大相撲解体新書

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八百長ー相撲界の闇

これまでもちろん噂は聞いていたが、話半分に聞きながしていた八百長問題。

ついに現役力士の自白と物証が出てきて存在が明るみになってしまった。

このページでは、あえてこれまでその存在には触れないことにしていたが、こうなっては仕方ない。

筆者の見解を述べておきたいと思う。

一. 平成23年 八百長メール事件

  序ノ口力士傷害致死事件、黒い交際、大麻事件、野球賭博、横綱朝青龍引責引退。ここ数年間不祥事続きの相撲界。現役力士や師匠の首が飛び、部屋は取り潰され、賜杯は辞退し、理事長も下ろされる。散々な痛手を負った。それでも22年は白鵬の63連勝もあり、今度こそ立ち直ろうとしていた23年の初場所後。夕刊にとんでもないニュースが踊った。昨年の野球賭博の調査から、力士同士の星のやり取りの交渉が明らかになったのだ。

 メールの送受信者である幕内春日錦(発覚時は年寄竹縄襲名直後)や、千代白鵬、「中盆」を務めた幕下恵那司は、これを認めざるを得なかった。清瀬海は否定したが、やりとりから取引がなかったとするのは無理があった。4人が早々にクロと認定された。調査委員会が結成され、2ヶ月ほどの調査の末、メールに名前が上がった力士では「ガチだから交渉は無理」という内容だった翔天狼以外(当初から無関係は明らかなのに報道で同列に扱われたのは非常に気の毒)、全て関与が認められた。20名余りに事実上の追放処分が下る荒療治で一応の幕引きはされたものの、あくまで当事者の春日錦や千代白鵬との対戦があった力士が中心。十両を維持したい力士たちのグループだけのものとする裁定に、納得する人の方が少ないだろう。無実の者がいないという確証もないし、それ以外に八百長が存在しないという確証はもっとない。あくまで調査委の基準に当てはまったかどうかで、クロシロはつけられた。

二. 平成の八百長疑惑

  これまで八百長はなかったということで決着した。しかし、八百長の噂はこれまでにも尽きなかった。その存在を仄めかす発言をした前伊勢ヶ濱(元大関清國)や、酔って弟子の白鵬が八百長をしたと発言した前宮城野(元十両金親)が処分されたばかり。朝青龍がらみの八百長について言及した講談社には勝訴して賠償金を得たばかりだった。もちろん、これらの報道には物証などなく、元力士など、言葉は悪いが全面的に信用はしにくい証言者から出たもの。協会もそれらについては認めていない。さすがに元小結の板井が証言した時は大きな話題になったが、結局は「私自身が証拠です」レベルで、核心までは突けなかった。同氏は、「貴乃花ら八百長をしない力士が優勢な時代だからこそ、今が撲滅のチャンス」と告発の動機を語ったが、10年後その言葉に真実味が出てきた。確かにあの時、徹底的に調査していれば、今よりも解決は近かったかもしれない。上位力士にも疑惑が尽きない現在よりは。

三. 人情相撲、無気力相撲、八百長

  色々定義が曖昧な言葉が飛び交った。整理すると、故意でないのが協会が言う「通常の無気力相撲」。21年の千代大海−把瑠都戦など、何番か厳重注意が与えられているが、もちろん怪我なども含めた上であまりに情けなく、無気力と言われても仕方ない相撲に対して公式に認定されるもの。故意でないと認めているからこそ名指しで注意できるのであって、「故意による無気力相撲」ならまさに八百長相撲である。これまで協会側から認めたことはない。大関が休場・陥落に追い込まれたことで有名な昭和47年の前の山−琴櫻戦も、あくまで注意に留まる。当時の世間の厳しい目をわかった上での処分に、勝った前の山は自主的に休場となった。負けた琴櫻はそのまま出場している。八百長として公式に処分されたわけではない。

  人情相撲や片八百長というのは故意によるものだが、講談にもある谷風の人情相撲など、負けた側が一方的に相手を慮って力を抜くこと。勝越し、負越し、優勝、三賞、昇進、陥落がかかった一番などで、頼まれたわけではないがワザと勝ちを譲るもの。昔からあったと言われる。そもそも「八百長」の語源となった八百屋長兵衛の碁の勝負も、勝ってに負けたわけであるから、八百長の発祥は片八百長なのである。力を抜くつもりはなかったが、相手の立場を考えると力が入りにくかった、と言われると処分しようがない。

  では、今回問題となった八百長はと言うと、両者が合意の上で勝ち負けを決めるもの。もちろん故意であり、金銭も動くというから悪質性は一番高い。一度負けてもらうと、返すのがマナーだろうから、どんどん根も深くなる。

四. 十両互助会

  今回、引退となった力士の処分根拠はほとんど十両の時代のもの。十両というのは28人の定員の中でほぼ対戦が組まれるので、毎場所のように対戦が予想される。返し、返される関係が深まりやすい。幕下に落ちると待遇も大違いなので、何とか残りたいというのが人情。幕内経験もあり、十両に落ちてきたベテランなら家庭もあるので気の毒な限りだ。見ている側でも同情するのに、一緒に稽古している仲間としては、明日は我が身とは言え非常に心苦しいだろう。そんな事情も見え隠れする。

