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佐渡ヶ嶽部屋 所属
二所ノ関
創設
昭和30年
現師匠
琴ノ若
前師匠
琴櫻
開祖
琴錦
勢力
 A
実績
 A
伝統
 B


概略

  「琴」の字で有名な佐渡ヶ嶽部屋。戦後の創設ながら、常に大所帯を抱えて幕内力士が途絶えない名門。三代目を迎え、長らく途絶えていた大関が立て続けに誕生、さらに当代の息子で先代の孫の琴ノ若が大関に。

主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星)

 横綱 琴櫻(優5)
 大関 琴ヶ濱、琴風(優2)、琴欧州(優1)、琴光喜(優1)、琴奨菊(優1)、琴ノ若U 
 関脇 長谷川(優1殊3敢3技2金9)、琴ヶ梅(殊1敢4技2金2)、琴富士(優1敢2)
     琴錦(優2殊7敢3技8金8)、琴ノ若(殊2敢5技2金8)、琴勇輝(殊1)
 小結 琴稲妻(殊1敢1)
 幕内 琴ヶ嶽、琴若、琴乃富士、琴千歳、琴別府(敢1)、琴椿、琴龍(敢1金3)、琴春日、琴恵光

四股名の特徴・その他

 先代(琴櫻)師匠の時代からは、ほとんどの力士の四股名に「琴」の冠がついている。もちろん創始者の琴錦から。

 2場所連続を含む平幕優勝4回の快記録。長谷川、琴錦、琴光喜ら「最強関脇」の系譜が続き、大関にあと一歩届かないジンクスに悩まされたが、ようやく呪縛が解けると平成19年からの15年で4大関が誕生した。

■歴史

初代琴錦   二所ノ関部屋所属、二枚鑑札の横綱玉錦のスカウトで入門も、まもなく玉錦は現役死。するどい押し相撲を武器に三役に昇進。成績にムラがあって小結3場所に終わったためあまり語られることはないが、金星7つを獲得した戦後の上位キラー。兄弟子に当たる佐賀ノ花の二所ノ関と揉めたが、引退直後に内弟子を連れて独立した。

創成期を支えた大関   移籍した中には、自らスカウトした同郷(香川県)の幕内琴ヶ浜がいた。内掛けを武器に三役定着、33年優勝決定戦に進んで大関となる。大関となってからは故障がちで不安定な成績が続き横綱は遠かったものの、技能で人気があった。ただ、これに続く力士はなかなか現れず、37年に引退すると一旦幕内力士が途絶えた。

遅咲き横綱と最強関脇  独立してから入門した弟子から、急激に飛び出したのが琴櫻。琴ヶ浜引退の翌年、わずか4年で幕内を射止めると、やや三役で停滞したが42年11月大関に昇進した。43年7月には部屋に初の賜杯をもたらす。これに続いたのが長谷川で、三役に定着して大関を窺った。しかし2人とも次の地位を前に長く停滞。47年3月、関脇に定着していた長谷川は決定戦を制して優勝、3場所30勝を記録していたが当時としては不運な見送り。その後も上位にあったが遂に悲願はならず、最強の関脇として名を残す。対して琴櫻は30歳を過ぎて休場がち、大関維持が精一杯だったが、この年の九州で突然の復活優勝。翌48年1月も制して横綱昇進と、明暗分かれた。

突然の部屋継承   49年7月場所前に琴櫻は引退。昇進後一度優勝は飾ったものの在位はわずか8場所だった。白玉の名跡を取得していた琴櫻は、独立を視野に内弟子も囲っていたが、師匠は難色をしてしていたようで、まだ中学生だった琴風はその狭間で迷惑を被ったとか。ところが、その7月場所中に佐渡ヶ嶽が52歳で急死してしまったのである。白玉を襲名したばかりの琴櫻が、急遽2代目師匠に収まった。元横綱が長期に渡り部屋付に収まることは栃ノ海くらいしか例がなく、おそらく独立していただろうが、思わぬ形で継承となった。師匠急逝時に琴櫻が現役なら琴ヶ浜が継承しただろうし、このタイミングでなければ琴櫻は独立の道を選んだと思われる。

大部屋への道  綱の重圧から解放されたのも束の間、師匠となった琴櫻の佐渡ヶ嶽は、数々に伝説が残るほどの積極的なスカウトを展開し、角界きっての大部屋へと成長させていく。子飼いの琴風はみるみるうちに番付を上げ、51年に引退した長谷川と入れ替わりに部屋頭となる。一度はケガで関脇から幕下まで陥落したものの、不屈の闘志で復帰。56年9月に初優勝を果たして佐渡ヶ嶽部屋3人目の大関となった。がぶり寄りを武器に安定した成績を残し2度目の優勝も記録したが、故障で陥落して28歳の若さで60年に引退。琴風が引っ張った昭和50年代には、これに続く強豪は出なかったが、コンコルド琴若、琴ヶ嶽、琴乃富士らが幕内に昇進するなど、これまで部屋頭に頼り切りだった体質から関取を何人も有する賑やかな部屋へと変貌を遂げた。

