平成名力士 |
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小結 高見盛 、 誰が呼んだか、角界のロボコップ。不器用ながらひた向きな土俵姿と時間一杯の塩に分かれた際の気合入れ儀式。肩を怒らせるか肩を落とすか、勝ち負けが一目瞭然の花道を引き揚げる姿が名物となった超個性派。お茶漬けをはじめ懸賞の多さでも話題になった。日大では琴光喜と同期の昭和51年組。平成12年に敢闘賞デビューしたが、膝の怪我で回り道。その間に兄弟子横綱曙が引退。平成14年から幕内定着してからは部屋頭として長く幕内で活躍、通算三賞5回を記録した。ハイライトは15年7月、武蔵丸、朝青龍から金星を奪って殊勲賞。この年、三賞各賞を受賞した。肩の盛り上がった右を差すと腕を返す力が強く、これが生命線だったが、右肩を痛めてからは往時の勢いを失って平幕で推移。それでも左差しや、差し手を覗かせてすぐに引き落とす芸も見せて幅を広げ、36歳まで関取を張った。一時東関部屋を継承したが閉鎖して八角部屋に合流。
小結 露鵬 まさかこの人が小結で終わるとは。ロシア人初の関取。右四つに組めば上位陣と言えども圧倒する体力。レスリング仕込みの頭四ツを取れる足腰と、強引とも言える強烈な叩き。大器を予感させながら突然の退場となってしまった。新入幕場所から優勝争いの一角に残り敢闘賞、3場所小結を務め大関にも互角に取っていたが、やや停滞。千代大海と勝負がついた後に睨み合い、その後カメラマンに暴力を働いて出場停止を食らうなどトラブルメーカーではあったが、若ノ鵬の逮捕を受けての抜き打ち検査で陽性を示し、否認したまま弟と共に解雇処分となったのはあまりにも残念。
小結 岩木山 大学卒業後、社会人から転身した遅咲きの巨漢力士。真面目な人柄と、昔の力士を思わせる風貌で渋い人気があった。既に大勢の活躍力士を出した黄金世代、昭和51年生まれの力士を追って平成14年の暮れ敢闘賞で幕内デビュー。翌年は技能賞の活躍で新三役となった。ひときわ目を引く大きな額でぶちかまし、突き押しか左差しがぶり寄りで前進する馬力の相撲で実力者としてならす。体重は180キロに迫り、幕内最重量を雅山と「譲り」合った。16年には朝青龍を突っ張りで正面から攻め立て初金星を得た。デビューが遅かっただけに大器晩成と行きたかったが、首を痛めて頭で当たれなくなり、早くも衰えが見え始める。それでも時には内無双や外掛けといった小技も披露するなど懸命に土俵を努め、復調した。ところが、前頭5で迎えた22年夏場所。小脳梗塞の跡が見つかる。3場所全休ののち現役続行を断念、無念の幕引き。真っ向勝負が身上で、一度も変化しなかったのが自慢だった。新興の境川部屋の隆盛を支えたのも功績。
小結 海鵬 小兵ながら技能相撲で長く土俵を沸かせたいぶし銀。ハイライトは新三役を決めた平成13年9月。巨漢横綱武蔵丸相手に食い下がり、十八番の左内掛けで仰向けに倒す初金星。さらに大関の武双山、雅山と連破した(雅山はこの一番で負傷し休場、大関陥落)。10勝5敗で技能賞。17年にも2度目の技能賞を獲得している。上位初挑戦で当時大関の武蔵丸に俵伝いに左下手投げ、初日から9連勝の千代大海を驚異的な粘りでの突き落とし、横綱昇進を決めた朝青龍に唯一の黒星をつけた内掛け。印象的な銀星でいぶし「銀」の面目躍如。下半身に故障を抱えて晩年は十両生活が長くなったが、それでも37歳まで取った。これが災い、引退後年寄熊谷となったが、直後に八百長事件で名前が挙がり、引退勧告を拒否して解雇された。類いまれな技能を継承して欲しかった。 小結 垣添 スピード感溢れる突き押し相撲で上位を苦しめた武蔵川部屋後期の力士。幕下付出ながら入門前の怪我で出遅れたが、2年で入幕。3場所目となる平成16年初場所で11勝、技能賞の活躍で春場所新小結に昇進した。三賞、三役はこの1回だけに留まったのは意外。3年程上位に定着、大関千代大海や昇進前の琴光喜、琴欧州とは互角に戦うなど、朝青龍時代の土俵を彩った。右膝を痛めてからは幕内下位で推移。一度上位復帰を果たすも、直後に急激に番付を落として初の陥落。十両、幕下でも負越しが続き、引退となった。常に先に両手を付いて待つ立合いから、懐に入ってのハズ押しが武器。大勝ち、大負けが少なかった。
