。

当時はファン待望の好カードが実現するとあって歓迎されたが、出羽海の佐田の山と春日野の栃ノ海などは共に稽古で汗を流し、同じ釜の飯を食った間柄で、非常に複雑だったらしい。それだけ一門内の関係は親密だった。中には部屋といいつつも稽古場も持たず、本家を借りているような小部屋も存在した。それでもやっていけたのは対戦のない一門という単位で成り立っていたからだ。それが部屋別総当たりとなった機会に、不利な小部屋は本家筋に吸収されるなど、徐々に再編が生じ、関係にも変化が生じてきた。一門の結束は弱まり、部屋ごとの独立性が高くなっていった。

 輪湖の時代には、出羽一門総出で北の湖を強化し、輪島、貴ノ花らの花籠勢に対抗する動きがあったり。ところが千代の富士の出稽古は、二所一門の佐渡ヶ嶽へ琴風詣で。所属する高砂一門にこだわらずに出掛けていった。土俵入りでは太刀持ち・露払いを時津風一門の井筒兄弟を従えることも。逆に元横綱隆の里の鳴戸部屋のように、本場所で情が移るからと出稽古をしないで「鎖国」方針を取る部屋もある。

 

 ただ、力士にとって一門の意味は薄れても、親方たちの世界では依然一門の違いは大きな意味を持っていた。理事選が最たるもので、一門ごとに候補者を絞り厳格に投票先を管理する。本音では気に入らなくても、一門の掟は絶対、事前に投票先が割り振られるため、ほとんどの場合が出来レースで定数と立候補者数が同じ。選挙になる方が珍しかった。

 

 それに反旗を翻したのが貴乃花。平成22年選挙で二所一門内で他候補者に絞ったが、不服として強行出馬した。平成10年に同様のケースがあり、高田川が破門扱いになっていたが、今回はこれを支持する者が多く、一派は一門を離脱。一門が大きく分裂した。すると、他の一門の隠れ貴乃花派がこれに投票。自白した一部は貴乃花グループに移籍。ついには立浪一門の総本家・立浪が貴乃花派に移ってしまい、一門の名称が変わってしまう混乱まで生じた(現在の伊勢ヶ濱一門)。

別の動きとして、一門を超えて部屋ごと移籍するケースも目立つ。式秀や千賀ノ浦は、自分は移籍せずに他一門の部屋を引き継いだ(宮城野を元金親が継いだときは、親方が移籍した)。間垣部屋の閉鎖時に一門外の伊勢ヶ濱部屋に吸収された。28年には、突然追手風部屋が伊勢ヶ濱から時津風に、独立したばかりの朝日山が二所から伊勢ヶ濱に移ったりと、ひと昔前では考えられないことが起こっている。

 

 もはや誰にとっても絶対的なものではなくなってしまった、一門という派閥制度。いよいよその存在意義を問われる時期が来ている。

 

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