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大島部屋 所属
立浪
創設 昭和55年 師匠
旭國 
実績
 B
伝統
   D


概略

 元大関旭國が引退後立浪部屋から独立。早々と横綱が出て軌道に乗ると、その後も安定して個性派関取が在籍。一代で成功した好例である。モンゴル人力士を初めて受け入れ、その後の相撲史に影響を与えことでも有名。30年あまり続いたが、平成24年に師匠停年に伴い閉鎖。力士は友綱部屋に移籍したが、旭天鵬に再興が託されているという。

主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星)

 横綱 旭富士(優4)
 関脇 
旭天鵬(敢5金2)
 小結 旭道山(殊2敢2)、旭豊(殊1敢1金4)、旭鷲山(殊1敢2技2金5)
 幕内 旭里、旭豪山、旭南海、
旭秀鵬
 
十両 旭日松(移籍場所に入幕)

四股名の特徴・その他

 師匠旭国から「旭」が必ずつけられる。「あさひ」又は「きょく」と呼んでバリエーションをつけている。

 叩き上げが多い部屋。横綱旭富士も近大相撲部に所属したことがあるが、中退後にスカウトしている。体型としては、いきなり成功した旭富士のような懐の深い力士、又は師匠ばりの技能的な相撲を取る力士がよく育つ。

 現幕下の旭大星の入門などを描いたドキュメンタリー映画が海外で上映された。

■歴史

技能派大関旭国  北海道旭川出身の小兵大関旭国は、ピラニアの異名を取ったしぶとさと、相撲博士と呼ばれた理詰めの相撲で50年代前半に活躍。膵炎の持病に苦しんで体には灸の絆創膏だらけだったが、土俵で死ねたら本望と執念の出場を続けた。54年に同期の三重ノ海戦で故障し引退。翌年独立して大島部屋を創設した。

隠れた大器を横綱に   生え抜きの横綱が誕生したスピード記録ではないだろうか。創設11年目の平成2年に旭富士が横綱となった。学生相撲に馴染めず近畿大学を中退して故郷に戻っていたところをスカウト。部屋の雰囲気が良さは現在でも伝わるが、団体生活を敬遠していた若者にはぴったりの新興部屋だったようだ。大関までスピード昇進を果たし、小部屋で孤立無援ながら九重2横綱を向こうに回してようやく掴んだ綱だった。在位は短かったが、師匠の果たせなかった賜杯を4度掴んだ。

個性派・人気力士の系譜  旭富士に続いて平成に入って旭道山、旭豪山、旭里と幕内力士が誕生した。旭道山は100キロに満たない軽量ながら、スピードあふれる相撲と派手な投げ技、何人もの巨漢をKOした張り手で存在感を発揮。南海のハブと恐れられた。4年に旭富士が引退した後も長く幕内を務めたが、8年に衆議院選挙に打って出て当選、廃業した。個性派の系譜は、入れ替わりに登場した旭鷲山へと受け継がれ、今後は映画でも活躍した旭日松に期待がかかる。美男力士の系譜は、角界の暴れん坊将軍と呼ばれて意外性のあった長身・旭豊(のちの立浪親方)や、旭天鵬、旭秀鵬と受け継がれる。

モンゴル人力士との邂逅  旭富士が横綱だった平成3年にはモンゴルに渡って新弟子を募集。大量6人を入門させたが脱走事件が起こり、何とか旭鷲山と旭天鵬を連れ戻す。一人脱走しなかった小兵の旭天山は一番日本に適応しており、関取にはなれなかったが長く幕下で頑張って、晩年はモンゴル出身の新弟子の通訳なども務めていた(あまり重宝されすぎて朝青龍の八百長報道がされた時には中盆として動いているのではと疑われてしまった)。モンゴル相撲の経験を存分に発揮した旭鷲山は、技のデパートモンゴル支店と騒がれ、資本主義に転じて間もない祖国では国民的英雄となった。

トラブルが続いた平成20年前後  旭鷲山は長く平幕で飄々と取っていたが、晩年はトラブルが多発。朝青龍との確執はともかく、副業がらみで暴力団と揉めて部屋にトラックが突っ込む騒ぎとなっては手のつけようがなく、心臓病を理由に突然引退した。やや下火となった部屋を支えたのは、一時はただ一人の幕内力士となってしまった旭天鵬。19年に自動車事故による謹慎で部屋と自分の連続幕内在位は途絶えさせてしまった。長く十両にあったベテランの旭南海は野球賭博事件のスキを突いて幸運な新入幕を果たすが、翌年の八百長問題ではクロ認定されて引退を余儀なくされた。

旭天鵬に託して閉鎖  後期の部屋を支えた旭天鵬は、30台後半になってもさほど衰えを見せず幕内中上位をキープ。モンゴル出身ながら親方の養子となって日本国籍を取得した。これで年寄株の取得権も得て、大島部屋の後継者に内定した。ところが、あまりに衰えないため、とうとう大島親方の停年が来てしまった。最後の24年春場所中まで調整したが、旭天鵬には現役を続けさせることを決意。14日目に力士を友綱部屋に移籍させる届けを行った。弟子の旭富士、旭豊も部屋を持っており、旭里も追手風部屋付で残っているが、なぜ友綱に落ち着いたかは不明。ただ、旭天鵬を引退させなかった決断は大英断で、翌場所37歳8ヶ月にして初優勝を飾った。記念撮影に収まった元大島親方も感無量だろう。

 

■現状・展望

 しばらく前から話題となっていた継承問題は、大島部屋の閉鎖という結果に終わってしまったが、将来的に旭天鵬が再興を目指す方針という。しかし、白鵬が独立すればこれに合流するという報道もあった。部屋数削減という流れの中で、あまり長期間のブランクは望ましくない。旭天鵬はいつまでも現役でいられそうだが、遅くとも合流先の友綱が停年となる5年後には複雑な再編がなされるだろう。

 大島部屋最終盤に登場してきた旭秀鵬、旭日松と将来を担う力士がいるだけに早い復活が望まれるが、旭天鵬の頑張りも見続けたい。旭国の大島も複雑な心境だろう。

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