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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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一代年寄北の湖が三保ヶ関部屋から独立。のち二十山、木瀬の部屋を吸収して一時は角界屈指の大所帯となった。関取はコンスタントに育ったが、三役は木瀬部屋から預かっていた臥牙丸が昇進したのみだった。27年11月に理事長在職中の師匠が急逝、一代年寄だったため、部屋付だった山響が部屋を受け継いで改称した。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星) 小結 ※臥牙丸(敢2金1) ☆二十山から移籍 ■四股名の特徴・その他 他の部屋から移籍した力士も多くそれほど統一性はないが、師匠の四股名から「北」「湖」が付けられる傾向がある。 巌雄、金親、須佐の湖など巨漢揃い。そこに一時200キロ級多数の木瀬勢が加わった。 北桜に代表される晩成の力士が多い傾向も。 弟子の金親は宮城野、北桜は式秀と一門外の部屋を継承する珍しいケースが2件もあった。 ■歴史 一代年寄北の湖 大鵬に続く戦後の大横綱。史上最年少横綱は10年余り土俵に君臨、24回の優勝を果たした。ふてぶてしい土俵態度と相手を圧倒する取り口で「憎らしいほど強い」と若い頃はヒールだったが、晩年ケガとの戦いの末の復活優勝は感動を呼び、関係者から人柄を高く評価されている。抜群の実績から一代年寄を贈られた。 早々と独立 所属する三保ヶ関部屋は師匠大関増位山が再興、一代で1横綱2大関を育てた。現役中の昭和59年に師匠は停年、すでに師匠の息子で兄弟子の元大関増位山が継承していた。一代年寄を取得したこともあるが、それ以前に小野川を取得するなど早くから独立は既定路線だった。引退した60年には早くも北の湖部屋を立ち上げたが、同年は実父と先代三保ヶ関が死去するなど激動の一年となった。 関取誕生 巌雄ら幕内に 特に有望な内弟子がいたわけでもなく、一から立ち上げとあって弟子の育成には時間がかかった。6年目の平成3年、独立時に移籍した力士の中から初の関取・太晨が誕生、月山(金親)、須佐の湖などが続くが幕内は遠かった。壁を破ったのは独立したから入門した巌雄で、4年1月の新十両の後三段目に落ちるなど苦労したが、8年3月に新入幕。4年ほど幕内に在位、大きな活躍はなかったが9年9月前頭筆頭を最高位とした。いまだこれが部屋の最高位。太晨以外は揃って巨漢揃い。須佐の湖は250キロ近くをマーク。巨漢力士が育つ傾向は現在まで続いている。初期に入門した力士からはなかなか関取が出なかったが、13年になってベテラン北桜が幕内に。定着はできなかったものの、30代でますます元気、独特の風貌とファンサービスで存在感があった。 二十山吸収 なかなか大成する力士は出せなかったが、協会運営では実績を積んで14年から若くして理事長となる。信頼も厚く、18年に弟弟子・元大関北天佑の二十山が急死した際にはその弟子を引き取った。移籍してきた幕内白露山が部屋頭となっていたが、20年の検査で兄の露鵬と共に大麻が検出されて解雇。協会の不祥事が続いて責任を問われていたが、弟子の不祥事で遂に理事長を辞任した。 木瀬吸収 白露山に代わって直弟子の北太樹が幕内となってその後の部屋を支える。22年、三保ヶ関部屋から独立した元肥後ノ海の木瀬が暴力団絡みの事件で部屋閉鎖の処分を受ける。清瀬海、明瀬山といった学生相撲で実績のある力士を迎え、部屋はますます膨れ上がり、部屋に力士があふれるほど(巨漢力士が多いことが一因?)。角界一の大所帯となった。そして臥牙丸が、部屋初の三賞獲得、三役力士となる。ところが23年、移籍力士の一人清瀬海の八百長メールが発覚し大騒動に。移籍力士の不祥事に頭を悩ます結果となった。その後理事長に復帰、24年には早くも木瀬部屋の再興を認め、力士らは再度移籍することとなった。 山響への継承 27年11月場所中に師匠が急逝、継承の承認は場所後になることから、所属力士は特例で北の湖部屋の力士として土俵に上がった。すでに高齢だった北太樹は幕下に落ちて30年初場所前に引退。関取不在が続いている。 ■現状・展望 幕内経験のある北播磨、鳰の海も幕下に落ちて久しく、大きく番付を下げている。関取不在を打破したい。(令和5年6月) |