平成相撲

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31年181場所総括

平成相撲史を網羅。1年ごと、1場所ごとに総括する。

下記の表の年ごとのリンクから進んでいただきたい。

3年で1ページとしている。

年間の総括は、上位陣の番付推移や三役力士、入幕、引退力士を表にまとめた。

その他、独自に年間表彰力士を選定。

どのような意義のある一年だったのか、勢力図の移り変わりを中心に評した。

全場所の記録は、優勝争いを中心に、役力士、活躍力士などに言及。

場所の盛り上がりを、ドラマ、レベル、白熱度の3項目で評価。

評価結果は別途「場所ランキング」のページで紹介しているが(現在24年まで)、

現在平成完全版を作成中なので乞うご期待。

 場所ランキング は大関 は関脇以下

優勝決定の瞬間

  は史上最多記録
年号 年間最多勝 年間最多優勝
元 年(1989) 北勝海 72 千代の富士   3
 年(1990) 富士 70 ,北勝,千代 2
三 年(1991) 霧島  62 (6人)   1
四 年(1992) 貴花田 60 貴花,     2
五 年(1993)  曙   76 曙       4
六 年(1994) 貴乃花 80 貴乃花   4
七 年(1995) 貴乃花 80 貴乃花   4
八 年(1996) 貴乃花 70 貴乃花   4
九 年(1997) 貴乃花 78 貴乃花   3
十 年(1998) 乃花 67 花、貴花 2
一一年(1999) 蔵丸 70 蔵丸   4
一二年(2000) 曙   76 曙     2
一三年(2001) 武蔵丸 73 貴花、魁皇   2
一四年(2002) 朝青 66 武蔵丸   3
一五年(2003) 青龍 67 青龍   3
一六年(2004) 朝青龍 78 朝青龍   5
一七年(2005) 朝青龍 84 朝青龍   
一八年(2006) 朝青龍 67 朝青龍   4
一九年(2007) 鵬  74 鵬    4
廿 年(2008) 白鵬  79 白鵬    4
廿一年(2009) 白鵬  86 白鵬    3
廿二年(2010) 白鵬  86 白鵬    5
廿三年(2011) 白鵬   ※66 白鵬     ※4
廿四年(2012) 白鵬  76 白鵬、日馬 2
廿五年(2013) 白鵬  82 白鵬    4
廿六年(2014) 白鵬  81 白鵬    5
廿七年(2015) 白鵬  66 白鵬    3
廿八年(2016) 稀勢の里69 白鵬    2
廿九年(2017) 白鵬  56 白鵬    3
丗 年(2018) 栃ノ心 59 鶴竜    2
丗一年(2019) 白鵬  25 玉鷲、白鵬 1

※廿三年は春場所中止のため年5場所。丗一年は改元のため2場所の記録。

最多勝と最多優勝を見るだけで、王者の変遷が流れがよくわかる。


 

優勝決定の瞬間    <平成元〜15>   

 平成元年から15年までの90場所における優勝決定の瞬間を、表にまとめて分析した。

13日目       計 6  
  取組前 0 元秋、2初、3名、8秋、12名、14九
  勝って決定 6  
  取組後 0  
14日目       計 22  
  取組前 1 5秋
  勝って決定 15 元春、2九、4秋、6九、8春、9初、10名、12秋、13名、13秋、13九、14春、14夏、15初、15秋
  取組後 6 4名、5春、6秋、7名、7秋、10九
千秋楽

62  
本割 取組前 4 3春、8夏、14名、15夏
  勝って決定 計 35  
    対第三者 13 元九、2夏、3秋、3九、4初、4九、6名、10初、10春、10秋、11秋、12初、12九
    1差対決 10 2名、3初、4夏、5初、6初、6夏、10夏、11夏、12春、15春
    相星決戦 12 2秋、4春、5夏、7春、7夏、8名、9名、11春、11九、14秋、15名、15九
  取組後 2 12夏、13春
決定戦 二人       計 16
   楽日対戦なし計 9
   並ばれ突放す   元名
   並走/両者勝   元夏、5九、7初、8初、9九
   並走/両者負   7九
   他力逆転   9秋、11名
    再戦   計 7
      お返し 3 元初、13初、13夏
      自力逆転 4 3夏、9夏、11初、14初
  三人 3 2春、5名、6春
  四人 1 9春
  五人 1 8九
合計   90  元初〜15九

