現役力士パラメータ


昭和 平成 現役

back   home    2005年1月  三役常連力士


上位陣

朝青龍 魁皇 千代大海 栃東 若の里 雅山 出島

  朝青龍  横綱  <左四つ・突き押し> 高砂 25 184/144
C11 B13 左下手投げ5b

掬い投げ 4a

突っ張り 4a

右上手投げ3c

モロ手突き3b

小手投げ 3c

張り手  3c

吊り落とし3c

はたき 3b

手繰り 3b

渡しこみ3c

外掛け    3c

切り返し3d

喉輪    4c

ひねり 2e

内無双 2d

<立合>

張差  4b

モロ手突き4c

モロ差 3c

カチ上げ3d

前褌 2d

頭b 肩b

胸c 手c

<体>

相撲勘

上体柔軟

下半身柔軟

差し身

まわり込み

敏捷

早熟

<心>

威圧感

勝負強い

安定感

スタ-ト○

短気

連敗癖

B12 B13
A15 A14
A14 A15
A14 B12

 スピード出世で平成13年1月入幕、3場所目に小結で殊勲賞を得るなど上位の壁にも当たらず三役に定着すると、14年3月から関脇で11,11,12勝と重ねあっという間に大関昇進。11月は独走でモンゴル勢初の優勝。翌場所も制して入幕からわずか2年で横綱に昇進した。15年は年3回制覇。一方で途中休場や旭鷲山との一悶着など荒れることが見られ横審のお世話になりかけたが、16年は安定感抜群。連続全勝などで35連勝の平成最高記録を打ちたて、貴乃花以来の4連覇。9月の大崩れで年間最多勝新記録と年完全制覇の夢は絶たれたが、11月から再び独走体勢に入ってついに5連覇を成し遂げた。取りこぼしが少なく毎場所のように全勝ターン。千秋楽を待たずに優勝決定が多く、4場所連続もあった。(17年7月現在)

 筋肉質ながらも肉もついた理想的な体形。体は大きくないが、馬力の力士の突進も易々と受け止める。身体能力は力士の常識を超えてどんな体勢でも技を仕掛け、執念で逆転技を狙う。琴ノ若戦の「ブリッジ」に象徴される。立合いは左差し狙いの張差しが多いが、四つ相撲の相手にはモロ手で喉元を突き上げ、そのまま圧倒することも。また琴欧州をKOしたカチ上げも破壊力がある。左を差してしまえば後は自由自在。差し身の良さでモロになれば、横について切り返しからの恐怖の吊り落としという荒技があって、モロ差を許した相手はそれさえ逃れれば負けは仕方ないというくらいに見える。右おっつけから上手を引くと一気に寄って、渡しこみ、外掛け、左右からの豪快な投げがある。投げは下手投げ、掬い投げを得意としていたが、最近は上手からの王道の投げが目立ってきた。速攻を身上とする分、栃東のように廻しを取らせず前傾で食い下がられると焦れて、叩きや手繰り、足が揃ったままの押しが出て自滅も。懐の深い相手にがっぷりとなった場合も力負けするが、負けパターンはそれくらい。緊張などという言葉には程遠く、大事な一番でも自分の相撲を取れるのが強み。

