大相撲解体新書

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連勝記録

22年1月以降、横綱白鵬が連勝街道を爆走。7月に自己記録、平成最多記録、そして大鵬の45をクリア。

どこまで伸ばせるか注目が集まっている。いや、記録の価値から言えば一連の事件のために注目されなさすぎである。

連勝記録というのは一つのミスが命取り。一日たりとも油断できない。

普段なら一つくらい負けてもやはり独走優勝だろうと、見る側は気の抜けるはずの前半戦から一日一日が大一番となる。

連勝記録が掛かっている場所ほど面白いものはない、と言っても過言ではない。

千代の富士が53連勝を記録した63年11月場所、その喧騒は20年以上経った今も鮮やかに記憶に残る。

いつも話題になるのは双葉山の69連勝にどこまで迫るか。神話に挑んだ求道者の足跡を追う。

何十年に一度の「祭り」を味わおう。

超五十連勝力士碑  双葉山69 谷風、白鵬63 初代梅ヶ谷58 太刀山56 千代の富士53


  @双葉山 26歳 69 A大 鵬 28歳 45 B千代富 33歳 53 C白 鵬 25歳 63
昭11.1-06 玉錦 引落 43.9-初 栃東 寄切 63.5-06 琴ヶ梅 押出 平22.1-13 魁皇 押出
1 07 瓊ノ浦 打棄 02 前の山 掬投 07 花乃湖 突落 14 琴欧洲 上投
2 08 出羽湊 二蹴 03 高見山 掬投 08 両国 上投 日馬富 寄倒
3 09 綾昇 打棄 04 若二瀬 浴倒 09 逆鉾 寄切 22.3-初 安美錦 送出
4 10 笠置山 下投 05 長谷川 寄切 10 起利錦 寄切 02 鶴竜 上投
5 駒ノ里 掬投 06 清國 叩込 11 隆三杉 寄切 03 若の里 寄切
6 11.5-初 新海 上投 07 時葉山 上投 12 小錦 寄切 04 旭天鵬 寄切
7  02 両國 上投 08 海乃山 押出 13 南海龍 押倒 05 稀勢里 叩込
8  03 駒ノ里 下投 09 豊山 寄倒 14 大乃国 寄切 06 阿覧 押出
9  04 笠置山 下投 10 陸奥嵐 吊出 旭富士 寄切 07 琴奨菊 下投
10  05 出羽港 寄切 11 大雄 押出 63.07-初 太寿山 上投 08 玉鷲 寄切
11  06 綾昇 上投 12 二子岳 叩込 02 花乃国 上投 09 豊ノ島 押出
12  07 玉ノ海 寄切 13 北富士 叩込 03 若瀬川 上投 10 土佐豊 掬投
13  08 鏡岩 打棄 14 玉乃島 掬投 04 板井 送出 11 把瑠都 上投
14  09 玉錦 浴倒 柏戸 突落 05 栃和歌 寄切 12 琴光喜 寄倒
15  10 男女川 掬投 43.11-01 若二瀬 押出 06 寺尾 寄切 13 魁皇 掬投
16  11 清水川 打棄 02 陸奥嵐 上投 07 琴ヶ梅 上投 14 琴欧洲 上投
17  12.1-初 両國 寄倒 03 藤ノ川 突出 08 水戸泉 送出 日馬富 上投
18  02 玉ノ海 寄切 04 若浪 突出 09 逆鉾 吊出 22.5-初 栃煌山 寄切
19  03 和歌嶋 突出 05 栃東 突落 10 両国 上投 02 豊ノ島 下投
20  04 磐石 押倒 06 明武谷 寄倒 11 朝潮 上出 03 雅山 寄切
21  05 笠置山 寄倒 07 清國 下出 12 北天佑 寄切 04 豊真将 押出
22  06 出羽湊 上投 08 長谷川 掬投 13 小錦 送出 05 琴奨菊 上投
23  07 桂川 寄切 09 海乃山 掬投 14 旭富士 吊出 06 若の里 寄切
24  08 鏡岩 打棄 10 高見山 肩透 大乃国 寄切 07 栃ノ心 寄切
25  09 清水川 寄切 11 前の山 寄切 63.9-初 水戸泉 下投 08 安美錦 寄切
26  10 大邱山 寄倒 12 琴櫻 叩込 02 両国 寄切 09 鶴竜 押出
27  千 男女川 上投 13 北富士 寄切 03 栃和歌 寄切 10 稀勢里 押出
28  12.5-初 土州山 突出 14 玉乃島 押倒 04 恵那櫻 寄切 11 魁皇 掬投
29  02 綾川 腰砕 柏戸 寄切 05 琴ヶ梅 上出 12 把瑠都 押出
30  03 前田山 上投 44.01-初 清國 寄切 06 安芸島 下投 13 琴光喜 小投
31  04 和歌嶋 上投 2 海乃山 肩透 07 逆鉾 外掛 14 琴欧洲 寄倒
32  05 海光山 押出 3 栃王山 寄切 08 朝潮 寄切 日馬富 寄切
33  06 九州山 寄倒 4 龍虎 押出 09 霧島 寄切 22.7-初 栃ノ心 上投
34  07 五ツ嶋 寄倒 5 若二瀬 打棄 10 花乃湖 寄切 02 栃煌山 寄切
35  08 玉ノ海 押切 6 長谷川 寄切 11 小錦 寄切 03 朝赤龍 寄切
36  09 磐石 上投 7 藤ノ川 叩込 12 寺尾 上投 04 阿覧 寄切
37  10 大邱山 寄倒 8 前の山 叩込 13 北天佑 上投 05 安美錦 上投
38  11 清水川 搦投 9 福の花 寄倒 14 旭富士 掬投 06 白馬 押出
39  12 玉錦 下投 10 二子岳 突落 大乃国 寄切 07 旭天鵬 上投
40  千 鏡岩 打棄 11 陸奥嵐 上投 63.11-初 安芸島 寄切 08 時天空 上投
41  13.1-初 大潮 寄切 12 北富士 掬投 02 琴富士 引掛 09 鶴竜 寄切
42  02 九州山 上投 13 琴櫻 叩込 03 琴ヶ梅 送倒 10 稀勢里 掛投
43  03 出羽湊 押倒 14 玉乃島 掬投 04 板井 寄切 11 琴奨菊 掬投
44  04 磐石 寄切 柏戸 寄切 05 若瀬川 上投 12 北太樹 切返
45  05 玉ノ海 寄切 44.03-初 藤ノ川 上出 06 陣岳 上出 13 琴欧洲 上投
46  06 綾昇 下投 ●02 戸田 押出 07 花乃国 吊出 14 日馬富 掬投
47  07 前田山 下投       08 逆鉾 吊出 把瑠都 上投
48  08 大邱山 寄倒       09 両国 下投 22.9-初 鶴竜 寄切
49  09 両國 吊出       10 太寿山 上投 02 時天空 叩込
50  10 鏡岩 押出       11 小錦 上投 03 若の里 寄切
51  11 男女川 上投       12 朝潮 寄倒 04 豊真将 上投
52  12 笠置山 寄切       13 北天佑 上投 05 栃ノ心 掬投
53  千 玉錦 上投       14 旭富士 吊出 06 琴奨菊 叩込
54  13.5-初 海光山 押切       ●千 大乃国 寄倒 07 稀勢里 押出
55  02 玉ノ海 寄切             08 旭天鵬 掬投
56  03 両國 寄倒             09 徳瀬川 上投
57  04 五ツ嶋 掬投             10 栃煌山 寄切
58  05 磐石 寄切             11 阿覧 上投
59  06 大邱山 寄切             12 魁皇 寄切
60  07 綾昇 上投             13 把瑠都 上投
61  08 和歌嶋 上投             14 琴欧洲 寄切
62  09 前田山 吊出             日馬富 寄切
63  10 鏡岩 割出             22.11-初 栃ノ心 上投
64  11 武藏山 押切             ●02 稀勢里 寄切
65  12 男女川 押出                  
66  千 玉錦 寄倒                  
67  14.1-初 五ツ嶋 寄倒                  
68  02 竜王山 突放                  
69  03 駒ノ里 上投                  
  ●04 安藝海 外掛                  