☆まとめ

 [近年の傾向]

 場所の華、優勝決定の瞬間について統計を取ると、最近の白熱度の低下が顕著である。14日目に勝って決定というシーンが増えている。決定戦が減って後期5年(平成11年〜15年)でわずか5回。あっさりした優勝争いが人気低迷に追い討ちをかける。データにはないが、朝青龍の独走が目立った16年も酷かった。九州場所では、あわや12日目に決定かという一人舞台で、結局15日制で史上最も早い、13日目の相撲を取る前に決まってしまった。

 [優勝決定戦]

(1)平成の決定戦

 全体を見ると、3人以上の決定戦が5回。これはかなり多かったと言える。2年春の巴戦が26年ぶりだったのだから。4人による決定戦は、決定戦制度導入直後以来半世紀ぶり、5人による決定戦は初めてだった。実力者が安定していた結果、頻繁に混戦が起こりえたのだろう。また、対戦のない同部屋力士、二子山部屋の勢力が強かったことも見逃せない。2年春以外の3人以上の決定戦では、必ず二子山部屋から複数の力士が進出している。

 2人の決定戦でも、同部屋対決が目立つ。同じ部屋の力士が2人で決定戦を行うのは、元年名古屋の千代の富士ー北勝海(唯一の同部屋横綱)が初めてだった(3人以上で同部屋が複数進出したことはあった)が、若乃花ー貴乃花、貴ノ浪ー貴乃花が2回と続いた。

 本割の再戦となったケースは7回。昭和期は決定戦に持ち込まれた方が優勢で、「なかなか続けては勝てない」という見方が支配的だったが、平成では勢いに乗って逆転するケースが、お返しをしたケースを上回る。3人以上の場合、持ち込んだ力士の1勝2敗で、決定戦合計では五分五分。

 決定戦のカード別では、貴乃花ー武蔵丸が最多の4回で、貴乃花の優勝4回(9年春4人の時は対戦せず)。

(2)決定戦データ

決定戦優勝回数   決定戦勝利数   決定戦出場回数   地位別 優/出
貴乃花 5  曙 7-3 貴乃花 10 横綱 14/27
 曙 4 貴乃花 6-5  曙 7 大関 5/17
北勝海 3 貴ノ浪 4-2 武蔵丸 7 関脇 2/6
貴ノ浪 2 北勝海 4-2 北勝海 4 小結 0
7人 1 武蔵丸 3-6 若乃花 4 平幕 0/1
            貴ノ浪 4    

 (勝利数の数字は、勝ー負)

 上のように決定戦の成績は、やはり貴乃花が10回出場でトップ。これは昭和年間を含めても最多記録。その成績はというと、優勝は半分の5回。実力からすると好成績とは言いがたい。3回は同部屋力士に、2回は曙にさらわれた。決定戦の勝利数(決定戦の取組で勝った合計。巴戦で初戦から連勝すれば、2勝と計算)は、曙が1位。優勝数は貴乃花に及ばないが、3人以上の決定戦に4回出場、巴戦を2度制した分の勝ち星が大きい。貴ノ浪も優勝は2回だが、4回出場して毎回1勝を挙げている。弱かったのが武蔵丸。7回出場して3勝したが、その3勝は8年九州で5人の決定戦を制した時のものであり、あとの6回は全敗。右膝負傷の貴乃花に敗れた一番が有名だが、貴乃花には4戦4敗。曙にも2敗している。効率が良いのは北勝海で、計2敗しながら4回中3回で賜杯を得ている。巴戦で初戦を落としながら一巡して優勝したのが大きい。

 地位別で見ると、やはり横綱が3分の2を優勝。優勝率も5割で、大関の3割を上回る。関脇では、進出した6人中4人の力士が直後に大関昇進。武蔵丸は翌場所後昇進。魁皇は翌々場所再び進出するが、大関昇進のきっかけにはならなかった。平幕は貴闘力が巴戦出場も0勝2敗だった。

