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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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部屋付き時代に師匠がスカウトした力士が移籍し、あっという間に多くの関取を抱える注目の存在に。その後大関把瑠都が誕生したが、八百長事件で関取経験者を多数失った。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星) 大関 把瑠都(優1) ■四股名の特徴・その他 師匠は本名から「濱」の字を取っていたが、弟子も苗字から取ったり、そのままだったりするケースが多い。 太いパイプを持つ学生相撲出身者が中心。 ■歴史 小結濱ノ嶋 日大出身で若貴時代に活躍した技能派力士。軽量ながらしぶとい相撲で上位を苦しめた。同級生の肥後ノ海とは高校、大学、三保ケ関部屋とずっと同じだった。晩年は十両から陥落しながら長く土俵を務めていたが、16年に引退。 三保ヶ関後継を固辞し独立 引退後は精力的にスカウトを行い、日大の後輩や、エストニアからは把瑠都を引っ張ってきた。三保ヶ関部屋の師匠・二代増位山は、濱ノ嶋を部屋の後継者と考えていたが、伝統ある部屋を引き継ぐ自信がないとして独立の道を選んだ。幕内に昇進していた把瑠都らはこれに伴って移籍した。盟友肥後ノ海は、これに先立って木瀬部屋を興して独立。こちらも大卒の力士を入門させて有望力士が出てきていた。新興の2部屋は急速に台頭していった。 急成長 把瑠都は何度か怪我で挫折しながらも地力を増して22年に大関へ。その他も個性派が育ち、伝え反りの使い手・里山や日本人史上最重量関取・山本山、柔らかさが武器の境澤、短躯の白乃波とスピード出世で関取に達した。しかし、幕内下位まで進んだものの怪我などで揃って後退していった。 八百長事件で3人が引退 23年の八百長問題では、十両境澤、すでに十両から落ちていた山本山と白乃波がクロ認定さて、引退届を提出。師匠も処分を受けた上、直後に別の不祥事を起こして厳罰に処された。前年は木瀬部屋が閉鎖処分を受けていたが、それに匹敵する痛手を被った。 ■現状・展望 早くも陰りが見えた新興・尾上部屋だったが、天鎧鵬が急浮上して入幕を果たす。さらに大関で停滞していた把瑠都が24年初場所を制して部屋に初めて賜杯をもたらした。次は綱取り、というところで故障し陥落。ほどなく引退してしまった。 技巧派・里山が6年半ぶりに再入幕。あわや技能賞という活躍を見せて部屋を盛り上げた。(26年1月) |