 いきなり昭和以降の40連勝以上の記録について、星取表を掲載した。改めて双葉山の69連勝が気の遠くなるような数字であることがわかる。
  また、対戦相手と決まり手も表示したので、相手の手強さや取り口の違いも比較できよう。


 ★世相

@双葉山は軍神とも称えられたことでもわかるように、ちょうどその活躍期は軍国主義真っ只中、太平洋戦争へと至る時期に重なる。69連勝が達成されたのは昭和11年から14年までだから、第二次世界大戦の火蓋が切られる直前期。連勝の始まった場所の翌月に2・26事件、そして翌年日中戦争が始まって時代が重たくなってきていた。負け知らずの双葉山の快進撃は、勝ち進む日本軍の象徴とされて、爆発的な人気を誇った。

A大鵬の連勝記録は、双葉山から30年ほど後の昭和43年から44年。長く角界の頂点に君臨して既に双葉山と比較される昭和の大横綱の地位を築いていた。しかし、さすがに"勤続疲労”からか休場がちになっていた。柏鵬ブームも落ち着いて人気は凋落傾向にあった。当時の社会でも、産業発展の好調さの影で、公害問題や学生闘争の高まりといった不安要素が吹き出してきた時代。例えるならば大阪万博。183日にわたって日本を熱狂させた高度経済成長期の集大成。その開幕のちょうど一年前、同じ3月の大阪で連勝記録は潰えた。連勝開始から175日の熱狂だった。陰りを見せる時代の象徴が、最後に奏でた狂騒曲であった。

B千代の富士は連勝当時33歳。過去の大横綱はとうに引退している年齢に達していた。時はバブル景気。地価は急上昇、日本経済のピークとも言える時代である。大型化がもてはやされた大鵬の時代から20年、成熟した日本の工業は軽薄短小へとシフトして世界をリード。小さな大横綱と称された千代の富士もまた、国際化の始まった角界において、大型の力士をバッタバッタとなぎ倒す日本の象徴として、時代を背負っていた。小型ながらパワフルな力士が見事に示した円熟の域であった。そして連勝とともに昭和の歴史も幕を閉じた

Cモンゴル出身の白鵬、その王座は皮肉にも疲弊した日本を現すものとなる。千代の富士から20余年。失われた20年を過ごした日本。バブルは儚く弾け、国際競争の波にさらされて後発国にシェアを奪われ、閉塞感の漂う時代が続いている。角界もまた、若貴フィーバーによる空前のブームに胡座をかいて時代から取り残され、貴乃花以後の人気急落は目を覆うばかり。昭和の時代には高見山、小錦くらいだった海外からの脅威も、様々な国から強豪が次々押し寄せるようになって、ついには10年以上和製横綱が誕生せず、賜杯すら長らく触らせてもらえない惨状が続く。