  逆に安住しようと決め込むと、抜け道もある。手の合う仲間を増やしてトータルで五分にするよう調整する。八百長仲間が自分以外に10人いれば、5勝5敗は確保できる。残り5番で勝負すれば勝率は安定する。ここで番付のマジックが影響する。通常、7−8では1〜2枚程度、6−9で2〜4枚程度、5−10で3〜6枚程度の番付降下となるが、これはほぼ想定できる。一方で、勝ち越した場合は空き次第で星以上に大きく上がることもある。番付は負け越し力士から順に組まれているようで、8−7でも5、6枚上がることはザラにある。その逆はない。長く幕内に在位した力士の通算勝率が大きく負け越しているのもこうした仕組みだからこそ。勝率5割以下でも十分地位は維持できるのである。6−9、8−7を繰り返せば番付は徐々に上がる。この場合だと、5勝5敗は確保していて、悪くて5勝10敗だから、地位を守るのはかなり楽になる。逆に、頑張って11勝、12勝と十両優勝しても、怪我をして全休すれば一気に幕下へ逆戻り。真剣勝負に生きる力士には厳しい制度なのである。温床と言われても仕方がない。

 

五. その他疑念が尽きないケース

  それ以外でよく言われるのが7−7の力士の千秋楽。既に大勢が決まっている力士と、勝越し負越しの岐路に立った力士とでは、緊張感が違う。それにしても7−7力士の勝率が高すぎるというもの。データだけで断定はできないが、統計すると異常なデータが出るようだ。

  十両互助会よりもさらに疑惑の歴史が古いのが大関互助会と呼ばれる上位力士同士の回し合い。大関は2場所連続で負け越しで陥落となることから、逆に言えば星に余裕がある。負け越した後は、何敗しても翌場所は同じカド番か関脇陥落。逆に上を狙うには連続優勝に準じる成績が必要だから、勝越しても優勝争いに絡めなければ何勝しても結果は変わらない。看板力士ゆえの特権と厳しさが、一番一番の目的を失いやすい環境を作っている。早々と勝ち越して優勝争いを期待されながら不成績の大関にあっさり負けたりするケースなどでは疑いを持たれることがあった。昭和40年代にも伸び悩む大関陣の間で互助会の噂が絶えなかったようだ。新旧交代期にはそんな話も聞かれなくなるが、比較的横綱との実力差が開いて二桁勝てない大関が複数いると噂が立つ。近年がまさにその状況で、綱取りに縁遠くなった大関が居座っている。関脇の時は勢いが良かったのに、大関になるとパタリと勢いが止まってしまう。根拠はなくとも、疑うなという方が難しい。

 

六. 世間の論調

 @強硬派  八百長などとんでもない。スポーツとして成立しない。関与した力士は当然解雇・除名、厳罰を。過去の八百長についても徹底的に洗い出し、処分すべき。調査は困難となるだろうが、それまで開催を見送ってでも解明するべし。できないならこれを認めた上で、株式会社化もやむなし。

 A穏健派  昔から多少の八百長も含めて相撲ファンはおおらかに鑑賞している。いまさら取り立てて騒ぐのは無粋である。もちろん今回発覚した力士は悪質性が高いので厳罰が相当だが、過去の八百長を完全に否定することも認定することも不可能なのだがら、除名までは不公平。数場所から1年程度の出場停止が相当。

 B容認派  プロレス同様プロの格闘技はショーという要素も許容される。野球賭博に比べて法律上罪はない。激しい優勝争いやスター誕生の演出も必要悪。

 諸派あるが、相撲協会としては、本音はAくらいだろう(Bではないことを祈る)。しかしそれは公表できない。@のような立場に立つことになる。実際、解明されるまでは場所開催を見送るという方針を表明したが、実際問題徹底解明と言っても調査は進まず、今回の件についてでさえ証言頼みで納得を得られるものは出てこなかった。しかし、震災等もあり世間の関心は急速に薄まり、徹底解明派が優勢だった報道の論調も、半分AやBの意見も社説などにも出てくるようになった。場所開催待望論の方が強くなった。春場所中止というショックも、震災の影響によるJリーグやプロ野球の中止に紛れてしまった。

 ともかく、協会としては厳正な姿勢を表明したまま、一番怖い世論の厳しい目が自然に緩むことで、場所再開は早期に目処が立った。夏場所は「半本場所」のような技量審査場所となったが、TV中継や表彰以外はほぼ本場所の形を整えた。無料開放もチャリティーと混乱するような状況が続いており、違和感は薄い。

 筆者の本音は、とにかく早く見たいという点に尽きる。力士の処分も、一年間の出場停止程度が妥当と思っていた。そこまでしていないと言うなら、堂々と番付外からでもやり直して実力を証明すればいいし、抗議のため退職するのも一つ。口止め料として退職金を払ったような解決よりはファンとしては納得性が高い。処分よりも抑止力を強化する体制づくりを急ぎ、春からでも開催してほしかった。場所が止まることのダメージは計り知れない。疑いの残る力士を出場させられないという建前もあるだろうが、実際には疑いはどこまでも晴れない。潔白の力士は出場せよと声明して開催を強行すれば、やましいところのある力士は態度でわかるのでないだろうか。それでも平然と相撲をとるほど八百長力士はずぶとく厚かましいのだろうか。

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