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タイトル 6

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部屋 所属 
時津風⇒二所ノ関
創設 昭和57年 現師匠
湊富士
前師匠
開祖
豊山
勢力
 E
実績
 D
伝統
   C


概略

 時津風部屋の元小結豊山の湊が独立して創設。唯一の関取だった湊富士が継承している。

主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星)

  関脇  逸ノ城(優1殊3敢1)
  幕内  湊富士(敢1金3)
  十両  
仲の国

四股名の特徴・その他

 部屋名から「湊」をつける力士が特徴だが、それほど多くない。

 埼玉県に部屋を構えたことが有名だが、近隣に出稽古先がない。

■歴史

小結豊山   新潟は新発田農業高校出身で東農大を経て時津風部屋に入門したが、これは師匠元大関豊山と全く同じ。現在にも通じるエリートコースの一つだ。学生時代から鳴り響いた長濱の名で出世、3場所で関取となり、ライバルだった輪島との対戦では十両ながら懸賞がついた。大きな期待を背負って入幕後豊山を名乗る。輪島からは金星4個(通算8個)を獲得するなど長く幕内上位で善戦したが、最高位は小結に留まった。一度も休場せず33歳まで取って56年に引退。

一子相伝   引退から1年で独立。時津風部屋からは立田川に続いて2つめの分家となる。しかし本家の師匠と全く同じ経歴だけに、郷土や大学の後輩は引っ張れず新弟子のスカウトには苦労した。ようやく誕生した関取は群馬出身の湊富士。十両まで8年を要したが、マシュマロマンと呼ばれた柔らかい体を武器にしぶとい相撲を展開して長く幕内で取った。熱心に二子山部屋に出稽古し、横綱貴乃花からは連続で金星を奪う「恩返し」を果たした。これに続く力士が待たれたが、ついに現れず14年に引退。

湊富士へ継承  湊富士引退と入れ替わるように入門してきた中国出身の仲の国は、22年7月に新十両。師匠最後の場所で好成績を納め、部屋が元湊富士の立田川に譲られた直後に朗報が届いた。長く審判委員を務め、副理事まで務めた豊山の湊だったが健康問題もあって早めのバトンタッチとなった。仲の国は十両1場所限りで、燃え尽きたようにズルズルと三段目まで後退し引退。2代目は最初の場所を除いて関取不在が続いた。

逸ノ城衝撃的デビュー   これを一瞬で打破したのが逸ノ城。モンゴル人力士でも珍しい遊牧民出身の大器は、高校への留学を経て実業団でタイトルを取って付出デビュー。プロ入り5場所目にして、いきなり1横綱2大関を破り13勝。新入幕優勝こそ逃したが、翌場所には師匠も先代も超えて、部屋勢初の三役となる関脇に昇進した。横綱大関間違いなしと言われながら、200キロを優に超えた巨体で腰痛と折り合いをつけるのは難しく、単発の活躍に留まった。14勝しても全勝横綱と対戦もなく逃げ切られたりと運もなかったが、令和4年名古屋でついに平幕優勝。30歳にして開花と期待されたが、それから一年立たず引退してしまった。

■現状・展望

 表向きの引退原因は腰痛悪化だが、飲酒トラブルや師匠との溝が報道されており、互いに匙を投げた感じだろう。とはいえ創設40年の部屋の歴史で最も輝いた米櫃が去って、再び関取不在。立て直せるか。

 

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