   魁 皇  大関  <左四つ寄り投げ> 友綱 33 185/169     
B13 B13

右上手投げ5b

小手投げ 4b

右おっつけ4a

左腕返し 3c

のどわ  3c

モロ手突き3c

前褌寄り 3c

しぼり  3b

はたき 3b

とったり3b

引きつけ3c

掬い投げ2c

喉輪  3c

外掛け 1e

肩透かし2d

極め  1d

<立合>

カチ上げ 3a

張差    3c

モロ手突き1d

モロ差   1e

前褌     2d

頭d 肩b

胸b 手d

<体>

左堅い

下半身硬い

引き癖

まわり込み

立ち腰

腰痛・肩痛

晩成

<心>

勝負弱い

連敗癖

尻上がり

スロ-スタ-タ

待った

立合不安定

A14 C11
E07 A14
C10 D08
D08 D09

 63年春初土俵組の一人。十両で故障するなどライバルには差をつけられたが平成6年からようやく真価を発揮する。前頭筆頭に躍進した3月曙から金星を奪い殊勲賞で三役に。定着して7年1月から関脇に13場所連続在位の最長記録。毎場所のように殊勲賞を獲得するが、なかなk2桁が続かない。8年11月、9年3月と優勝決定戦に進出するが、大関獲りに必要な3場所連続の好成績に至らない。5月腰を痛め休場するとその後上位には相変わらず強いが星が上がらなくなり、三役と平幕を行ったり来たり。11年になってようやく大関を狙える力が戻り、若い千代大海、出島、さらに長く大関を競ってきた武双山にも先を越されてようやく目覚めたか、12年5月14勝で初の賜杯。翌7月も11勝でついに念願の大関昇進。すると今までの不安定がうそのように好成績を続け、綱が視界に入ってきた。13年3月、7月と優勝。しかしこのころ腰の痛みが慢性化し、大事な綱獲り場所にプレッシャーとのダブルパンチとなって休場に追い込まれた。その後も出れば優勝争いに加わるが、腰以外にも故障が頻発し角番記録を更新。それでも横綱にもっとも近い大関の名は健在で、15年7月千代大海を相星決戦で下し2年ぶり優勝。16年9月には5回目の優勝。既に32歳、ラストチャンスと意気込んだ地元九州場所は千秋楽朝青龍を破って12勝にこぎつけたが見送り。翌場所また途中休場で6度目の綱取りも逃してしまった。 

 怪力魁皇は右上手を取ったら無敵。右からの上手投げ、(左でも抱えて)小手投げは豪快で、何本かの左の腕が挟み込まれて骨折している。時折強引過ぎて呼び込んで自滅することも多く、自らの体にも上腕、腰と負担が大きいため、現在はかなり封印している。大関になる頃から代わって力を発揮しているのが右おっつけ、のど輪を駆使した押し相撲。上手を警戒して張ってくる相手の肘は格好のおっつけの的となる。また上腕の辺りで絞るようにするおっつけもよく見せる。成績が安定するようになったのはこの前進相撲が身についたのが大きい。が、腰や肩の状態によっては前に出られず叩いたり、立合いからいきなりとったりにかかったりする省エネも見られる。好調時でも立合いがネックで、なかなか合わないときなどは踏み込みなくその場でフワッと受けてしまう時がある。こうなると巨体の割りにあっけなく押し出されたり印象の悪い惨敗に見舞われる。怪我があって不調の時ほど慎重に行って好成績を残したりと不思議な力士だ。

 

  千代大海  大関  <突き押し・左四つ> 九重 29 181/159      
D09 E07

突っ張り 5a

左のど輪 4b

右おっつけ3b

上突っ張り4b

左腕返し   2d

モロ手突き3c

はたき  5b

突き落とし3c

ぶちかまし4d

小手投げ 2c

右上手投げ2d

引き落とし3c

張り手  3c

ハズ押し 3b

いなし  3c

がぶり寄り2d

<立合>

ぶちかまし4a

モロ手突き4b

体当たり 2d

はたきこみ2e

かっぱじき2e

頭a胸d手b

変化e

<体>

速攻

引き足

引き癖

まわり込み

バタ足

肘痛・膝痛

早熟

<心>

息切れ

逆境

シンプル

突っかけ

 

 

B12 B13
C11 D08
C10 C10
D09 D09

  昭和50年代生まれ初の関取。平成9年9月に新入幕。10年3月貴乃花から金星を奪うなど突き押し冴えて技能賞、三役に躍進。7月新関脇で11勝の活躍。9,10勝と足固めし、迎えた11年1月、リズムに乗って勝ち進み、1差で迎えた千秋楽、本割り・史上初の決定戦取り直しと3番の死闘の末横綱若乃花を連破して優勝。平成6年以来丸5年間、幾多の強豪が跳ね返されてきた大関の壁を、入幕から9場所目の新鋭がぶち破った。しかし、数年分の運を使い切ってしまったかのように、新大関場所では3連敗スタート、鼻骨まで折って途中休場。その後もそこそこの星は残して優勝争いにも絡むが、引き技が多くてパッとせず、横綱大関相手に終盤戦で沈むパターンが染み付いてしまった。故障も相次ぎ、13年は2度の公傷適用で、この制度廃止の一因となった。14年ジム通いで奮起、1月1敗で千秋楽を迎え優勝に王手をかけるが、3年前と反対に栃東に逆転でさらわれた。しかし7月に関脇朝青龍の追撃をかわして自己最高の14勝で3年半ぶりの賜杯。4回目の公傷明けの15年3月は,混戦の優勝争いの末千秋楽新横綱朝青龍を下して3回目の優勝。二桁勝利の場所は多いが、4度の綱取りのチャンスは生かせず。16年3月初日から13連勝したのを最後に首、肘、膝が限界に近づき、カド番の最多記録も樹立してしまう等、引退の文字が見え隠れしている。

