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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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元大関琴風が佐渡ヶ嶽部屋から独立して創設。のち一門の押尾川部屋が合流。弟弟子の元琴錦が部屋付きを経て、朝日山部屋として独立。幕内力士誕生には時間がかかったが、最高齢新関脇となった豪風、嘉風が長く活躍し、後期には大卒力士を中心に多くの関取が誕生。師匠停年時には継承の形は取らず、閉鎖。在籍していた弟子は、閉鎖と同時に独立した豪風の押尾川部屋と、嘉風の中村の移籍する二所ノ関部屋(元稀勢の里)に分かれて移籍した。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星。※は押尾川部屋からの移籍) 関脇 豪風(敢2、金1)、嘉風(殊2敢4技4、金8) ■四股名の特徴・その他 師匠琴風から「風」の一時をもらう力士が多く、後年はほぼ「●●かぜ」の2字4音を特徴とした。本名で幕内に上がった矢後には、琴風襲名の噂も出た。離れて取り、素早い変化技で撹乱する力士が揃う。また、師匠は28歳で引退したが、対照的に30歳を超えて最盛期を迎える遅咲きが多い。得意のがぶり寄りは弟弟子にあたる琴奨菊が受け継いでいる。 ■歴史 地獄を見た大関琴風 名スカウトとして知られる横綱琴櫻が現役時代に内弟子として自宅に住まわせた第一号。独立に備えて佐渡ヶ嶽部屋にも隠していたという秘蔵っ子だった。出足を武器に若くして大関候補と期待されたが、ヒザを痛めて幕下中位まで陥落。そこから這い上がって大関を取った苦労人である。迫力あるがぶり寄りを武器に、2度優勝するなど大関として安定した成績を残したが、故障で陥落し昭和60年、28歳の若さで土俵を去った。 独立、初期の苦戦 引退から2年後、佐渡ヶ嶽から初めての分家として独立。内弟子5人を引き連れたが、なかなか関取は現れなかった。10年以上が経過した平成12年にようやく関取となったのは独立直後に入門した富風。15年に昇進した舞風ともどもスロー昇進で、師匠が引退した年齢を超えていた。遅咲きを期待されたが十両定着ならず。 学生出身力士が台頭 スロー出世の生え抜き力士を尻目に、平成10年代後半には大学相撲で実績のある豪風、嘉風があっという間に番付を駆け上がる。学生横綱豪風は15枚目格付出から所要5場所で入幕、20年には12勝して部屋初の三賞、翌場所は初の三役力士となる。これに続いた元アマ横綱嘉風は前相撲から取ったが丸2年で入幕。中位から上位に定着して、スピードを武器に曲者として活躍した。 押尾川部屋合流 17年には同門の押尾川部屋を吸収。押尾川は、二所ノ関継承問題が紛糾して独立した経緯から本家への合流は考えられず、出世頭の元関脇益荒雄の阿武松とは独立時に揉めており、ほかにも恵那櫻、大至など何人もの名力士を輩出した部屋ながら後継の目処が立っていなかった。そのため以前から交流の深かったことから、系統の違うが尾車部屋へ力士を移籍させることとなった(近年は珍しくなくなったが)。若兎馬や若麒麟とこれまたスピード感のある幕内力士が出て賑やかになった。 不祥事続きで苦悩 ところが、移籍組の若麒麟が大麻事件で解雇処分。師匠も二階級降格処分。立て直しを図るも、野球賭博では出場停止こそ免れたが一部弟子が関与。八百長事件ではモンゴル出身の十両星風が解雇された。 最年長記録樹立から飛躍 大学時代に実績を残した豪風、嘉風だが、プロでは小兵の部類で安定した成績は残せずベテランと呼ばれる年齢になっていたが、平成26年7月、4日目に嘉風が32歳で最高齢初金星。すると9日目には豪風が35歳での初金星とわずか5日で更新した。さらに翌場所、豪風は最年長新関脇となり、39歳まで関取を張った。嘉風はさらに大きく遅咲きの花を咲かせ、金星は8個まで伸ばすなど上位キラーとして鳴らし、三賞常連となった。その間、尾車が転倒により重傷を負って心配されたが、見事にカムバックを果たし、協会内でも八角政権でナンバー2を務めた。 弟子は2手に分かれて 30代後半まで幕内で健闘した両雄。そこに友風、矢後と大卒力士が入幕。しばらく安泰かと思われたが、ついに豪風が引退すると、まだまだ上位で活躍できそうだった嘉風が不慮の事故で引退を余儀なくされ、早々に金星を挙げた友風も重傷を負って1年以上の離脱。矢後も伸び悩んで幕下に転落してしまい、一時は関取が途絶えた。間もなく矢後が十両復帰、友風も奇跡的な回復を果たして急速に番付を戻してきたところで、師匠が停年を迎えるため、国技館開催の令和4年初場所限り閉鎖となった。部屋付きの功労者2人がいて、継承が注目されていたが、尾車部屋は閉鎖し、同時に豪風の押尾川部屋が3人の弟子と尾車を受け入れて「独立」。嘉風の中村は、コロナ禍で引退相撲も延び延びになっていたこともあって間に合わず、残りの弟子と共に二所ノ関部屋へ一時預かりとなった。それぞれ出身大学の後輩を連れている。 ■総括 豪風、嘉風が長く部屋を引っ張った時期の印象が強い。そのほかの力士も幕内上位までは上がれなかったが、なかなかに個性的。部屋は1代限りとなったが、後継問題を起こさず引き継いだのはさすがクレバーだった。
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