 (3)楽日逆転優勝

 地力逆転は前述の通り4回。それぞれ勝者は異なるが、千代大海はちょうど3年越しに勝者・敗者両方になった。勝った若乃花戦は、決定戦史上初の取り直しの末の劇的な逆転。負けた栃東戦は、前代未聞、立合いの変化で勝負が決まった。

 他力逆転は9年秋、11年名古屋、9年春は4人の決定戦になり、本割で曙を引きずり下ろした貴乃花がトーナメント決勝で再び曙を破って優勝したが、本割で武蔵丸が勝っていれば不可能だったため、他力逆転に分類される。「援護射撃」という言葉があるが、他力逆転の3回は、本割で相手力士を破ったのが、いずれも逆転優勝者の同部屋力士(貴乃花2ー貴ノ浪2、出島ー武蔵丸)。不思議な巡り合わせである。

 

[楽日相星決戦]

相星決戦勝利数   相星決戦出場数
貴乃花 4-3 貴乃花 7
武蔵丸 3-0  曙 5
北勝海 1-0 武蔵丸 3
小錦 1-0 8人 1
魁皇 1-0      
栃東 1-0      
1-4    

 決定戦も劇的だが、本来の最高の舞台は、やはり千秋楽本割での直接対決。というのも、決定戦は、同部屋の場合を除き、両者ともに1敗以上していないと成立しない。「14戦全勝同士の頂上対決」で優勝が決まるのが、最もハイレベルな決戦でなのである。

 残念ながら、平成に入っては、まだ全勝同士の千秋楽相星決戦は実現していないが、勝った方が優勝という一番には、やはり決定戦と同等の価値がある。

 平成に入っての楽日相星決戦は12回。この最もシンプルですっきりした優勝決定の一番が成立するには、千秋楽の本割で対戦する必要がある。そのためには、一方または両方が下位の力士では成立しづらい。審判部の特別な配慮がなければ、千秋楽の割は番付順に逆算され、上位陣同士の対戦が組まれるため、上位陣と下位の力士はめったに当たらない。それまでに両者の顔合わせは終わっているのが通常である。したがって、横綱同士というのが最も相星決戦が成立しやすい。実際、貴乃花ー曙戦が5回と群を抜いているが、これは順当な結果だ。これに武蔵丸ー貴乃花の横綱決戦が2回で続く。大関決戦は3回あるが、いずれも横綱不在の場所に、見事両者が責任を果たしたものである。もし横綱が出場していれば、両者が千秋楽に対戦することはなく、そうそう横綱同士以外のケースで、成績同点力士が巧く千秋楽に当たることはない。これに対して、両者の地位が異なる唯一のケース・15年九州場所は、好成績の栃東の朝青龍戦をあえて千秋楽に持ってきた。番付順なら西大関の栃東は、本来14日目に朝青龍戦が組まれるはずだが、早めに優勝戦線の行方を察知した審判部のファインプレイで見事相星決戦が実現した。このような柔軟な対応で場所を盛り上げるのも審判部の重要な役割だ(もちろん画一的な取組編成の方が、展開を予想する楽しみはあるが)。

 出場最多は貴乃花。一度だけ大関時代に横綱曙と対戦したが、残りは全て横綱決戦。結果は4勝。評価は分かれるところだ。続いて全て貴乃花戦の曙は、わずか1勝。惜敗が続いた。余談だが、決定戦も含めてこれだけ貴乃花と重要な場面でぶつかっていれば二強時代だったとも十分言える。しかし、全盛期が少しずれてしまったことで、優勝できない時期が長く、「貴乃花時代」だったという印象論に一定の説得力がある。それでも柏鵬時代という表現が世間に通用していることを考えると、それよりは拮抗していたこの時代は「曙貴時代」と呼べなくはない。結局、○○時代という評価は、当時の世間の印象と、呼びやすさが大きく影響しているのだろう(「あけたか」とは読めないし)。武蔵丸は、貴ノ浪との大関決戦、貴乃花との横綱決戦に計3回臨み、全勝。決定戦での弱さとは対照的だ。

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