 ★始まり

 @双葉山は、王者玉錦が君臨していた時期。連勝開始当時、双葉まだ前頭3枚目。三役から陥落して前場所も負け越した双葉山。この場所は黒星スタートながら2日目横綱武藏山を破ると2大関を連破する大暴れ。6日目全勝の横綱玉錦に挑戦するも跳ね返された。これが伝説の始まりである。この場所は玉錦が全勝優勝。双葉山は9勝2敗の好成績で初めて関脇に昇進、以降無敵となる。

 A大鵬の連勝は引退の2年前。既に26回の優勝、2度の6連覇。2度の34連勝も記録していた。当時優勝回数2位双葉山の12回の倍以上を記録。並び称される大横綱となっていた。とはいえ身体はかなり傷んでいた。不安が吹き出すように、42年の11月から5場所連続休場。43年3月からは3連続全休と横綱ワーストを記録しながら故障からの再起を図っていた。28歳ながら、これ以上のブランクは実績があるからこそ引退に結びつく。いわば力士生命最大のピンチで迎えた43年秋場所だった。初日、大横綱の半年ぶりの土俵に注目が集まったが、何と栃東に立合い一気に走られ電車道で押し出されてしまった。引退説を裏付けるような惨敗。まさかその翌日から、双葉山に挑む自身最多連勝記録が始まろうとは誰も思わなかっただろう。

 B千代の富士の連勝も休場明け。3場所前には優勝しているが、既に32歳の小さな大横綱には休場ごとに引退説が付き纏った。しかし休場明けに強いのは大鵬と双璧。夏場所を14勝1敗でまたも休場明けの優勝を飾った。6日目、上位キラーの琴ヶ梅に一気に押し出されて土。翌日も花乃湖の突き押しにも苦戦したが、土俵際で突き落とし。「やるな」とばかり、土俵に這った相手の背中をパチンと叩いたパフォーマンスが印象的(朝青龍がやったら批判されただろうなぁ)。ここから長い連勝が始まった。

 C白鵬は21年に年間86勝4敗という空前の新記録をたたき出す。全勝で九州を制して今度は連勝記録をという声もあったが、22年初場所は疲れも出たのか12勝3敗に終わった。やはり白鵬も生身の人間、今年は小休止の年になるのかと安心すらした。ところが、初場所直後に急展開。場所を制して25回目の優勝を飾った朝青龍が、泥酔暴力事件で突然引退に追い込まれたのである。大きなライバルを失った白鵬、一人横綱となった。すると、責任の重さも何のその。昨年以上の集中力を発揮して負け知らず。文字通りの一人横綱として独走する。


★ライバル

 @最大のライバルとなると、やはり玉錦。連勝直前の黒星をつけられた相手。この場所は直接対決が決め手となり、玉錦が優勝。しかし翌場所は9日目に全勝対決となり、初めて双葉山が勝った。1差で逃げ切り初優勝の双葉山は大関へ。12年春場所も全勝で並走したが玉錦が途中休場。夏は12日目に2差で対戦、またも勝った双葉山が優勝決定。横綱昇進を決めた一番とも言える。13年春は東西の横綱に並び、千秋楽の対決。しかし玉錦は既に2敗し優勝決定後の一番。これも及ばず、双葉の全勝を許した。東の正横綱を明け渡した玉錦、34歳になるが実力はまだまだ衰えず、夏は9日目まで全勝で並走するも、不振の2横綱に敗れてまたも賜杯を譲っての千秋楽の対戦。双葉山に66連勝目、5連続全勝を許してしまった。そしてこれが玉錦最後の一番となる。巡業中に虫垂炎をこじらせて現役のまま死亡してしまったのである。最大のライバル不在で双葉山の一強が際立つかと思いきや、翌場所連勝がストップした。

 A実績で大きく水を開けたとは言え、柏鵬時代の看板は外せない。しかし、柏戸の体力は限界に近く、二桁勝つのがやっとの状況。左四つに捕まると抵抗できなかった。栃ノ海、佐田の山も引退してしまい、大関の北玉はまだ力不足。初優勝3人が出るなど、43年の土俵は主役不在の混戦状態だった。そこへ不死鳥大鵬の復活。正直なところライバル不在とも言うべき状況だった。優勝争いでは玉乃島が追いすがるものの、14日目の直接対決では力及ばず優勝決定を許すことが続いた。差し手争いは大鵬有利の上に体格差もあり、ならばと突っ張りで攻めても跳ね返された。他の横綱大関ともども牙城を崩すことはできなかった。

 B千代の富士時代。ライバル不在の期間が長く、後世このように呼ばれる時代だった。前年暮れに8歳若い青年横綱双羽黒が廃業、弟弟子の北勝海は連勝の始まった夏場所終盤に故障し長期離脱。横綱経験の浅い史上最重量横綱大乃国も不振が続いた。横綱に代わって優勝を争ったのは旭富士。この年千代の富士を抑えて年間最多勝に輝いた大関は、初場所を制すなど好成績を続けて一年中綱取りに挑んでいたが、相手が悪すぎた。