小結 霜鳥(霜鳳) 懐の深さを生かした右四つがっぷりの相撲。突っ張りから右四ツに持ち込んでの寄り身という型があった。新潟出身、東農大から時津風部屋という典型的なコースで一時豊山襲名の噂も出たが、本名からのち霜鳳(しもおおとり→しもとりと読みも変化)と改名した。幕下付出から順調に出世し、14年入幕。休場力士続出で入幕3場所目には8枚目ながら横綱戦が組まれ、見事武蔵丸を寄り切った。翌日は優勝した千代大海に敗れたが敢闘賞に輝いた。その後故障で十両に落ちたものの、16年1月11勝して三役の座を射止めた。しかし上位定着は数場所に終わり、腰痛の慢性化で長く十両暮らし。7度目の入幕となった21年以降ようやく幕内に定着、ベテランらしい渋みのある四ツ相撲を見せていたが、八百長事件で引退に追い込まれた。
小結 普天王 ブログで有名になったIT力士。高校時代にはのちの朝青龍を下し、日大でもアマチュア横綱に輝いた実績を引っ提げ、衰退著しい出羽海の期待を背負って15年1月15枚目格付出デビュー。この場所高校中退で入門した朝青龍は早くも横綱に昇進している。2年半後、敢闘賞、技能賞と連続受賞して新三役となった17年9月場所初日、朝青龍を左四つ右上手を引きつけて寄り倒す。この年完全制覇を成し遂げたかつてのライバルが、初日に敗れる大波乱だった。前の場所も2大関を破っており一躍上位キラーとして名を挙げたが、その後は平幕上位から中位で平凡な成績が続く。前頭二桁に落ちては二桁勝つ地力を見せていたが、21年から急に勝ち越せなくなり、ズルズルと番付を落として幕下落ち。さらに野球賭博で謹慎、実に12場所連続負け越し。幕下下位でも星が上がらず、さらに八百長騒動に伴う本場所中止で気力も限界、引退した。霜鳥とは反対の左四つで胸を合わせる形を得意とし、ワキの甘さや腰の高さも共通だったが、あんこ型で、馬力を生かした突き押しも併用する点で異なる。
小結 白馬 軽量のハンデとヒザの故障で出世は遅れたが、右で廻しを取ってのしぶとい相撲で遅咲きの三役昇進を果たし、名脇役として活躍が期待されたモンゴル人力士。残念ながら八百長事件で絶頂期に引退を余儀なくされた。20年5月の新入幕では跳ね返されてしばらく低迷したが、22年1月再入幕を果たすと今度は通用。自己最高位の5枚目でも好調で、大関日馬富士、琴欧洲も破って10勝し三役昇進を果たす。引退時28歳だったが、これから上位で曲者ぶりを発揮するかという時だった。
小結 黒海 東欧出身力士の先駆けとなったパワー型力士。破壊力のある突き押しで上位を恐れさせた。入門から2年で欧州出身初の関取、16年には幕内力士に昇進すると、順調に上位に進出。武双山には4戦4勝で引導を渡した。大関をものともせず、最強を誇った朝青龍からも2度金星を奪う。三役にはなかなか手が届かなかったが、18年9月に新三役となり、3大関を破って勝ち越した。しかし衰えは意外に早く、その後は肘の故障から突き押しの威力が落ちて下位が主戦場となる。20年3月、12勝で2度目の敢闘賞を受賞したのが最後の活躍で、両膝が慢性的に悪化して体も痩せ、左四つの相撲に活路を見出して粘ったものの24年9月を最後に引退。初土俵から連続出場を続け、最晩年に途中休場したが2日で再出場して最後の勝ち越し。満身創痍でも闘志を失わなかった。 小結 豊真将 「馬のような」評された下半身の強さで踏ん張り、前褌を引くかおっつけて出る相撲ぶり。浅く黒い筋肉質の体躯、際立って土俵所作が美しい個性派力士だった。 小結 若荒雄 益荒雄の阿武松部屋から出た初の役力士。全盛期は短かったが、闘志あふれる突っ張りが印象に残る。早くから幕下で期待されながら停滞し、平成21年、苦節11年目にしてようやく新入幕。23年に入り定着すると九州場所で12勝して敢闘賞。翌24年初場所に小結昇進。初日は白鵬に真っ向突っ張りを繰り出して闘志を見せた。上位での活躍を期待されたが、腰痛に苦しみ急降下。若くして引退となった。