佐渡ヶ嶽軍団の時代  昭和60年代から平成初期にかけて、佐渡ヶ嶽部屋はついに幕内の最大勢力にのし上がる。先頭を切って走りだしたのは琴ヶ梅。三役通算18場所、三賞7回の実績を残す。重心の低い出足相撲で上位を苦しめ、千代の富士53連勝の直前の黒星をつけた他、16連勝目も物言いがつくほど追い詰めた。平成元年には三役で連続二桁をマーク。対称的に長身型の琴富士は、期待されながら伸び悩んでいたが、平成3年7月に突如13連勝して平幕優勝。すると翌場所、前年から大関候補に名乗りを上げていた琴錦も優勝。史上初の連続平幕優勝を同部屋の力士が記録し、時代を戦国へと導いた。さらに技能派の琴稲妻、大型力士琴の若、ベテラン琴椿、十両から序ノ口まで落ちて戻ってきた琴別府と、同時に7人の幕内力士を擁して、「佐渡の七琴」とも称された。

平幕優勝と最強関脇の伝統   しかし大関の地位は、近くて遠かった。琴ヶ梅は糖尿病で急失速、琴富士も一発屋に終わり、琴ノ若はミスター1分と揶揄される勝ち味の遅さで未完の大器のまま。中でも何度も優勝を争った琴錦は、大事な場所に弱くて曙、若貴らに先を越されていった。平成10年11月、衰えの見え始めた琴錦がまさかの平幕優勝を果たし、琴ノ若も30歳にして三役で二桁を記録し関脇に。師匠張りの遅咲き昇進を狙ったが、ことごとく長谷川の線を行った。平成10年代も呪縛は続く。12年に琴錦と入れ替わるように入幕してきた幕下付出の琴光喜が13年秋に平幕優勝。平成になって部屋勢からは4度目である。一気に大関を狙うが、14年初場所は関脇で12勝しながら厳しい見送り。平幕優勝を含む3場所34勝だった。それでも時間の問題と思われたが、ヒジの故障などで停滞。小結以下で13勝4度を記録したかと思えば、三役で9場所連続一桁勝越しと完全に三役に定着してしまい、最終的に先輩二人の関脇在位場所数を更新した。

最後の愛弟子を見届けて  琴光喜が停滞する間に師匠の停年が迫っていた。娘婿となっていた琴ノ若は30代後半になっても元気に幕内を務めていたが、17年11月場所中にタイムリミット。予定通り引退して佐渡ヶ嶽を襲名した。ちょうどこの場所でブルガリア出身の琴欧州が大関取りを成し遂げた。琴風以来途絶えていた部屋の悲願である大関昇進を、幕内9場所の新鋭が果たし、停年に花を添えた。1年半後、31歳となっていた琴光喜も目覚め、大関昇進。最強関脇を返上した。昇進を見届けてから1ヶ月足らずで先代は他界。大関昇進の使者には特例として立ち会っていた。

不祥事の嵐   亡き師匠に並ぶ横綱を期待されたが、2人とも大関に昇進した途端に勢いがしぼんだ。20年には琴欧洲が初優勝を果たすも勢いは続かず。すこし持ち直していた22年5月、突然のスキャンダルが琴光喜を襲う。野球賭博事件である。場所中に事情聴取を受けながら、千秋楽も見事に把瑠都を投げ転がしていたが、場所後の調査で暴力団絡みのトラブルと判明。角界全体を揺るがす大事件となり、関与が重大として、前代未聞の大関が解雇処分を受けるという事態に発展した。師匠自身も賭博に関与ありとして処分を受けた。前年には幕下の40歳琴冠佑が取組後に支度部屋で相手力士を殴って強制引退という事件も起きており、師匠の管理能力が問われた。さらに翌年2月、追い打ちをかけたのが八百長事件。部屋の琴春日が引退勧告を受けた。

4人目の大関   不祥事に揺れた部屋に明るいニュースをもたらしたのが琴奨菊。中止の春場所を挟んで関脇で二桁を続け、優勝も争った23年秋場所後に大関昇進。あれほど縁がなかった大関が、5年の間に3人誕生した。再び2大関を擁したが、ともに故障がちで綱を狙うどころかカド番が目立った。琴欧洲は25年九州でついに陥落、間もなく引退したが、琴奨菊は28年1月に突如として初優勝。1年後に陥落したが、10年ぶりの日本出身力士の賜杯で時の人となった。

二代目琴ノ若にして琴櫻   陥落後も琴奨菊は奮闘し、関脇も務めた琴勇輝はケガで引退したが、小兵の琴恵光も遅咲きながら幕内で活躍。脈々とバトンを繋ぎ、ついに真打登場。先代の孫にして、現師匠の息子の二代目琴ノ若は、やや時間は要したものの、令和4年から2年間負け越しなく、6年1月は決定戦に進んでついに大関を射止めた。

 

■現状・展望

 琴ノ若が大関へ。近々琴桜襲名となる。軽量ながらしぶとい相撲を見せていた琴恵光は十両に落ちたが、再浮上してきた琴勝峰は大関との楽日相星決戦を戦うなど有望。さらにその弟・琴手計もあっという間に十両に迫っている。

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