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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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元横綱三重ノ海が出羽海部屋から独立して武蔵川部屋を起ち上げ、弟子の元大関武双山の藤島に禅譲した。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星) 横綱 武蔵丸(優12) ■四股名の特徴・その他 部屋名から「武蔵○」、「藤●●」、師匠から「武○山」のような四股名が多いが、本名で取る力士もいたり、バラエティに富む。 3大関を筆頭に学生相撲界に強いことで有名。平成初期からトレーニング施設をいち早く導入するなどの先進性が目立った。パワーを全面に出した出足のある大型力士がよく育つ。 ■歴史 横綱三重ノ海 膵炎に悩まされながらも30歳を過ぎて突然急浮上し横綱となった苦労人。大関から陥落経験のある唯一の横綱である。張り手を交えた速攻相撲で老獪な印象で、あまり人気のある方ではなかったが、晩年には全盛期の北の湖を差し置いて連覇を果たす活躍は見事で、玄人受けする技能を見せた。 異例の出羽独立 長く分家はご法度だった出羽海部屋。大横綱栃木山の春日野、一時的に預っていた三保ヶ関は例外で、横綱といえども千代の山の九重のように独立時には破門となっている。当時は兄弟子に当たる元横綱佐田の山が出羽海となっていたが、継承時のトラブルが九重の独立問題となった。先代出羽海はのちの武蔵川理事長(元出羽の花)で、停年後武蔵川株を三重ノ海に譲っていた。佐田の山を娘婿にして九重独立問題を引き起こした反省もあったのか、依然影響力を持っていた先代の後押しで、三重ノ海の出羽海部屋からの分家が認められた。これを境に分家禁止はなし崩しとなって分家が相次ぎ、本家は先細ってついには関取消滅となった。 幕下付出から幕内力士 選手寿命の短い相撲界において、大学卒というのはかなりの年齢的ハンデであり、かつては志望者も少なかった。昭和では、大関豊山、横綱輪島、大関朝潮くらいしか大成せず、例外的な存在だった。しかし平成に至って大卒力士が多くを占めるようになったのは、武蔵川部屋の貢献が大きい。その先駆けとなったのが大輝煌で、幕下4場所、十両は1場所で突破するという離れ業で平成3年いち早く新入幕。故障で頭打ちとなったが、付出デビューからすぐに関取という道筋を示した。また、若い部屋において新参の学生出身力士が部屋頭となったことは、叩き上げの力士を刺激し、63春組の和歌乃山が翌年10代で入幕。ハワイ出身の武蔵丸も一時練習生扱いで適性を試してから初土俵を踏ませる慎重さが功を奏し、順調に出世。武蔵川部屋は独立10年でまずまずの成果を示した。 西郷さんと平成の怪物 武蔵丸は幕下以来負け越しなしの順調な出世、関脇でもたついたが5年11月に決定戦進出、曙に敗れたものの翌場所も好成績を挙げて6年3月から大関に。刺激となったのは、やはり幕下付出からわずか4場所で入幕した武双山である。鳴り物入りで入門してきた学生相撲界のエリートは、武蔵丸大関取りの6年1月には見事な援護で殊勲賞を獲得。武蔵丸は6年名古屋、全勝で初優勝。秋は武双山が13勝と迫り、この2本柱で3大関を擁する二子山部屋に対抗した。ところが、それぞれ昇進のチャンスを逃すと、翌年以降長きに渡って停滞する。武双山は度重なる故障、武蔵丸は体重増加で動きが鈍り、突き押しから四ツへの転換に苦労して、どちらも単発の活躍に留まり二子山勢の後塵を拝する場所が続いた。 昇進ラッシュ この停滞に刺激を与えたのもやはり幕下付出力士だった。出島が一気に関脇まで駆け上がり上位の脅威となると、平成の新怪物と恐れられた雅山が4場所連続優勝で入幕。11年、右差しの相撲が安定してきた武蔵丸は、春・夏と連覇してついに横綱へ。