小結 時天空 多彩な足技や張り手、変化と自在な相撲で沸かせた。モンゴル出身だが大学相撲を経て入門。記録的なスピード出世で2年で入幕を果たした。17年九州では10勝を挙げ、突っ張りの進境を評価されて生涯唯一の三賞となる技能賞。初めて上位に進出すると、曲者ぶりを発揮。18年から20年にかけては小結2場所など上位に定着し、朝青龍を破っている。上位には長く定着できなかったが、立合いのけたぐりも武器にして息の長い活躍を見せ、25年には6年ぶりの三役復帰も果たした。幕内を通算63場所を務めたが、27年に悪性リンパ腫が見つかり長期休場、37歳を目前に丸刈り姿で無念の引退となった。日本国籍を取得しており間垣を襲名したが、程なく再発し早逝した。懐深く柔らかい体躯で、正攻法を磨いて強くなりそうだったが、柔道仕込みの足癖や、ケレン相撲が目立った。 小結 臥牙丸 巨体を武器に愛された欧州出身力士。22年入幕。23年秋には2日目から白星街道、11日目大関把瑠都も送り出しに破って10連勝し、敢闘賞獲得。24年初場所も12勝で敢闘賞を得て、春場所は新三役。当時北の湖部屋預かりで、同部屋唯一の役力士となった。その後木瀬部屋の再興と共に部屋頭として健闘するが、ワキの甘さ、脆さを突かれて低迷し、26年には十両転落。27年、再入幕を果たすと11勝。翌場所は日馬富士から初金星を挙げた。しかし上位定着はならず、4度目の陥落以降は幕内に戻れず。令和2年は膝の状態が悪化、休場続きで最終場所は序二段で引退を発表した。巨体が最大の武器ながらコンプレックスらしく、いつも公称199キロ。相手を正面に置いてのど輪押しが炸裂すれば馬力が活きたが、廻しを引き付けられると重さを発揮できなかった。 小結 千代鳳 22歳で三役に登った九重部屋新時代の旗手。実兄千代丸と出世を争い、19歳で新十両。約一年で突破し、一度は転落するが十両優勝して再入幕を果たすと、10勝、9勝ながら幸運にも新三役。負越しはしたが、横綱鶴竜と大関琴奨菊を破り、期待が高まった。ところが故障が多く、3度目の転落となった29年3月以降は幕内に戻れなかった。一時三段目まで番付を下げたが、良く立ち直り、2年半ぶりに十両復帰。定着しかけていたが、3年に入って急に崩れ幕下転落。まだ29歳ながら引退となった。
小結 松鳳山 浅黒く眼光鋭い野武士の風貌。張り手も辞さない突っ張りを武器とし、左四つからの右上手投げも強かった。大卒ながら4年かかって関取なった途端、野球賭博事件に関与し幕下下位から出直しを迫られたが、復帰後4場所で新入幕を果たす。入幕から1年後の24年ご当所九州では、3大関破って二桁で敢闘賞、翌場所新小結。小結は通算5場所務めたが、勝越しはならず。27年には突然調子を崩して一時十両に低迷も、優勝して幕内復帰した九州では自己最高の12勝を挙げ3度目の敢闘賞。千秋楽まで1差につけた。上位に復帰すると30歳を過ぎても度々大物食いを果たし、30年5月には鶴竜に唯一の土をつけ殊勲賞。4年ぶりに三役へ復帰。38歳まで関取を維持した。 小結 常幸龍 デビュー27連勝の新記録でスピード出世した学生相撲出身力士。23年技量審査場所でデビュー。三段目まで本割全勝(序二段決定戦は敗退)、幕下で無敗記録は止まったが、8人の決定戦を制した。十両へは最速タイの6場所、幕内には最速記録の9場所で到達した。ここから伸び悩み定着できなかったが、3度目の入幕後は3場所連続で勝越すと幸運にも新小結に昇進した。その後日馬富士から金星を挙げたが、右膝の重傷に苦しんで三段目まで転落。幕下生活が長くなっても腐らず2度十両復帰したが、34歳で引退した。
小結 千代大龍 九重部屋には珍しい大卒力士で、タイトルを取って幕下15枚目格付出デビュー予定も八百長騒動で待たされ、デビュー場所では途中休場と多難なスタートだったが、すぐに立ち直って所要1年で入幕した。連続二桁で上位に進出した平成25年春では1横綱2大関を3連破。名古屋では再び日馬富士から金星。九州では技能賞を獲り、26年には新三役と順調だった。しかし相次ぐケガや糖尿病に苦しみ、三度十両に落ちるなど低迷。ようやく29年後半から巻き返し、30年には三役復帰。5年ぶりに金星を挙げるなど2年ほどは上位に定着したが、令和に入ると前頭二桁が主戦場となった。それでも幕内は余裕で維持し、幕内在位60場所も目前だったが、4年11月場所中に突然引退した。
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遠藤 北勝富士