 C前述のように優勝25回の大横綱朝青龍が初場所で去った。関脇把瑠都も春場所は全勝で競りかけていたが、大関になって失速。大関陣とは対戦は熱戦となるも、地力の違いを見せつけた。しかも対戦前に2差以上がついている。最大の敵は相手力士ではなく、相次ぐ協会の不祥事、周囲の雑音。自身も軽微な賭博を申告、休場も考えたというから連勝記録最大のピンチだった。名古屋では天皇賜杯を辞退する決定に異議を唱え、優勝して臨んだ表彰式では悔し涙。抜群の実力を備え、孤高の横綱として記録に挑む。


★連勝中の情勢

 @巨大な壁だった横綱玉錦ら古豪を向こうに回して一騎当千の活躍。平幕から関脇、大関、横綱へと駆け上がった。ベテラン玉錦は健闘するも及ばず現役死。故障に苦しむ横綱武藏山は7勝6敗で一場所皆勤するのがやっと、新横綱男女ノ川も負け越すなど不振を極め、ストッパーには成り得ず。清水川は最晩年で引退となる。双葉と同時大関の鏡岩も34歳で多くは望めず。小結から飛び級大関となった高砂のエース前田山も力不足だった。当時幕内の片屋を占める大勢力の出羽海部屋は必死の対抗策を練る。参謀格の関脇笠置山は早大出身のインテリ力士。あれこれ双葉の弱点を探るも誰も倒せなかった。

 A連勝開始当時、4年ぶりに柏戸との2横綱に戻っていた。4大関が控え、三役には後の大関達が上を狙っていた。大鵬長期離脱の間に優勝を飾った琴櫻が綱取りを目指したが不調で途中休場、当時大関在位史上最長の豊山も衰えてこの場所限り引退。初日敗れながらも立ち直った大鵬が独走で復活優勝。翌場所は他の力士もついて来たが、14日目に1敗の玉乃島を下して優勝決定。柏戸も退け15戦全勝、通算29連勝とする。年が明けた44年1月も大鵬に大関玉乃島が競りかけるが、先場所同様14日目の直接対決を制し優勝決定。この場所も終盤息切れした柏戸を下して連続全勝、44連勝とした。北の富士は10勝ほどで落ち着いている。琴櫻は5勝しかできず28歳という年齢から限界と見えたが、大鵬の連勝が止まり、他の上位陣も不振の3月場所で優勝、大鵬45連勝の前後を制している。

 B3月場所に決定戦を演じた若き横綱・大乃国と北勝海。千代の富士時代の跡を担うかと期待された夏場所。期待に応えて中日を終えて3横綱と、1月の覇者で綱取りの可能性を残す大関旭富士が並ぶ好展開。ところが、勝手に星を落として千代の富士がトップ、千秋楽に旭富士を破って優勝を決めた。14日目、北勝海が支度部屋で故障、長期休場に追い込まれ、この年を棒に振った。名古屋は独走となる。懸命に大乃国が追ったが旭富士に2敗目をつけられ、その旭富士を破った千代の富士が14日目に優勝決定。千秋楽、大乃国戦は先に上手を許して半身となり、長くなったが虚を突く内掛けから寄り切った。秋も早々に差が開く。大乃国は初日から3連敗。旭富士は2差をつけられ、14日目僅かな可能性を求めて対戦したが及ばず。39連勝とした千代の富士の強さが話題となってきた。九州場所は千代の富士一色。周囲も勝手に脱落。11日目、2敗の小錦が挑戦するもプッシュ通じず。またまた、14日目2敗の旭富士との一番で4連覇が決まった。横綱大乃国は、結果的には大役を果たしたが、秋は14日目に勝ち越すなど不振。旭富士は健闘したが4場所で優勝を決められる屈辱。他の大関は絶不調。若手の小錦は8,8,3,10と大関を保つのがやっと。3勝12敗は大関ワーストタイだった。ベテラン朝潮もカド番続きでぎりぎりの脱出。北天佑も奮わなかった。

 C白鵬の連勝開始は、他の力士と違って良い場所ではなかった。珍しく3敗となって、言わば消化試合から始まった。この場所優勝の朝青龍が場所後引退。春は一人横綱に、関脇が挑む展開。大関陣は自滅した。関脇把瑠都との全勝対決は12日目。その1差を最後まで保って2場所ぶりの賜杯。夏は完全に独走、13日目に決めた。大関は把瑠都を加え5人になったが、把瑠都10勝、他4人が仲良く9勝どまり。そしてこの場所中、野球賭博で大関琴光喜が聴取。当初は否定しお咎めなしだったが、暴力団関係の事件が続々。野球賭博が流行語になる勢いで拡大し、琴光喜は解雇、多くの有力力士が謹慎処分となって、名古屋は開催が絶望視されるほどだったが、その名古屋も平幕しかついて来れない独走だった。悲壮な覚悟で臨んだ場所、稀勢の里、時天空戦など危ない場面もあったが終わってみれば15日制初の3場所連続全勝優勝の快挙だった。


