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二所一門 出羽一門 立浪一門
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史上最多32回の優勝を誇る横綱大鵬が開祖。引退後一代年寄を襲名し、内弟子を連れて独立。娘婿で同一門の大嶽(元関脇貴闘力、二子山部屋)を後継者として迎え、停年を前に部屋を継承。一代年寄のため大鵬部屋の看板は一代限りだったが、今も部屋には「大鵬相撲道場」の文字が掲げられている。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星) 関脇 巨砲(三4、金10) ■四股名の特徴・その他 大鵬時代は、師匠の四股名から「大」や「鵬」が付けられていた。 貴闘力の大嶽時代には「右肩上」、「森麗」と大胆な四股名で話題を集めた。 ■歴史 独立、若くして病に倒れる 長きに渡って無敵を誇った横綱大鵬、優勝32回、45連勝の記録を残す。昭和46年に引退、すでに内弟子を持っておりその年のうちに二所ノ関部屋から独立した。その後二所ノ関継承騒動の際には、候補に挙がったが早々に降りて大鵬部屋として独立を保つ。52年に巨砲、嗣子鵬が同時に関取昇進するが、同年脳梗塞に倒れる。まだ36歳、協会幹部を期待されていたが、その後遺症により道は絶たれた。54年3月に幕内第一号となった巨砲は、36歳まで息の長い活躍を見せる。上位キラーとしてならし、金星10個を記録した。嗣子鵬も大関朝潮を破るが上位に上がることはほとんどなく、あとに続く関取は幕内に上がるのがやっとだった。 大鵬部屋後期、大嶽へ継承 巨砲が78場所守った幕内陥落して以降、全く幕内力士が出なくなってしまった。現師匠の大竜も届かず、ついには関取も消えてしまった。一時部屋付きとなっていた元関脇益荒雄の阿武松が独立したが、そちらの方が順調に関取を育てていった。大鵬の停年も近くなった頃、ようやく有望株が現れる。ロシアから来た露鵬である。大鵬が勇退し、平成16年1月からは大嶽部屋として新たなスタートを切った。9月には露鵬が大嶽部屋初の幕内力士となる。 大麻事件で解雇 大きな相撲で三役にも昇進した露鵬だが、問題行動が多く、大関千代大海戦後に土俵下で口論。呼び出しを食った後、風呂場のガラスを割り、カメラマンにケガを負わせて3日間の出場停止処分を受けた。出場停止明けに勝ち越すなど立ち直りを見せていたが、20年に抜き打ち検査で大麻が検出される。本人は検査に不審な点があったとして否定したが、解雇処分を受けた。監督責任を問われた大嶽もそれぞれの事件で降格を含む処分を受けている。 一門離脱、師匠解雇 米櫃不在で再スタートを余儀なくされた大嶽部屋だが、「右肩上」などの四股名で話題を集め、22年の理事選では弟弟子貴乃花親方を支持して二所一門から離脱。その際には表に立って発言し、存在感のあった貴闘力の大嶽だったが、それも災いしたのか、直後とんでもない事件が発覚する。同年夏、現役大関琴光喜が野球賭博で暴力団とトラブルになっていることが明るみになり、大嶽が深く関与していたことが判明。事実を認め、琴光喜らとともに解雇処分となり、離婚に追い込まれて、大鵬との縁戚関係も切れた。取り潰しは免れ、部屋付きで大鵬部屋OBの元十両大竜が継承した。 敬虔なアフリカンも しばらく関取不在が続いたが、初のアフリカ出身力士となるエジプト人の大砂嵐が入門。イスラム教徒で場所中でもラマダンを行うことでも話題になったが、実力もあり2日連続の金星を挙げて期待が高まった。しかし乱暴なカチ上げを咎められたりして調子に乗れず、十両に転落するなど精彩を欠く中で、無免許運転や悪質な隠ぺいが発覚。引退勧告となった。またしても不祥事で。 サラブレッド三兄弟 再び米櫃を失ったが、最後の切り札が残っていた。先代貴闘力の息子にして、亡き開祖大鵬の孫である納谷四兄弟のうち三人が入門(長兄はリングを選んだ)。それぞれ学生相撲界の名門で鍛えた実力者で、まず令和4年に次男の納谷改め王鵬が入幕を果たした。
■現状・展望 大鵬が所有していた大嶽株は娘婿の貴闘力に渡ったため、部屋随一のを功労者である元関脇巨砲は、結局年寄株を手配できずに退職。結果的に大嶽株が空いただけに、気の毒である。 一時は弟子もわずかとなったが、大鵬3世(貴闘力2世?)の力で屈指のスター部屋に生まれ変わる可能性を秘める。 |