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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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昭和から平成にかけて綱を張った日本人最重量横綱・大乃国が、放駒部屋から独立し新たに興した部屋。 25年に独立元の放駒が停年退職したことに伴い、弟子を受け入れた。
十両 大勇武 魁 ■四股名の特徴・その他 師匠の四股名から「大」や「国」をつける力士が多い。放駒出身力士はそのままの四股名で取っている。 創設当初は山梨県に部屋を構えたことで話題になったが、現在は東京に移転している。
巨漢横綱大乃国 魁傑の内弟子として花籠部屋に入門し、独立にしたがって放駒部屋に移籍。昭和62年に横綱昇進、200キロの体で右四つに引っ張りこんで圧倒する相撲に、角聖・常陸山を重ね合わせるオールドファンもいた。2度の優勝は全勝と千秋楽自力逆転と印象的。千代の富士の53連勝をストップさせたことでも有名だが、平成に入って大苦戦し28歳にして引退となった。 やや長い部屋付時代を経て独立 3年に引退したが、他の横綱が早々に独立する中8年近く放駒部屋付の親方に留まっていた。放駒の停年近くまで残り、継承するのかとも思われたが、11年になって遂に独立、芝田山部屋を興した。なかなか弟子に恵まれず、関取誕生は遠かった。 大勇武が昇進も 重い扉を開いたのは、モンゴル勢。20年に大勇武が幕下優勝で十両昇進を決めた。ところが1場所で陥落してからは復帰できず、2年後突然引退した。その後、大勇武からは引退を強制されたとして訴えられて訴訟となっている。その後も引退した弟子との訴訟沙汰が持ち上がっているのは残念だ。 放駒を受け入れ 25年には大師匠で理事長も務めた元魁傑の放駒が停年。放駒部屋の出世頭である芝田山が弟子を引き取ることになった。放駒部屋から移籍したモンゴル出身の魁が26年1月に関取となった。
大勇武引退後には幕下力士すら不在で5人程度と廃れていたが、放駒が合流し関取も誕生。弟子は幕下数名を含む十人を超えている。 (平成26年1月)
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