★連勝ストップ

 @出羽海部屋の秘密兵器、全くノーマークの安芸ノ海が刺客となった。実は初顔合わせ。対戦がありそうな若手には稽古場でしっかりかわいがり、手の内を見ておくのが横綱の常。ところが、安芸ノ海は体調不良で双葉山は胸を出せないままの対戦となった。双葉山の方もアメーバ赤痢で場所前から苦しい調整が続いた。運命の決戦は春場所4日目。「愈々第四日目、双葉七拾連勝なるか!?新鋭安藝ノ海、どこまで食い下がるか...」有名な名実況のとおり、藪入りの日の一番は、不気味な予感もあった。「両力士立ち上がる哉、俄然大鉄傘を揺るがす大熱戦となり.....」戦時色の濃い時代らしく、仰々しい表現だが、安芸ノ海の突っ張り、のどわで双葉山はなかなか十分の右四つに捕まえられない。ようやく右を覗かせ左を抱える横綱。ここから珍しく勝ち急いだか、反動をつけて右から掬い投げ。掬っておいて崩すか、上手を狙おうとしたか。そこへ、投げられかけた安芸ノ海がタイミングよく左外掛けを見舞う。片足となってぐらついた双葉山だが、さすがは二枚腰。なおも粘って投げ切ろうとしたが、体を預けられて遂に投げ切れず、もつれながらも肩から落ちた。静寂のあと、座布団どころか火鉢も飛ぶ大狂乱状態。たった一つの取組が後世まで語り継がれる大事件となった。

 A大いに紛糾した一番。初日勝手45連勝とした大鵬、どこまで双葉山に迫るかと期待が高まった2日目。相手は立浪部屋の戸田。初顔合わせである。序盤、平幕、押し相撲。無敵大鵬が星を落とすパターンの最も典型的な相手だった。42年入幕後、一度十両落ちするなどパッとしなかったが、前の場所11勝して初の敢闘賞で自己最高位を一気に更新する前頭筆頭に躍進した22歳。重心の低い戸田は、思い切って懐に飛び込む。大鵬横にかわすが防戦一方。向正面から東、さらに正面土俵に逃れようとしたがついて来られ、苦し紛れの突き落とし。勢いに押されて土俵下まで飛ばされた。軍配は大鵬。物言いがつく。ビデオ判定導入が検討されていたが、この時はまだ勝負審判の肉眼頼み。無敵横綱が飛んだ、それだけで負けになるととはひどい理屈だが、あまりの印象に戸田の足が俵を横に踏み越えていたのに気付いた審判はいなかった。新聞にははっきり足跡が残り、抗議殺到も後の祭り。大鵬は淡々としていた。完全試合をストップした誤審並の、世紀の大誤審で大鵬の連勝は止まった。

 B大型連勝のストップは、序盤、伏兵と相場が決まっているが、千代の富士を止めたのは千秋楽に当たった横綱だった。しかし、大番狂わせには違いなく、座布団が乱舞する大騒動となった。そして、これが昭和大相撲63年の幕切れとなったのだから、ドラマチックである。すでに4敗と圏外に去っていた大乃国に対し、前日優勝を決めた千代の富士。小さな大横綱に対し、大きいだけの横綱とも揶揄された200キロ超の大器は、この一番、普段よりゆったりと自分のペースで仕切った。やや緊張が緩んだか千代の富士はそのペースにハマったように相手の呼吸で立ってしまった。後の先の立合いで重みを伝えた大乃国。右を差し込み、左でさっと上手を引いた十分の形。千代の富士は十分の左上手が引けず、大乃国の太い差し手を抱えて右半身。防戦の形。ただ、名古屋はここから粘って勝っている。千代の富士は慌てないが、大乃国も名古屋の時とは違い落ち着いている。下手投げを打たれても焦らず、じわじわと出る。千代、寄りを堪えると左を巻き替えて両差し。が、ここですぐに動けなかった。大乃国はもろ差しを許しながらも土俵際まで追い込んだアドバンテージを活かす。両方から抱えて構わず煽る。千代が左へ逃げるのを許さず、うっちゃろうとするのを右の喉輪、巨体を浴びせて寄り倒し。あっと驚く最後の一番。来場所千秋楽で双葉山に並ぶと皮算用していたファンには痛恨の一番。横綱の意地の前に野望は阻止された。 

 C4場所連続の全勝で連勝は62となり、双葉山の69連勝には7日目で到達。上位戦前に達成となる。割を崩して初日から大関を当たるべき、などの声も出た。それほど場所前から連勝記録更新は確実視されていた。緊張の初日を力強く飾った白鵬は、谷風に並ぶ63連勝。2日目は平幕に転落した前頭筆頭稀勢の里。同年代の白鵬には土俵上で睨み合うなど常に闘志を燃やす。かつて逆転の突き落としを食って同カード3連敗、20年9月にも金星を許した相手だが、以降2年完封している。先々場所は呼びこんで土俵際逆転の掛け投げ、先場所は叩きに一瞬ヒヤリとしたものの終始攻勢で千代の富士超えを達成した。
 この場所は当たり負けもなく二本覗かせて先手。しかし、ここで油断があったか、差し込まないうちに何となく前に出た。そこを突き落としの強襲、叩きは残したが、稀勢の里の反撃にムキになって顔に突っ張りを入れて腰が浮く。猛然と反撃に出た稀勢の里は十分の左四つに。先に右上手を取ったのは白鵬だったが、おっつけて出る稀勢の里の勢いに残すのが精一杯。上手は切れ、逆に上手を許す。左四つ右上手の絶好の体勢に組んだ稀勢の里は、休まず寄り。半身になって足を入れたりして勢いを止めようとするのにも構わず、引きつけて寄り。遂に正面土俵に寄り切った。2日目という早い段階での大波乱に心の準備が出来ていない。あっけなく止まった印象。客足も少ない福岡国際センター、座布団も飛ばない静かな歴史的瞬間だった。「これが負けか」の名言を残す。大仕事をした稀勢の里はこの場所立合いも様変わりし好調を維持。自信溢れる相撲で三役復帰を決めた。


★両者のその後...