 突き押し一本で大関となった千代大海。立合いはぶちかましが激しかったが、最近は首が痺れるらしく控えめ。モロ手で突きあげることが多くなった。どちらにしても立合いで押すことができればそのまま前へ出て圧倒するが、当たり負けるとあっさり引いてしまう悪癖がある。他にはたまに狙い済ましたように変化して叩きこむこともあるが、それほど多くはない。少し横にずらして当たり、おっつけるようにいなす立合いで曙、武蔵丸を破ったが、これもあまり見せない。大抵はしっかり当たっている。突っ張りは、大きな威力重視型と回転が早く確実に当てに行くものとがあるが、相手の的の大きさに合わせて変えているようだ。相手が前傾で突き切れないと見るとタイミングよく叩く。突っ張りで相手の足が揃ったりアゴが上がった瞬間を見逃さない。叩くのも素首落し気味に頭をまともに叩く。呼び込んでしまっても引き足がよく、俵の上で片足で残るしぶとさでよく星を拾った。突き出しを理想とするが、これも肘、手首の消耗で威力が落ちてきた。左のど輪右おっつけ、という押しの型があり、差されかけても馬力で強引に出る。のど輪が外れて捕まることもあったが、上手を取ってがぶったり小手や首に巻いて傾れ込んだりで押しつぶす。四つは左なら格下には勝てるか。

 

  栃 東  大関  <右四つ・左四つ・押し> 玉ノ井 29 180/145
C10 11

おっつけ 5a

ハズ押し 4b

腕返し  3c

出し投げ 3b

モロ手突き2c

前褌寄り   4c

両差し寄り3c

しぼり  3c

はたき  3b

いなし  4b

引きつけ 3c

はねあげ 4b

打っ棄り 2e

突き落とし3e

肩透かし 2d

ひねり  2d

<立合>

ぶちかまし3b

前褌   3c

左差し  2e

モロ手突き2d

突き落とし4d

頭a 肩c

手c 変化d

<体>

前捌き

相撲勘

引き癖

まわり込み

重心低い

左半

肩痛

<心>

勝負強い

待った

逆境

冷静

 

 

C10 12
C10 C11
A14 C11
C10 C10

 元関脇栃東を父に持つ二世力士。若乃花らも通った明大中野高で活躍、各段で優勝し平成8年11月20歳で新入幕、敢闘賞。9年5月からは3場所連続三賞を獲得し、関脇でも2ケタを挙げて大関候補に。しかし右肩を故障して苦しんだ。その間に同じ51組の千代大海に先を越された。関脇に定着して迎えた12年7月は12勝を挙げてさあ大関獲りというところでまたも右肩を亜脱臼。それでも13年は安定した成績を修め、5月から関脇で9、10、12と重ねる。が、立合いの変化技が酷評され大関どころか三賞ももらえず。11月はその変化も我慢して1差で武蔵丸を追いかけていたが14日目の直接対決で敗れた上に足を負傷。心配された千秋楽だが武双山を破って12勝。めでたく念願の大関を得た。そして新大関場所、千代大海・琴光喜との51組三つ巴の優勝争いの末、千秋楽1差でトップの千代大海を本割・決定戦と連破し逆転初優勝。新大関、親子2代、全階級制覇(羽黒山以来)と記録ずくめの優勝だった。綱取りはならなかったが2桁を続けてまずまずの大関ぶりと見られたのも束の間、立て続けに左肩、足に故障が重なり休場とギリギリ角番脱出の連続、14年7月からの7場所で勝ち越しは8勝の2回だけ。ダメ大関の汚名返上と下半身の強化に努めた結果、15年11月見事復活。千秋楽朝青龍との相星決戦を制して2度目の優勝を飾った。さあ今度こそ横綱を狙おうと意気込んだ16年だが、また故障禍に見舞われ、公傷制度廃止もあって大関陥落。7月、不安を抱えながらも朝青龍を破るなど10勝し涙の大関復帰。だが、2度目の大関は2場所連続途中休場で最短再陥落。17年1月、勿論体調不十分ながら余裕の11勝。史上初めて2度大関復帰、3回目の大関となった。3月は朝青龍の27連勝を止めるなど横綱と互角に戦って存在感を示している。

 技能派大関栃東は、上背がない分、重心低く付かず離れずの間合いを保っておっつけの巧さでとる。立合い頭で当たって相手の出足を止め、一方を差してやや半身に構えて相手の差し手を絞り、あわよくば頭をつける。この体勢から持ち味の前捌きの良さでモロ差し、前褌を取って拝み寄り、出し投げ、下手をとって反対からのおっつけ、ハズで寄るなど多彩。この時絶対にアゴが上がらない我慢強さは角界一。初優勝した14年1月、朝青龍が顔を上げさせようと執拗に張り手を浴びせたが全く嫌がらずあてがい、ついに両鼻から出血して珍しい止血のための水が入った。そして最後は差し手を殺す出し投げで仕留めた。速攻はないが、こうした守りからしぶとい相撲で勝つのがこの大関のスタイル。突っ張られれば下からあてがって受け、機を見ていなして逆襲する。馬力で一気に持っていくタイプには立合いの当りで止められるかがポイントとなるが、体がない分体調が悪いと受け止めきれず、起こされると一方的に敗れることも。それゆえ立合いの変化でかわしてしまう(特に土佐ノ海戦など。優勝決定戦でも変化で制している)。懐の深い旭天鵬なども苦手な相手。

