部屋分析     部屋データへ
部屋一覧

二所一門
二所ノ関

鳴戸
松ケ根
花籠
放駒
峰崎

芝田山

佐渡ヶ嶽
尾車
片男波
高田川

貴乃花G
二子山・貴乃花
間垣
阿武松
大鵬・大嶽

出羽一門
出羽海
武蔵川・藤島
境川
田子ノ浦
春日野
玉ノ井
入間川
千賀ノ浦
三保ヶ関
北の湖
尾上

木瀬

立浪一門
立浪
宮城野
大島
安治川・伊勢ケ濱
友綱
追手風

朝日山
春日山


時津風一門
時津風
  
式秀
 
荒汐

伊勢ノ海
鏡山
井筒
錣山

陸奥

高砂一門
高砂
中村
東関

錦戸

九重
八角

 

 

 
田子ノ浦部屋
(前・鳴戸部屋)
所属
二所ノ関
創設
平成元年
現師匠
隆の鶴
前師匠
 
開祖
隆の里
勢力
 B
実績
 B
伝統
 D


概略

  元横綱隆の里が二子山部屋から独立。若の里、隆乃若の両関脇に続き、稀勢の里が長く三役で活躍した末に大関へ。23年に幕内に上がった隆の山、高安と個性の強い力士が続々登場する。23年九州場所直前に元隆の里が急死、急遽隆の鶴が継承したが、25年末の年寄株提出時のトラブルで、師匠が新たに田子ノ浦名跡を取得し部屋の名称を変更。部屋も松戸市から両国の旧・三保ヶ関部屋へ移転した。

主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星)

 大関 稀勢の里
  関脇 隆乃若、若の里
 
小結 安
 幕内 力櫻、隆の鶴、隆の山

四股名の特徴・その他

 「隆の里」から、「隆」や「里」がつけられることが多い。どのタイミングで四股名を与えるかは弟子によって異なり、若の里らは十両昇進時、稀勢の里は幕内昇進時、高安は幕内でも本名で取っている。

  師匠譲りの力強い四ツ相撲の力士が育つことでも有名。そろって腰高の傾向があるとも言われる(これも前師匠譲り)。先代師匠は出稽古が原則禁止するなど、特異な指導方針でも知られた。

■歴史

執念の横綱隆の里   糖尿病を徹底した食事療法で克服して30歳を過ぎて横綱となった苦労人。そのため医学や食育にも精通。勉強熱心さは相撲に対しても発揮され、千代の富士対策を練って天敵となって立ちはだかったことでも有名。出始めのビデオテープで徹底的に研究した分析力は師匠としても発揮され、白鵬の連勝記録に立ち向かった稀勢の里にも策を伝授したと言われる。現役当時の二子山部屋には同期の横綱若乃花、大関貴ノ花、若島津と四ツ相撲の強豪がひしめき、出稽古をしないという鳴戸部屋の方針が築かれた。

ホープ・力櫻が離脱  昭和61年に引退し、部屋付きを経て平成元年に独立。連れてきた内弟子の中には、63年春初土俵の黄金世代・二子桜改め力櫻もいた。四股名のとおり力強さが持ち味の長身で、平成5年に部屋初の関取、8年に入幕を果たす。初めて上位挑戦となる4枚目に昇進した9年9月、突然休場して24歳で引退。師匠との不仲が原因で部屋を飛び出して戻らなかったのである。そのご力皇としてプロレス界で大活躍する逸材を逃してしまったわけだが、糖尿で苦しんだ経験から弟子も厳しく管理した鳴戸の緻密さが新世代の力士と真っ向対立してしまった結果だった。もし二子山に残っていれば...

鳴戸の若隆  部屋頭が思わぬ形で消えてしまったが、続いて期待されたのが鳴戸の若隆こと若の里と隆乃若である。先陣を切って平成10年に入幕した若の里は、上位を脅かして期待を集める。ヒザのケガでしばらく低迷する間に、同い年の隆乃若が台頭。11年に十両、幕内と駆け上がって遅れを取り戻す。立て続けに三役に昇進し大関候補として並び称される。固太りの筋肉質な若の里、長身でスケールの大きな隆乃若。かつて同期同部屋で競った師匠隆の里と若乃花から四股名をつけられた期待に応えて、個性までそっくりだった。

悲願の大関   上位キラーとして鳴らした若の里は13年から三役定着。隆乃若はしばらく平幕だったが14年11月に復帰すると11勝し新関脇に、15年1月は千秋楽に連続の二桁を賭けたが、その一番で張り手を食ってヒザを故障。翌場所から長期休場し、上位に戻ってくることはなかった。無念を晴らすべく、若の里がその地位を窺ったが2度三役で連続二桁を上げながらもチャンスを逃す。17年に再びヒザを痛めて以降は三役に戻れなかった。代わって登場してきたのが稀勢の里である。18年に新三役となると、以降日本人力士の期待を一手に集めたが、なかなか安定しない。三役止まりのジンクスが部屋に生まれてしまったかのようだった。

師匠急逝・大関誕生  転機となったのは22年の九州。平幕に落ちていた稀勢の里は、63連勝と無敵を誇った横綱白鵬を真っ向寄り切り、双葉山の神話を守った救世主としてその名を残す。一年後、一皮むけて初めての大関取りに挑む九州場所。場所前に師匠の暴行や弟子へのインシュリン注射など鳴戸部屋に疑惑が持ち上がる。稀勢の里も幇助したと報道されて、協会から聴取が予定されていたが、そのタイミングで突如渦中の鳴戸が急死した。調査は打ち切り、処分はなかったものの、稀勢の里は逆境の中で場所に挑んだ。そして何とか10勝を挙げて亡き師匠に悲願の大関昇進を報告した。その後安定した成績で日本人横綱誕生という日本中の期待を背負っている。

■現状・展望

 23年九州場所1週間前の急逝とあって、即座に後継者を決める必要があった。一門内の協議の末、部屋付きの隆の鶴が継承することとなった。隆の鶴は若の里、隆乃若とおなじ51年生まれ。幕内数場所に終わったが、同時期の闘牙とそっくりのモミアゲ姿で話題となった力士。やはりガチガチの四ツ相撲だった。25年末、新法人移行のため年寄名跡を提出する必要があったが、先代の遺族から引き渡しを受けていなかった現師匠は当初期限までに提出ができず、協議を諦めて新たに田子ノ浦名跡を取得。初場所を間近に控えて部屋の改称、移転という事態となった。

 部屋頭の稀勢の里は、大関取りのかかった23年九州直前に先代が急逝。このときは部屋の悲願・大関誕生の夢を果たした。26年初場所は綱取りがかかっていたが、これまた直前に部屋消滅騒動が起きてしまった。次々とやってくる試練を乗り越えて最高位をつかめるか。

(平成26年1月)

inserted by FC2 system