 @「いまだ木鷄たりえず」連勝が止まった双葉山の名言だが、双葉山は安芸ノ海に土をつけられてから3連敗。体調不良もあったが、意外と脆かったのか。この場所9勝4敗と崩れた。大荒れの場所を象徴するように、幕尻から2枚目の出羽湊が全勝優勝、1敗でやはり平幕の肥州山が次点だった。が、さすがは双葉山。夏はまたも全勝優勝して、以後無敵の横綱としての足跡を残していく。
 対して安芸ノ海、大殊勲の14年1月は案外平凡で負け越したが、自信をつけて夏場所は初日から8連勝。全勝対決は双葉山に雪辱を果たされたが、15年夏には関脇で優勝して大関へ。18年には横綱に上り詰めた。しかし、遂に再び双葉山を破ることはできなかった。

 A大鵬は翌日、翌々日と連勝したが、気落ちもあったか高血圧が出て5日目から休場。翌場所には復帰し、当然のように30回目の優勝を飾っている。柏戸を見送り、現役生活は晩年を迎えるが、北玉に押されながらも全く引けを取らず3強時代を演出。大きな衰えを見せないまま46年に引退した。戸田とはその後6度対戦したが、やはり一度も負けなかった。

 B平成を迎えても千代の富士の王座は揺るがず。数々のドラマ、大記録を打ち立てる。35歳となってさすがに体力の衰えが見えたが、2年九州には大鵬にあと1と迫る優勝31回を記録。その3場所後に引退した。大乃国はこの時まだ横綱として丸1年。これをきっかけに急成長を遂げるかと期待されたが、翌年は奇しくもあの安芸ノ海以来となる横綱で皆勤負け越しを記録。以後も優勝することなく、千代の富士引退の翌場所、29歳で引退した。

 C連勝ストップの九州場所は、記録達成を前提とした7日目、8日目の大量の懸賞金など、喪失感が目立ったが、白鵬は気落ちを堪えて翌日からまた勝ち進んで優勝した。負けてもなお木鶏たり。稀勢の里は二桁を勝って実力がフロックでないことを示した。そして翌場所、再び20連勝まで伸ばしていた白鵬を見事連破する。雪辱を果たせなかった白鵬もさるもの、この場所もその1敗のみで6連覇を飾っている。


★対戦相手

 @横綱の玉錦、男女ノ川とは対戦が多い。大関では鏡岩、前田山など。その他では、両国、大邱山、駒ノ里、玉ノ海(先々代、解説者として有名)、磐石、和歌嶋、出羽湊(のち平幕優勝)、綾昇あたりが目立つ。最後の二場所で対戦した五ツ嶋も後に大関へ昇進している。戦前とあって取り口も現在とはかなり違うが、スタミナで負けることはないので長期戦に持ち込めば問題無し。体格に勝る相手にも、不動の足腰で踏ん張り、引きつけられて腰が浮くことはなかった。前田山、駒ノ里ら押し相撲も難なく跳ね返した。

 A上位は横綱柏戸、大関玉乃島、北の富士、琴櫻。三役に定着していた前の山、清國、長谷川ら、さらに個性派高見山、陸奥嵐、藤ノ川など。直前の黒星をつけた栃東は1度だけの対戦だった。どちらかというと下位の力士の方が健闘。海乃山には再三蹴返しで傷んでいた足腰を攻められ、若二瀬の突き押しに廻しを取らせてもらえない相撲もあった。それでも柔らかい身のこなしは健在で、曲者たちを捌いていった。

 B横綱大乃国、大関旭富士、北天佑、朝潮、小錦。大関候補の逆鉾、琴ヶ梅。太寿山、花乃国、入幕間もない新鋭安芸ノ島も2度対戦。やっかいだったのが三役力士。夏に土をつけられた琴ヶ梅には、毎場所簡単に捕まえられず、名古屋場所でも一気に押し込まれ、行司差違できわどく勝った。逆鉾にも巻き替えを許して得意の両差しになられてひやっとしたが、瞬間を逃さず強引に決めている。他の力士も全く見せ場ないわけではないが、攻める前にスピードで圧倒し攻め切っている。

 C四つ相撲の相手が多いことも幸い。出足の鋭い稀勢の里、日馬富士らには一発があるが、それ以上の踏み込みで封じた。体格の大きな外国勢との対戦が多く、技巧派は少ない。時天空の逆転投げにヒヤリとしたこともあったが、逆転技や奇襲を仕掛ける力士は少なかった。


★決まり手・取り口

 @春秋園事件に伴なう力士大量離脱で、幸運な繰上新入幕を果たした双葉山。対応力を見せて通用してはいたが、やはり馬力・体力は追いつかず、土俵際逆転のうっちゃりに頼ることが多かった。二枚腰と呼ばれるしぶとい足腰の成せる業だが、横綱相撲には程遠い。「うっちゃり双葉」の異名はうれしいものではなかった。連勝中の決まり手を見ても、得意のうっちゃり(打棄)は確かに多い。連勝の始まった11年春には4番をうっちゃりで挙げた(連勝前含め)。翌場所も2番見られるものの、徐々に減少していく。番付を駆け上がるに連れ、右四つの型が完成されてゆき、寄り、上手投げを得意とするようになる。連勝直後は二枚蹴りや下手からの投げ、打っ棄りも多いが、だんだん寄り、押し、上手投げのパターンに集約されていく様子が見て取れる。13年5月などは13番中10番が土俵外に出す決まり手。投げ技も見せ球として使い、横綱相撲で前に出る。現在まで続く横綱像を創り上げた。

