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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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押尾川部屋の関脇益荒雄が、引退後所属していた大鵬部屋から独立して興した新興部屋。二所ノ関一門だったが、改革派で貴乃花グループに加わった。三役にすすんだ若荒雄はじめ、関取数人が育っている。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星) 小結 若荒雄(敢1) ■四股名の特徴・その他 年寄名のルーツである横綱阿武松緑之助から、初期は「緑」や「阿武〜」といった四股名が目立った。近年は師匠の現役名「益荒雄」から2字を取った四股名も登場。 おかみさんが元プロゴルファーとして有名。地域密着を打ち出し、子供向けの教室を開くなど斬新な試みを次々と打ち出している革新派。 ■歴史 苦難の船出 白いウルフのニックネームで大旋風を巻き起こした関脇益荒雄。細身の体ながら、62年の二場所で横綱大関を次々と撃破した印象が鮮烈である。大成が期待されたが、度重なる故障に泣いて29歳で引退となった。錣山を借りて所属の押尾川部屋付の立場にあったが、独立を目指して出羽海一門の名跡だった「阿武松」を停年となる先代から譲り受けた。一門外の名跡を取得するのは異例である(娘婿などでも珍しい)。しかし、根回し不足で独立の意向を伝えると押尾川から破門を言い渡されて大鵬部屋に身を寄せる。独立と言っても部屋予定地も弟子の目処も立っておらず、数年間大鵬部屋付となって準備に追われた。6年にようやく弟子をスカウトして部屋を興したが、肝心の器がまだなく一年ほどは大鵬部屋を借りていた。 学生相撲出身者が道を開く 熱心なスカウトで知られ、武蔵川の牙城を崩して専修大からも弟子を入門させた。緑富士は十両手前で怪我に泣いたが、13年に近大出身の魔術師・小緑(古市)が関取昇進。十両には定着出来なかったが、超小兵を補うもぐってからのずぶねり、腕捻りなどで長く幕下の土俵を沸かせた。大阪のアマ相撲の名門・古市道場の息子を二人とも入門させた手腕は見事だが、結果的にはとんでもない火種を抱えることになった。初の幕内力士もやはり大卒から。専修大でタイトルに迫った片山だった。180度近く上がる見事な四股で話題を集め、連日観衆の拍手を誘ったが、短命に終わった。 地元の星と学生力士 片山の陥落でまた関取が途絶えたが、幕下以下には多くの実力者を抱えていた。その筆頭が、地域密着を目指す部屋が所在する地元千葉県出身の八木ヶ谷(のち若荒雄)。しばらく幕下で停滞していたが、専大出の中西(のち大道)の追撃に刺激を受け、部屋勢として初めて大卒以外の力士として十両に昇進すると、蓄えていた地力が急に伸びて幕内まで昇進した。これを追って22年3月には益荒海と大道が同時に十両昇進と一気に盛り上がった。 野球賭博の巣窟に ところが、好事魔多し。7月場所中、大関琴光喜が野球賭博に関わって暴力団関係者から脅されているとして警察の調査が入ったが、その関係者とは部屋の古市の兄で押尾川部屋に所属していた元力士。阿武松部屋には家宅捜索が入るなど真相が解明され、関与の深かった古市らは引退を申し入れたが解雇され、のち一家まとめて御用となる。部屋OBの梓弓も逮捕されている。引退していた片山も部屋の力士が賭博に深入りしていたことを語っていたが、やはり発生元となった阿武松部屋の力士の関与は深かった。幕内若荒雄、十両大道が謹慎してそれぞれ一段陥落。数人の力士が書類送検、起訴された。師匠も降格処分を受け、10年間平年寄から昇格なしという厳しい処分がなされたが、かろうじて部屋存続は許された。 ■現状・展望 賭博事件は痛手だったが、謹慎力士らもそこから巻き返して幕内に躍進。23年には若荒雄が12勝の活躍で三賞、三役と部屋初の快挙を成し遂げる。第二検査出身の益荒海も十両で健闘するようになり、24年にはロシア出身の阿夢露が苦節10年にして関取となった。 筋トレなどの先進的なトレーニングを取り入れるなど、独特の指導法には成果が期待される。汚点を返上するためにも新たな弟子の成長に期待したい。 |