大相撲解体新書

競技徹底分析

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四日目 立合総論


一. 立合とは

勝敗の7割が決まると言われ、誰もが重視する「立合い」。

いい立合いが出来れば主導権を握ることができ、その後の流れはぐっと楽になる。

「よーいドン」で始まるのなら単なる瞬発力勝負だが、両者が呼吸を合わせて立つ所に奥深さがある。

一方、一瞬の駆け引きに作戦の妙を楽しむこともできる。

両力士、そしてハッケヨイの声をかける行司を含めた三者が作る調和に伝統美を見出す人もいる。


二.「立合力」総論

(1)出足

(2)呼吸

(3)戦略

 立合いの鍵を握るのは何か。答えは、この3点に凝縮されるのではないだろうか。以下、順に解説を加えていく。

(1)出足

 「出足」というと、出島や土佐ノ海、武双山などが想起され、重量級力士の専売特許のように思われるが、決してそうではない。「出足のレベル」を決めるのは、@圧力A踏み込みB低さ、この3つの要素があると考える。

 @圧力

  圧力を高めるには、やはり体重があった方が良い。他の要素が同じなら、体重が重い方が有利なのは自明の理。重い力士と言うのはそれだけで立合いの優位性を持っているといえる。もちろんいくら重くてもその場でフワッと立つだけでは体重が圧力につながらない。軸足でしっかり粘り強く土俵を噛み、大地からの反作用の力を受け取ることで、体重以上の「重さ」のある立合いが生まれる。足腰の良さも圧力の強さを生む要素なのである。ただし、軸足を粘りながら踏み込む足で鋭く「踏み込む(Aで詳述)」」のは、かなりの難易度。

 A踏み込み

  圧力に欠ける軽量級の力士でも、出足のある力士はいる。小さな大横綱と称された千代の富士は、立会いの猛ダッシュで一気に寄り切る相撲を身上とした。当時出足No.1の琴風との稽古で、互角以上に渡り合うほどに。圧力がついたのはもちろんだが、あの体重で重い力士を一気に持っていけたのは、その踏み込みの鋭さが大きな武器になっていたのは間違いない。圧力の源が体重であるのに対し、踏み込みの良さを生むのはスピード。目方がなくても速さがあれば、重くて遅い相手に真直ぐ当たっても対抗できるのは物理的にも説明がつく。

  「踏み込み」は両者ともに良いということはない相対的なものだ。一方が大きく踏み込めば、他方は踏み込めていないはずだ。鋭い踏み込みは、相手の踏み込みを封じる効果もあり、立合いの優劣に直結する。ここまでの説明だと、圧力より踏み込みの方が重要だと思われそうだ。ただ、毎回良い踏み込みをするのは難しい。相手と呼吸を合わせて立つ以上、立ち遅れることもあるだろう。だからこそ、自己完結的にレベルアップを図れる「圧力」の強化が必要なのである。浅い踏み込みでも出足負けしないだけの圧力があれば、立合い失敗のリスクは低い。やはり上位に安定して君臨するには、それなりの圧力、その源となる目方があった方が有利。無理してでも体重を増やすのは理由がある。

  B低さ

  出足のレベルは@圧力とA踏み込みが大きなウエートを占めるが、それだけではない。「低さ」という要素も補正しなければならない。条件が同じなら、低く当たった方が有利だ。低く当たるためには、「角度」を考えなければならない。よく言われるのは、「入」の字の例。当然左側の1画目の線に相当する力士がいい角度で当たれていることになる。低い当たりを実現するには、土俵に対してできるだけ鋭角に立って相手を起こすよう努めなければならない。もちろん0度に近い角度で立ってしまうと、当然まんまと引き技の餌食になる。

  低い立合いをするには、体型的に重心の低い力士が有利。長身力士はいくらいい角度で立っても低さという点は克服できない(その代わりに懐の深さ、リーチの長さの点で有利だが)。

(2)呼吸

  ここでいう「呼吸」は、息・ブレスではない。「タイミング」が一番近い言葉だ。「先手を取れるかどうか」も立合いの重要な要素だ。「立ち遅れ」は踏み込み不足を招き、相手の出足をまともに受けるリスクを負う。