 A大鵬には型がないとよく言われる。歴代横綱には上手を取って引きつけてという形があるが、大鵬は左四つといいながら、どちらかといえば差し身で勝負し両差しを得意とする。通算でも、上手投げより掬い投げが多いという珍しい横綱。前傾姿勢で突っ張って叩き込みというあまり凄みのない攻め方もよく見られる。連勝中は円熟期で体重も増えており、自然体で受けて捌く相撲が印象的だ。もちろん左四つ十分になれることも多かったが、他の横綱が得意とする寄り切り、上手投げよりも、掬い投げ、叩き込みが目立つほか、押し出し、突き出しも多い。型に持ち込むことにこだわらず、相手の攻めに応戦しながらチャンスがあれば仕留める。したがって、比較的短い相撲が目立った。負けない相撲の境地に到達したかのようだった。

 B連勝中、目立ったのは鋭い寄りと、ウルフスペシャルと恐れられた首を押さえての左上手投げ。立合いで左上手を掴むのが速く、スピードは全盛期ほどでなくとも、主導権を握って流れに乗った攻め。相手は休む隙なく、腰を引けたところをウルフスペシャルの餌食となった。どちらかというと強引さから取りこぼしの多かった怪力の横綱。33歳にして円熟の相撲を築き、大記録を打ち立てた。ただ、完全に強引さが抜けたわけではなく、力とスピードでねじ伏せた相撲も連勝中には多々ある。最後の九州場所も内容的には理詰めの相撲は多くなかった。それでも相撲勘が冴え渡って一瞬で不利を覆す様は、まさにウルフの名にふさわしい野性味溢れるものだった。

 C投げが多い横綱。右四つの形が完成に近づき、寄り切り、上手投げで大半の白星を稼ぎ出した。双葉山の「後の先」の境地を目指したりもしていたが、この時期は自然な自分の相撲を取ることに集中していた。攻めが速すぎず、遅すぎず、捕まえれば無駄なことはせずに寄るか投げで仕留めていた。うるさい相手には離れたまま勝負をつけ、連勝はどこまで続いていくのか想像がつかなかった。


★総括

 こうして比べると、一人横綱時代は白鵬だけ。とはいえ他の力士の時代も強い横綱がいたかというと、そうでもない。対抗馬となるべき玉錦や柏戸は盛りを過ぎ、横綱1年目の大乃国も不安定。当然と言えば当然、強力なライバルがいればそうそう連勝などできるものではない。北の湖が大きな連勝を記録できなかったのは、輪島を初めかなり高いレベルで競りかけるライバルがいたことも原因のひとつだろう。

 上位陣で連勝ストッパーとなったのは大乃国だけ。他の30連勝超記録を見ても役力士は少なく、安芸ノ海戸田浅瀬川(大鵬、34連勝)、前田川(大鵬、34連勝)、北勝力(朝青龍、35連勝)などダークホースが目立つ。もちろん、その後安芸ノ海は横綱、武双山(貴乃花、30連勝)は大関、北勝力はその場所決定戦進出と、フロックだけではないことを示している。

 連勝開始当時に平幕だった双葉山を除く3人は、横綱として十分な実績を残した後に大連勝を記録している。大鵬、千代の富士は全盛期を過ぎたと言える時期、休場明けの場所から連勝を開始した。大型連勝が起きるタイミングとしては、双葉山のごとく突然負けることを忘れたかのように大化けする覚醒型(大関で30連勝し横綱を決めた貴乃花、連勝が黄金時代の幕開けとなった朝青龍など)、そして実績ある横綱が安定感を身につけて記録する円熟型(大鵬、千代の富士)に分類できる。白鵬はまだ若いが、年間86勝を記録した翌年だけに意外性はなく、どちらかと言えば円熟型に入るだろう。

 4人の共通点は、主に四つ相撲で勝負する点。積極的に離れて突いて出るという相撲では、やはり落とし穴にはまりやすいのか。比較的大鵬は突き出しなどの決まり手が多いが、出足に頼るよりも、よく見ながら相手のツッパリを跳ね返すうちに土俵際に詰めて突き放したものが多い。取りこぼしの少ない捕まえての相撲を基本としている。

 負けた相撲にも共通点がうかがえる。連勝中ゆえの慎重さからか、逆転負けはない。双葉は一瞬のスキを付かれた足技。大鵬は出足を呼び込んで誤審を招き、千代の富士は200キロの体力に圧倒されたもの。どれも相手の積極的な攻めに防戦を余儀なくされたものだが、やはりエアースポットに入ったようなスキはあった。その他の連勝では、朝青龍がひとつの引き技が命取りになり、貴乃花は拙速な寄りで逆転の投げを食った。大鵬2度の35連勝失敗は、どちらもアレアレという間に攻め切られてしまった。横綱とて人間、ちょっとした油断やミスはあるが、そのわずかなスキが敗戦につながるのが相撲という瞬間の競技。あらためて大型連勝は難しいと感じさせられる。

 22年の白鵬の快挙を更新する存在はなかなか現れない。白鵬自身もこれで消耗してしまったかのように以後全勝優勝から遠ざかった。このような大連勝記録は、めったに見られない。20年周期とも言われているように、次に誰が記録更新に挑むのかは全くわからない。少なくとも前の連勝当時に角界に存在していた例はない。