名古屋では決定戦を制した出島が逆転で初優勝を飾り、大関昇進を決めた。翌場所からは横綱武蔵丸が連覇。先を越された武双山も黙ってはおらず、12年初場所で優勝、春場所後大関となった。翌場所、雅山もわずか入幕後8場所で大関昇進を決め、1横綱3大関を擁する黄金時代が築かれた。 6連覇 昇進力士が相次いだこの間に、武蔵川部屋は6連覇という偉業を成し遂げた。11年春から横綱を決めた武蔵丸の連覇は千秋楽で貴ノ浪、曙との直接対決を制したもの。翌名古屋の出島の逆転は、結びで1敗曙を武蔵丸が破ったことで起きた。秋は平幕の安芸乃島が競りかけたが、武双山が引きずり下ろすなど4敗すべて武蔵川勢。九州は貴乃花との相星決戦を制して武蔵丸が連覇。12年初場所もトップを走る曙に雅山が土をつけるなど包囲網が機能して、長らく苦しめられてきた曙や二子山勢に雪辱した。春場所は幕尻の貴闘力を武双山、雅山が止めきれず、文字通りスルリと逃げ切られて連覇が止まった。 武蔵丸全盛時代 武蔵丸は55場所連続勝ち越しが途絶え、不安定ながらも横綱として角界をリード、貴乃花の長期休場で実質一人横綱として努め、14年までに12回の優勝を重ねた。しかし、大関陣は長く持たなかった。怪我をおして昇進した武双山は2場所の最短陥落から復帰して立ち直ったが、出島は2年、雅山は1年しか持たず13年に立て続けに陥落、その後故障と闘いながら長く幕内で奮闘した。当時はその他、幕下で低迷していた和歌乃山、大卒ながら時間のかかった武雄山と、重心の低い毛むくじゃらコンビも活躍した。 武蔵、武双の引退 15年九州で武蔵丸が、1年後武双山が引退してついに横綱大関がいなくなった。出島、雅山に新鋭の垣添といった力士が幕内上位で朝青龍に対抗する時代となった。故障持ちながらも随所に存在感を見せた元大関コンビは何度か金星を挙げている。雅山は18年に関脇に定着。夏には14勝して白鵬と決定戦を戦うなど3場所34勝を挙げながら大関再昇進は見送られた。以後、大卒の有望株を確保できず勢いは衰えた。上がってくる力士も超遅咲きの武州山、剣武など。モンゴル人力士も翔天狼が幕下で伸び悩み、ようやく幕内に上がって白鵬から金星を挙げたものの勢いが続かなかった。 藤島、武蔵川に相続 三重ノ海の武蔵川は理事長に就任し、23年から部屋運営を元大関武双山の藤島に任せた。通常なら名跡交換して武蔵川部屋の2代目師匠となるところだが、そのままの年寄名で部屋を継承したため藤島部屋と改称されることとなった。藤島部屋というと元大関貴ノ花が記憶に新しいので違和感があった。25年になって元横綱武蔵丸が停年となる武蔵川から名跡を引き継いで独立することが明らかになった。外国出身とはいえ横綱特権をフルに使って年寄武蔵丸で5年、その後も借株暮らしであまりに冷遇だとは思っていたが、出世頭の顔を立てて武蔵川継承という見事な采配だったことに感心した。
■現状・展望 新生藤島部屋として新たなスタートを切るが、関取はベテラン揃い。藤島となってからの三役第一号は、5年ぶりに復帰の雅山だった。平成中期から大卒の親方が次々独立して有望な大学生が分散してしまい、かつてのように続々大学相撲界から大物が入門とはいかなくなった。大卒即戦力に頼り過ぎた弊害か、下からの叩き上げが上がった実績が少ないこともマイナスとなっているのか、継承力士が引退すると長らく関取不在が続いたが、令和に入ってようやく武将山が十両に昇進。有望株も増えてきている。 独立した武蔵丸の武蔵川は、甥を入門させて途絶えていたハワイ出身者を復活させたものの大成せず。出島は藤島部屋付きを続けているが、雅山は二子山部屋として独立。いずれも関取は出ていないが、今後兄弟分の3部屋の競争も楽しみだ。それにしても、かつてのライバルである藤島・二子山として部屋を持つとは奇遇なものである。
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