  普通、力士は先手を取って攻めたいものである。特に速攻、スピードを身上とするタイプは、少しでも早く攻めを加えて主導権を握りたいところ。押し相撲の力士は総じて先に立ちたがるものだ。突っ張り、いなしで活躍した鉄人・寺尾はいつも突っかけ気味に立ってモロ手突きで先手を取った。まず「相手の陣地」に踏み込んでおけば、押し出すのも楽だし、下がって距離を取るにも余裕ができる。先手を取って立てれば、押し相撲に有利なだけでなく、まわしも近くなるし、差し手も深く入りやすい。

  先手は取れるに越したことはないが、四つ相撲に自信があり、立合いからの出足を重視しないタイプにとっては、相手より早く立つことは至上命題ではない。むしろ、少しだけ遅らせて立つ方が「入」の字の低い方に入りやすいメリットがあり、四つ相撲で重要な腰の位置を低く保ちやすい。相手の出方をよく見られるメリットもあり、注文相撲にも強い。 もちろんこれは、先んじて立った相手の出足を受け止めるだけの体格がある四つ力士の場合である。軽量の四つ相撲の力士は、やはり早めに立っての低い踏み込みで圧力不足をカバーし、懐に入りこむ努力を要する。

  立合いの呼吸の話になれば、「後の先」というひとつの極意に触れなければならない。双葉山など、王道の相撲を取った力士が得意とする立合いのテクニックだ。相手より遅れて立ちながらも、相手を上回る鋭さで踏み込み、いつの間にか先手を取っているという伝説的な立合いの極意。安定感を求められる横綱にはこれ以上のスキルはない。対戦相手にしてみれば、先に立ったはずなのに踏み込めず、さんざん首を捻ったことだろう。もちろん、相手の勢いが上回れば「後の後」に回るリスクもあり、先に述べた軽量力士には致命的。遅れても受け止める自信がなければマスターできない。

(3)戦略

  まともにぶつかって出るばかりが立合いではない。どんな剛腕投手でも変化球なしには抑え切れないように、150キロ級のぶちかましもかわされてしまっては意味がない。ちょっとした工夫から奇策まで、様々な戦略を加えることで、立合いの奥深さを増す。遅いストレートを速く見せる技術があるように、緩急をつけたり他の技を意識させることで、体格不利の相手をまともに押し込める余地も出てくる。駆け引きを楽しむというと、相撲道から外れると批判されそうだが、スポーツとして相撲を楽しむ上では非常に興味深いのが立合いの戦略である。

 出足で劣り、うまい呼吸で立ったとしても不利であると考えるなら、立合いで頭を使ってみるのも手だ。思い切って左右へ飛び、相手得意のぶちかましをかわしてしまえば、武器を一つ封じたことになる。意表をつけば、それだけで土俵に這わせることもできるだろう。変化をする力士という先入観を植えつけることで、勝手に相手が考え込んで中途半端な立合いをしてくれるという利点もある。

 まともに当たって不利だと思わなくても、確実に相手の出方が読めるのなら、それを見越した作戦を立てて勝率を高めたいもの。毎度頭を下げて突っ込んでくる相手には、まともな叩きを見舞えば高い確率で決まるだろう。リスキーだが省エネにもなる。いつも同じ足から踏み込んで来るなら、狙い澄ましてけたぐり狙いも効果的。いつも同じ方の肩から当たって来るならとったりや肩透かし、上手狙いなどの策を立てられる。

 極端な変化に走らなくとも、真直ぐ当たりながら出来る工夫はいくらでもある。例えば、左差し一筋の相手には、右おっつけに集中していけば簡単には差されないし、圧力も伝わる。引っ張り込むような上手相撲の相手にはハズで出るのが常套。相手もそれを分かっていて、逆の差し手を狙って来たり、もろ手を出してみたりと、お互いの読み合いが面白い。また、意外な戦法で展開を有利に運ぶ策もある。右の相四つで、あっさり右四つにはなれるだろうと油断しているなら、あえて左を固めて差し勝ち、モロ差しを狙う。押し相撲同士なら、いきなり組みに行くのも面白い。自分も四つが苦手でも、不得意同士なら主導権を握った方が、相手も防ぎ手が少なく簡単に勝てたりする。