<追記>

 上記のような形で締めくくった連勝記録のコラム。しかし、24年、25年と30連勝超の記録が立て続けに誕生した。しかも白鵬がもう一度大連勝を記録して、昭和以降初めての2回目の40連勝超。不振や日馬富士の台頭で一時賜杯から遠ざかったものの、あっという間に復調して黄金時代が戻ってきた。千代の富士以後30を超えた連勝は20年で2度しかなかった。それがこの5年で実に5回。うち白鵬が4回だが、平成20年代は連勝記録の時代となった。前回以降に誕生した2つの連勝記録についても言及したい。

 日馬富士の32連勝は、大関時代から横綱としての初日まで。ほぼ大関としての記録である。大関として3年ぶり2度目の優勝を飾ったのもつかの間、故障に苦しみ24年夏は7勝7敗で千秋楽。白鵬に勝って何とか勝ち越した一番が、連勝記録の第一歩となった。翌場所は白鵬との全勝決戦を制して初の全勝優勝、さらに秋も白鵬との1差楽日対決を制し連続全勝で綱取りに成功。新横綱2日目に隠岐の海に金星を与えるまで勝ち続けた。

 パターンとしては貴乃花の30連勝と酷似する。共に連続全勝で文句なしの昇進を決めている。ただ、貴乃花がすでに5回の優勝を記録していたのに比べると、2回優勝しているとは言え、突然のブレイクという感が強かった。師匠・旭富士の伊勢ヶ濱も昇進前後に24連勝を記録しており、当時の第一人者・千代の富士との優勝争いを2場所続けて制した。日馬富士も白鵬との激しい争いに連勝しており、師弟でよく似ている。これら昇進時の勢いを駆った連勝記録達成のグループに属すると言って良い。3例とも大関で遠回りした末のものである。

 内容的には速攻が冴えて左上手を先に取る相撲に新境地を見い出し、先手先手の相撲。何かをつかんだように見えた。危ない相撲も首投げで逆転するなど、キレも鋭い。まさに「覚醒型」の連勝だった。

 止めたのは伏兵隠岐の海。しかし連勝中にも両差しで土俵際まで攻め込まれており、予兆はあった。その後立ち直りを見せたが、終盤5連敗とやはり連勝の止まった場所は乱調というパターンにはまってしまった。

 そして25年に白鵬が記録した43連勝。連勝記録に「2度目」という新しい切り口を提供した点での功績が大きい。前回の63連勝以降は強いものの取りこぼしも増え、23年は八百長事件など一人横綱にとっては負担の大きい出来事もあって徐々に勤続疲労が見えた。24年は夏場所10勝に終わり、日馬富士の急浮上にも行く手を阻まれた。2横綱となり、25年初場所には三度日馬富士に全勝優勝を許して、いよいよ独走時代も終わったかに思われた。ところが、その翌場所から連勝が始まるのだからわからない。春、2年半ぶりに全勝を記録すると、夏も連続全勝。全勝優勝の回数も史上1位に立ち、朝青龍の優勝回数にも並んだ。そして名古屋、やはり勝ちっぱなしで公約の40連勝をマークして大関戦に突入。ところが、初戦鶴竜戦で誤算があった。待ったと思って力を抜いたところが立ち合い成立。鶴竜の一気の寄りを窮余の小手投げで逆転したのは良かったが、このとき右わき腹を痛める。さらに続く琴奨菊戦ではかち上げを患部に食って勝ちはしたが苦悶の表情。故障が明らかになったが、3差の琴欧洲をとったりからのなりふり構わぬ攻めで下し13日目で優勝。このまま苦しい名古屋を乗り切りたかったが、14日目は綱取りに挑む稀勢の里。怒涛の攻めを受けて土俵を割った。

 こちらは対照的に「円熟型」だ。63連勝も実績を積んでからの記録で、どちらかと言えば円熟型と書いたが、今回は黄金時代の終焉という声を覆しての再独走だけに、まさに大鵬・千代の富士のパターンに属する「円熟型」である。

 内容的には、右四つの完成を見た63連勝時に比べて自然体の相撲。受けるというより、柔軟に対応している。象徴的なのが「とったり」の多用。連勝中、栃煌山を2度この手で下し、豪栄道もこれで退け、43連勝目の琴欧洲にも盛んにとったりを狙った。難敵には持ち味を出させずに決める。もう一つ目立ったがのが「小手投げ」。盤石の上手にこだわらずに繰り出す技。名古屋では4日で3番も出した。安美錦戦など絶体絶命のピンチを逃れたものもあった。前の連勝より余裕がないと言えばそれまでだが、負けない相撲に徹した。45連勝時の大鵬も自然体の取り口が目立ったが、それと似ている。

優勝決定後の連勝ストップという点は千代の富士以来。相手が横綱大関という点も同じだ。何より63連勝を止めた稀勢の里にまたやられたというのが因縁だ。双葉山の69連勝を止めた安芸ノ海がその後、大関・横綱へと登り詰めたのと重なる。安芸ノ海は二度と双葉山を破ることはできなかったが、稀勢の里は2度目の連勝記録もストップさせた。あとは横綱に届くか。

 さらにこれに続く連勝があるのか。平成20年代はまだ半ばである。

★参考

 平成の連勝記録

  白鵬63 朝青龍35 日馬富士32 貴乃花30 旭富士24

  (白鵬43、33、30、朝青龍27)

 個人第2の記録

  谷風43、太刀山43、雷電43(自己最長タイ)

 

 

 

 

 

 

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