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八角部屋 所属
 高砂
創設
平成5年
現師匠
北勝海
前師匠
開祖
勢力
 C
実績
 C
伝統
 E


概略

  元横綱北勝海が九重部屋から初めて分家独立、以後叩き上げ、学生を問わずコンスタントに関取が出ている。

主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星)

  関脇 北勝力(三4、金1)
 小結 海鵬(三2、金1)
  幕内 隠岐の海(三1)
 十両 北勝光、北勝岩、雷光、保志光、
大岩戸、北勝国

四股名の特徴・その他

 独特の読み方をする「北勝(ほくと)」を冠にすることが多いが、全員ではない。モンゴル人コンビは師匠が関脇時代まで名乗った本名の「保志」を冠にしたが、この2人だけだった。海鵬、隠岐の海、と「海」が師匠と共通だが、これは四股名から取ったわけでもない。

  師匠同様押し相撲も力士が多いが、それぞれ体格に合わせた相撲を取っている。海鵬以来大卒力士が多い印象。

■歴史

努力の横綱北勝海   猛稽古で知られ、気迫あふれる相撲で千代の富士と共に九重黄金時代を築いた。腰の故障で3場所連続全休しながら休場明けの場所で復活優勝したことが印象に残る。大横綱の影に隠れることが多く、千代の富士引退と同時期に故障で不振に陥り翌年30歳を前に引退。主役に躍り出ることはなかったが、約5年間横綱を張って優勝8回を記録している。

九重から初の分家、親方衆も移籍  引退時は現役名のままだったが、間もなく八角を襲名して翌年部屋を創設した。のちの関脇北勝力もすでに内弟子で、伴われて移籍した。千代の富士と名跡交換して部屋を譲った北の富士の陣幕も、直接の弟子である八角部屋に移籍している(千代の富士は弟弟子にあたり、停年もまだ先だったため部屋付きで残ることを遠慮したようである)。その他の部屋付き親方も従った。そのためか、早々と監事を任されるなど親方としての出世は早かった。

日大トリオが関取に  幕下付出で角界入りした学生出身の海鵬が9年に初の関取となると、続いて海鵬の日大の先輩である北勝光も前相撲から取りながら10年に、1年後輩の北勝岩も付出から5年かかって12年に関取となった。二人は十両止まりだったが、海鵬は小兵ながら小気味よい技能相撲で活躍。13年9月には体重差100キロの横綱武蔵丸を内掛けに倒すなど上位を連破して技能賞、部屋初の三役力士となり、その後も長く土俵を沸かせた。

北勝力、賜杯へあと一歩   即戦力の大卒力士が初期の部屋を盛り立てたが、ようやく叩き上げの力士も台頭してきた。下積みは長かったが、14年に十両を2場所突破、新入幕で敢闘賞と勢いに乗って登場してきた北勝力である。突きと叩きを武器に、幕内に49場所在位。特に16年5月は横綱朝青龍の連勝を35でストップさせたばかりか、13勝1敗とあと一つで平幕優勝というところまで勝ち進んだ。惜しくも新入幕白鵬の変化に落ち、決定戦で涙を飲んだが、その後もたまに大勝ちして存在感を発揮した。

不祥事が発覚?   海鵬、北勝力が衰えが見えてきた立て続けに引退、代わって長年ホープとして期待されてきた離島の星・隠岐の海がようやく本領を発揮してきたが、その間には不祥事で甚大なダメージを負った。22年の野球賭博事件では隠岐の海らが出場停止、師匠も関与したとして処分を受けた。さらに八百長疑惑事件では、部屋初の外国人関取だった保志光、引退したばかりの元海鵬の谷川がクロ判定を受ける。ほとんどの力士が引退・退職勧告を受入れる中で、谷川は最後まで否定して勧告も受け入れず解雇処分となった。

■現状・展望

 23年は隠岐の海が成長して上位でも健闘、3人目の三役力士以上の大成が期待される。幕下との往復から脱しつつある元学生横綱の上林改め大岩戸、史上初めて十両からケガ等で番付外まで落ちながら1年で戻ってきた北勝国と3人の関取を抱える。総勢でも大部屋の部類に入る。

 学生力士が多く門を叩いていたが、伸び悩みが目立ち、最近は九重にお株を奪われている。

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