 こういう駆け引きがあるから、立合いは面白いのである。まともにぶつかると不利な小兵でも生き残る余地があるのだ。したがって、一概に変化を批判する風潮は偏狭な考えだと思うが、やはり作戦勝ちばかりでは味気ない。みっちり稽古を積んだ力士は、何度も繰り返した自慢の立合いでガチンと当たることで、その後の攻めにもリズムが生まれるものである。

 

 総論としてここまでとして、次回は各論として「立合いの技」などを紹介する。

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余談 立合い今昔

 古い映像を見て、まず違和感を覚えるのが立合い。今でこそ仕切り線で両手を着いて立つというのは常識だが、大昔から規則にそうあるはずだが、あまり規則が平気で蔑ろにされるのが相撲界。廻しの色の規定など何のためにあるのか分からないものはサッサと改定すべきだと思うが、同じようにだんだんと厳守されなくなり、戦後蔵前時代の立合いは荒れ放題になっている。空で太鼓を叩くように手をつく格好をしているのはまだいいほうで、蹲踞の姿勢からいきなり張ったりする力士もいた。ほぼ全員手をつかない。彼らが審判として厳重に注意しているのも滑稽な話だ(理事長もご多分にもれず)。

 ドラスティックに変わったのが昭和59年秋。翌年から国技館が両国に戻るということもあったのか、国技の美を取り戻そうと春日野理事長が正常化に取り組んだ。力学的にも手を着いて立ったほうが当たりの威力も増すことをデータで示すなど、取り口の根幹を崩される力士の心情にも配慮。立合いの勢いが削がれると心配していたのは押し相撲の力士だったが、蓋を開けてみれば、そもそも腹が出すぎて手を着くこと自体が危ぶまれた小錦がいきなりの快進撃。プッシュプッシュで上位陣を圧倒、黒船旋風を巻き起こしたのは周知の通り。案外データが示すとおり、以後出足の鋭い押し相撲が台頭。逆に苦戦を強いられたのが、立合いで動く幅が狭まった四ツの力士。衰えを見せていた隆の里や北の湖は、老練な立合いで組み止める妙を発揮できなくなり、若手の出足をまともに受けることになって引退を早めた感がある。この年の夏に全勝優勝するなど復調した北の湖だが、翌年初場所土俵を去った。59年当時不振だった千代の富士は、この場所こそ10勝に終わるが、見事適応して黄金時代を築いた。軽量ながら出足の鋭さ、前褌を引く速さがあるので、低い立合いは追い風になった。
 変化はもちろん手をつかないほうが動けるので、以後少なくなったかというと、そうでもない。統計がないので勝手なことは言えないが、最近も変化で決まるケースは目立つ。おそらく、手をつく立合いは、頭が下がることが多いので、無理な姿勢での突っ込みが昔に比べて増えているのではないかと思う。大きく変化できなくても、効果は増しているのである。

 その後も度々立合い正常化は叫ばれ、双葉山を理想とした二子山理事長の下では待ったに対して制裁金が課された。平成10年には「両手を静止して」という原則が強調される。両手を交互にチョンとつく立ち方(千代の富士など)もダメということになり、わずかに立合いのタイミングをずらす妙技を得意としていた小兵横綱若乃花は、足腰が弱ると途端に苦しくなった。直後、これ見よがしにしっかり手を着くようになった豆タン・琴錦が突然平幕優勝したが、大きな流れで見るとますます大型力士が有利になった。その後またなし崩しに乱れてきて、朝青龍の時代になって手付きがないまま立つことが目立った。最近では、放駒審判長下で厳しく手付きを見るよう取り締まったが、審判によって基準がバラバラであまり効果は上がらず、逆に傍目には呼吸があっている勝負をやり直させて白ける弊害があった。白鵬時代の現在は、あまり厳密に手付きを見ていない印象で、呼吸が合っていない時に、まだ手をついていない、と言う程度。審判からの待ったもほとんどない。黙認していると言っても良い状況。

 淡泊な相撲を見せられるくらいなら多少手付きがないくらいは気にならないが、認めると際限なく乱れてしまうし、適度に目を潰っても不公平が出る。これからも定期的に見直されてはやや乱れ、という繰り返しになるのだろうか。

 

 

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