平成名力士 平成の三役力士後編。曙・貴乃花の時代以降に三役昇進した力士たち。23年5月再編し、一部「小結3」へ。 |
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小結 舞の海 技のデパート・平成の牛若丸・舞の海。八艘飛び、内無双、三所攻め、必殺切り返し。研究を重ねた奇策で観客の度肝を抜く。100キロに満たない体で大型力士相手に奔放な土俵を展開した。体格基準に満たなかったため、頭にシリコンを詰めるという奇策で幕下付出デビュー。小兵ながら負け越し知らずで入幕。新入幕からの2場所連続を含む5回の技能賞を受賞した。6年9月には小結に昇進した。大関陥落後の小錦とは100キロ以上の体重差対決は土俵の華だったが、8年8月下手捻りで下した際に下敷きになって左足負傷。その後は動きが落ちて低迷、11年限りで引退した。NHK専属解説者として定着。
小結 智乃花 高校教師の職を投げ打って27歳で角界入りした異色の力士。舞の海より少し大きいくらいの小兵だったが、驚異的な粘りとすでに円熟の技を駆使して負け越し知らず、1年半で小結昇進。2場所連続技能賞、2大関を倒す実績を引っ提げての快進撃だった。しかしその後は後退を重ねて8年以降は十両暮らし。37歳まで土俵を務めた。右下手で食い下がると舞の海のような小技もあったが、突っ張りを出して離れて動き回る相撲を身につけて長持ちした。しかし、一番の衝撃は「居反り」だった。
小結 濱ノ嶋 大学相撲出身の技巧派力士。軽量だったが、重心の低い寄り、押しの正攻法で挑み上位陣を苦しめた。入幕4場所目、上位初挑戦の6年7月には大関貴ノ浪、貴ノ花を下し、全勝優勝した武蔵丸を土俵際まで押し込むなど活躍し、殊勲賞を得て三役昇進を決めた。結局はこの頃がピークで、以後は幕内中位に在位、晩年は幕下で苦しんだ。引退後は三保ヶ関部屋から尾上部屋を興し、大関把瑠都や境澤、白乃波、山本山など個性派を育てていたが、不祥事で大きな打撃。
小結 浪之花 小兵ならではのスピードを武器に、回転の速い突っ張りで沸かせた旧二子山部屋出身の力士。なかなか幕内に定着できなかったが、平成6年2度目の十両優勝で4度目の入幕を果たすと、気風のいい取り口で10勝を挙げて幕尻近い番付ながらも敢闘賞。翌場所は役力士と対戦のない7枚目で9勝だったが、幸運にも三役昇進を果たした。まずまず健闘したが、その後一年程で幕内陥落すると、翌場所も大負けして1場所で幕下に陥落、27歳で早すぎる引退。四股名は「ノ」から「乃」、最後は「之」に変更した。
小結 琴稲妻 薄い髪が特徴的だった渋味のある名脇役。幕下までは早かったが十両昇進までは苦労した。昭和62年に入幕すると、3度の陥落を挟んで平成10年まで務めた。体は大きくなかったが、稽古で鍛えた押し相撲を展開、技能にも磨きをかけ、通算105場所、33歳にして新三役に昇進した苦労人。入幕後なかなか上位に上がれなかったが、6年9月に2大関を下して初の三賞となる殊勲賞を受賞、翌年9月にも若乃花を下して9勝して敢闘賞、翌場所の新三役では初日に横綱貴乃花を破る殊勲の星を挙げた。上位での活躍は少なかったが、若々しい相撲で37歳まで土俵を務めた。
小結 旭豊 角界の暴れん坊将軍とも称されたマツケン似の端正なマスクで人気のあった大器。190センチの長身、均整の取れた体格で期待を集めたが、部屋継承のため幕内在位4年あまりで若くして引退したのは惜しまれる。左四つの相撲、長身の割に頭をつけたり器用な技も出し、貴乃花を破った肩透かしも得意技だった。入門直後は故障がちで3度も前相撲を取るなど出世は遅れたが、平成8年3月には貴乃花から初金星を挙げて殊勲賞、翌場所新三役。この年3場所小結を務めた。通算4つの金星。一門の総帥たる立浪部屋を継承したが、先代(元関脇羽黒山)とのトラブルが泥沼化。部屋も郊外に移転するなど苦労の末、幕内猛虎浪を育てた。
小結 大善 戦後最高齢の36歳10ヶ月で金星を獲得した名物力士。左四つを得意とし、上手を取って出し投げを打ったりしながら寄る相撲。体力は別段優れていなかったが、引き技に頼らない取り口だった。実家は大阪府立体育館のすぐ近くということで春場所の人気は高かった。出世は遅く、3年11月に27歳で新入幕。貴ノ浪、武蔵丸ら同時入幕力士とともに初日から4連勝して騒がれたが、結局負け越してしまった。地力をつけて6年3月新三役、11月には曙から金星を奪う。しかし、直後に十両落ちすると、4年ほど十両に低迷。その後も幕内下位との往復が続いた。年齢的にも限界が近いと思われたが、13年には円熟の相撲を見せ、6枚目まで上がった11月には休場者続出の影響で全勝の横綱武蔵丸と対戦、見事7年ぶりの金星を獲得。14年春にも条件付きで敢闘賞候補に挙がるなどベテランの奮闘ぶりは最後まで存在感があった。
