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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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当時史上最多の通算964勝を記録した元小結大潮の式守秀五郎が、時津風部屋から独立して創設。 停年間近で悲願の関取誕生。部屋は一門外の北の湖部屋付きだった北桜が継承した。
十両 千昇
■四股名の特徴・その他 愛弟子の千昇には、自身があと一歩に近づいた一千勝を目指せと命名した。部屋名の「式」とともに「潮」の字も弟子の特徴になっており、おうしお(櫻潮)も登場。潮だけに、大河、潮来、海翔、若戸大橋など水に通じる四股名が目立った。 茨城県龍ケ崎という遠方に部屋を構え、地域密着戦略を取る。関取誕生時には地元紙も盛り上がったが、稀勢の里の二所ノ関部屋が近くに出来た。
鉄人大潮 昭和37年の初土俵から63年まで取り続けた超古参力士。46年の新入幕後ももたつき、53年に新三役。番付は安定しなかったが、30台前半でやっと全盛期を迎えた。晩年は幕下に落ちても諦めず、39歳での最高齢再十両を記録。964勝927敗という空前の記録を残し40歳で引退した。 苦節20年 悲願の関取誕生へ 5年後に独立したが、なかなか有望力士に恵まれずに関取不在のまま20年。息子の玉光も23年に引退してしまった。ようやくチャンスが巡ってきたのはその年の九州、千昇が優勝すれば十両の14枚目で6連勝、これに潮光山が並走という願ってもない展開だったが、7番相撲で敗れてお預けとなる。揃って十両目前となった翌24年初場所、千昇は再びあと1番勝てばという7番相撲を迎えた。しかも相手は初土俵以来負け知らずで28連勝の新記録を打ち立て、史上最速十両をかけた佐久間山(現・常幸龍)。この大一番でベテランの味を発揮した千昇が、新鋭に初黒星をつけて劇的な十両昇進劇となった。
苦労人・千昇も新十両では途中休場し陥落してしまった。遅咲きだけに、再起に期待したい。 師匠は25年1月で停年となり、異例の一門外からの抜擢となった。実父の元豊桜と先代が兄弟弟子という関係もあった。
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