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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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大正期の名横綱栃木山が出羽海部屋から独立して興した部屋。 平成に入って玉ノ井、入間川、千賀ノ浦が独立。閉鎖した田子ノ浦の一部と三保ヶ関が合流。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星。) 横綱 栃錦(優10)、栃ノ海(優3) ■四股名の特徴・その他 栃木山から取った「栃」の冠がトレードマーク。部屋名から春日を取ったのは春日錦くらい(春日山部屋と重なるからか)。 栃木山、栃錦、栃ノ海と3代の名人横綱に象徴される技能相撲の伝統がある。巧さの方は栃東父子の玉ノ井部屋の方に色濃く受け継がれているが、玄人好みの厳しい速攻相撲は栃乃和歌、栃乃花、栃煌山など本家で脈々と引き継がれている。マムシと呼ばれた若き日の栃錦の変幻ぶりは、栃赤城や金城、栃剣といった力士が受け継いでいたが、最近このタイプは見当たらない。 ■歴史 栃木山、異例の分家独立 大正末期に活躍した名人横綱栃木山。おっつけ、ハズの技能、怪力で知られる。無敵の横綱太刀山の連勝記録を止めてその名を高め、横綱を張ると無敵のままで引退した。師匠常陸山の出羽海部屋からの分家は許されていなかったが、その実績もあって独立を認められた。名跡を世話されたわけではなく、養父の行司から受け継いだことも一因だったと伝わる。3連覇中の引退は髷が結えなくなったからという説や、引退から6年経った昭和6年の選手権大会に出場して優勝してしまったという逸話も有名。 戦前まで 自身はいまだ強かったが、弟子はなかなか大成しなかった。関取は本家出羽海が大半を占め、王者も二所の玉錦、立浪の双葉山と他系列から出る。長身相模川や、双葉山から2金星を挙げた鹿嶌洋が戦後にかけて活躍した。 横綱栃錦が二枚鑑札に 春日野部屋が賑やかになるのは戦後。小兵の栃錦がサーカス相撲を卒業して本格化、29年に横綱昇進し栃若時代を築く。速攻相撲で近代相撲の基礎を築いたと評される。同時代には狛犬型の立合いで知られた鳴門海がいたが、これも前さばきには定評があった。34年に春日野が死去すると、栃錦が現役のまま春日野部屋を率いた。当時は二枚鑑札が認められていたが、やはり負担は大きかったか35年5月に突如引退。1月に優勝、3月は全勝決戦で敗れたばかり。桜の花の散る如く、と全盛のうちに潔く身を引く決断は師匠譲りだった。 大関同時昇進、名人横綱続く 栃錦が春日野となってからは理事長としての活躍も有名だが、先代から引き継いだ弟子の活躍も目立った。37年5月には栃ノ海が優勝、ベテラン栃光も1差で同時に大関昇進という快挙。栃ノ海は栃錦以上と評された技能の持ち主で、横綱にも昇進したが、怪我のため不本意な成績が続いて41年に28歳にして引退。同年栃光も引退しており、以降長らく横綱大関は不在となる。関取は絶えず数人抱えていたが、翌年には番付削減の影響もあって一時幕内力士が消えた。 名脇役の活躍 その後、三役や三賞の常連となる名脇役タイプは次々と出た。40年代は技能力士栃東が支え、47年には平幕優勝を飾っている。50年代には金城(のち栃光)、栃赤城がサーカス相撲で鳴らし、一時は大関も期待された。60年代には突っ張りからの叩きを得意とした舛田山、突き押しの栃司、小錦を「一蹴」した蹴返しの栃剣など一芸のある力士が出た。大卒力士の活躍も目立った。 栃ノ海の春日野時代 元横綱としてはかなり長期間部屋付きを務めていた元栃ノ海の中立だが、平成2年に栃錦が死去すると春日野を継承した。学生相撲出身の栃乃和歌が長く強豪として鳴らし、平成10年ごろからは入れ替わりに栃乃洋が上位キラーとして金星12を稼いだ。長く活躍した2人がいたが、これに続く力士は乏しかった。部屋からは元栃東の玉ノ井部屋、元栃司の入間川、元舛田山の千賀ノ浦と分家独立が相次いだ。 栃乃和歌へ継承 栃ノ海の停年後、部屋付きの栃乃和歌が継承。栃煌山、栃栄、栃乃若ら高卒の有望株を獲得したほか、元久島海の田子ノ浦の急逝に伴い碧山が移籍してきて層が厚くなった。順調に見えたが、23年に引退直後の元春日錦の八百長メールが発覚、翌年には師匠の栃ノ心への暴行が取り沙汰され、ホープ栃乃若が突然引退するなどトラブルが相次いだ。 賜杯、大関が戻る 平成24年に栃煌山が優勝決定戦に進出するが、惜しくも敗れる。関脇経験者3人を擁しながら停滞感があったが、平成30年初場所、一時ケガで幕下下位まで番付を落としていた栃ノ心が平幕優勝。栃東の平幕優勝以来実に46年ぶりに賜杯が戻った。2場所後には再び優勝争いに絡み、昭和37年の栃光・栃ノ海の同時昇進以来の新大関誕生となる。突然部屋の悲願が2つ達成された。 ■現状・展望 栃ノ心は怪我が祟って長く大関を保てず。栃煌山、碧山も衰えを隠せない。3本柱に続く世代が出てこないと、現在最も長い80年以上継続している関取在位も危うくなる。(令和元年9月)
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