小結 小城錦 父は関脇小城ノ花、兄・小城ノ花に続いて入門し20歳で兄弟関取となる。2度目の入幕となった5年11月には11勝を挙げて敢闘賞、翌6年1月初めての大関戦で若ノ花を下し、続く3月は綱取り貴ノ花に土を付け、優勝した曙から金星を挙げて技能賞。一時下位に低迷するが、9年5月には2大関を倒して2場所連続となる11勝、2度目の技能賞を獲得して三役昇進。その後一度殊勲賞の活躍はあったが、肘など故障が多発して幕内と十両を往復。差し身の良い技能的な相撲は玄人好みで、引退後も解説には定評がある。
小結 和歌乃山 長い低迷期を乗り越えての敢闘賞、三役まで昇進した苦労人。重心の低い毛深い体つき。張られても怯まず下からねちっこく押す相撲で、引き技を誘った。若貴らと同じ63春組。4年5月には10代にして幕内昇進、期待を集めたが4場所で転落、糖尿病に苦しみ、十両にも定着できない低迷期を迎える。平成8年からは2年以上も幕下暮らしだったが、復調し11年には5年ぶりの幕内復帰。翌年には大関戦初勝利を上げる等上位に定着、13年1月は千秋楽勝った方が敢闘賞という一番で新入幕朝青龍を破って初の三賞と新三役を手中にした。武蔵川部屋影の功労者。
小結 闘牙 モミアゲがトレードマークの個性派力士。同じくモミアゲを蓄えた隆の鶴とは風貌がそっくりで、対戦のたびに場内を沸かせた。長身からリーチの長い喉輪で相手と距離を取り、アゴを上げたまま出てきたところをはたきこむ戦法。ワンパターンだが、上位を含む多くの力士を苦しめた。平成10年に入幕すると、上位に上がっても大負けせず定着。自動車事故による謹慎で十両落ちするもすぐに復帰、15年7月には5枚目で10勝して念願の三役昇進を果たした。持病の腰痛が悪化し以後は大崩れすることが目立ち、18年に引退した。晩年の若貴を苦戦させたが、金星、三賞にはついに縁がなかった。
小結 旭鷲山 モンゴル相撲ばりの多彩な技で驚かせ、デパートモンゴル支店と謳われた業師。モンゴル出身力士第一弾として旭天鵬らと共に来日、脱走事件もあったが、復帰すると順調に出世。入幕後も多彩な技は健在で、入幕3場所目の9年1月には上位初挑戦ながら9勝して技能賞、新三役となった。しかし、以後長い幕内生活で三役に復帰することはなく、連続平幕在位の最長記録を作ることになる。三賞は5回。朝青龍戦は髷つかみの反則勝を除いても、金星は通算5個。当初は体も小さく、最後まで諦めないしぶとい相撲と外無双や足取り、掛け投げといった派手な技で魅せた。反面、綱取りの若乃花や連続出場の寺尾を休場に追い込んで危険な相撲と批判されることもあった。次第に体重も増えて140キロに乗ると相撲が一変。立合い両手を出しておいてまっすぐ引き落とすという単純な相撲が増え、これが案外よく決まったのだが、成績にもムラが大きく内容も淡泊なものになってしまった。晩年には朝青龍と場外乱闘。さらに暴力団とのトラブルで騒がれ、18年11月場所中突然の引退となった。いまでも祖国では英雄。
小結 栃乃花 不屈の根性で敢闘賞・技能賞を2回ずつ受賞した苦労人。大学相撲出身ながら実績不足で前相撲から取って関取に。今でこそ珍しくないが、当時はほとんどが幕下付出の時代だった。当然入幕時27歳と期待は大きくなかったが、十両優勝の勢いを駆って迎えた12年5月。好調に勝ち進み、終盤まで優勝争いに残ると、魁皇との1敗直接対決には敗れたものの2敗の大関千代大海、さらにカド番大関貴ノ浪に引導を渡す8敗目をつける大活躍。新入幕が大関を倒すのは平成になって初。12勝して敢闘・技能のダブル受賞。9月にも技能賞の活躍で一気に三役昇進を果たす。ところが、腰痛などに苦しみあっという間に十両陥落。16年には幕下に1年間低迷する。すでに30歳を過ぎていたが、ここから再起。17年11月に幕内復帰すると、この場所11勝して5年ぶりの三賞となる敢闘賞。翌場所には大関魁皇を破るなど現役生活の最終盤でもう一花咲かせて20年1月限り引退した。おっつけの技能を中心とした相撲の技能が評価されていた。
小結 千代天山 ひょうひょうとした土俵態度の個性派。新入幕からの3場所連続三賞の快挙が印象深い。入門の近い千代大海には十両時代に追いついたものの、もたつく間に相方は一躍大関候補に。千代大海が初優勝で大関昇進を果たした11年1月に新入幕。この場所10勝して敢闘賞、3月も上位陣が崩れる中、初日から6連勝して両大関らと優勝争いを演じ、連続敢闘賞。5月は3枚目に上がったが横綱若乃花から金星、優勝した大関武蔵丸も倒して殊勲賞。史上初の新入幕から3連続の三賞で新三役まで射止めてしまった。その後武蔵丸から2つの金星を獲得するも、14年に足首を痛めて急下降。幕下まで落ち、一度幕内復帰するも、17年11月を最後に十両にも戻れず、三段目に落ちても頑張っていたが20年遂に力尽きた。柔らかい体で守りが強く、前傾で粘っこい相撲を取った。相手の圧力を逃がすような動きで幻惑するのがうまく、横に回っての小褄取りも得意とした。反面、闘志が見えにくく、晩年はケガも慢性化していたためあっけない負け方が多くなった。
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