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横綱・大関・関脇

朝青龍 魁皇 千代大海 栃東 若の里 雅山 出島

 

 

  若の里  関脇  <左四つ・右四つ寄り> 鳴戸 29 185/155
C11 B12

上手投げ  3b

掬い投げ  3c

おっつけ  3a

がぶり寄り3c

両差し寄り3c

前褌寄り 3c

小手投げ 3c

ひねり  2e

はたき   3c

吊り    2d

引きつけ  3c

腕返し   2c

突き落とし4c

外掛け   1e

肩透かし  2d

首投げ   1d

<立合>

カチ上げ2a

張差   2d

モロ差 2c

前褌   2d

上手  2d

頭c 肩b

胸a 変化e

<体>

アゴ上り

引き癖

上体硬い 

晩成

<心>

勝負弱い

連敗癖

尻上がり

立合不安定

上位キラ-

慎重

B13 D09
D08 B12
C10 D09
C10 C11

 10年5月、新入幕で敢闘賞の活躍。11月は若乃花から金星を奪って、貴乃花に褒められる。ところがこの場所武双山戦で右足骨折。さらに11年11月には左の膝もやってしまい、連続休場の間に十両の下位まで転落。これでずいぶん出世が遅れてしまったがじっくり直したのが正解で、以後怪我の影響もなさそうで休場もない。再入幕の12年9月また敢闘賞を得て新三役に。上位にも通用して3場所連続三賞。1月は関脇で全勝武蔵丸をやぶって10勝。上位には強いがあまり大勝できないタイプで、14年1月から17年1月まで3年も三役に在位(負け越し2度だけ)しながら大関には届かない。15年7.9月と連続2ケタしたが負け越し、16年9.11月と同じく連続2ケタ内容も素晴しかったのに大事な1月負け越してフイ。連続三役も途切れて平幕に落ちた。5年ぶりに2枚目に落ちた7月は11勝と意地を見せ、なんとか上昇気流に乗せた。

 若の里はがっちりした固太りの体形で、がっぷり四つなら横綱級。腕力があり、師匠隆の里ばりの吊りもある豪快なポパイ型。魁皇と似たタイプだが、投げより寄りが本領。また左右どちらの四つでも同じくらいの力を発揮し、モロ差しの巧さも見せるが、その分型が完成されないという批判も。不十分な体勢なのに無理に出たり、いい体勢なのに攻め時を逃したりというタイミングのまずさが大関獲りや優勝に絡んだときに出てしまう。反面、相手力士が大事な一番の時は鬼のように強い印象。突っ張りはないが、突き押しの相手にもいい時は押されずに胸を出して残す力がある。悪い時は、アゴを上げてしまってやられている。場所中にいい日と悪い日が前触れもなく現れる。立合いの不安はずっと指摘されており、基本カチ上げだが、全く効果なく自分の腰が浮いているだけの場合もある。張差しなども見せるが、何よりアゴが上がらないことが重要。

 

  雅 山 関脇(元大関)<突き押し・なまくら四つ> 武蔵川 28 187/180
B13 D09

突っ張り 4a

モロ手突き4b

右おっつけ2b

腕返し   3c

のどわ   3b

上突っ張り4b

突き落とし4b

がぶり寄り2d

はたき 3b

いなし 3d

張り手 2d

掬い投げ2c

ハズ押し3c

二丁投げ2e

引き落し2c

首投げ 1d

<立合>

モロ手突き3b

ぶちかまし3b

張差    2d

引き落とし2d

カチ上げ 1e

頭a 肩c

手b 変化d

<体>

土俵際

下半身硬い

掛り

引き癖

右足首痛

肩痛

早熟

<心>

勝負弱い

尻上がり

突っかけ

 

 

C10 B12
E07 D09
D08 D09
E06 D09

 新平成の怪物雅山は、付け出しでデビューすると幕下2場所、十両2場所を4連覇で駆け上がる驀進ぶりで入幕。総髪姿でいきなり7枚目、2敗で終盤を迎え大関に当てられて9勝だったが敢闘賞を得た。上位陣に弱く、2場所負け越したがそこからまた怪物ぶりを発揮。12年1月新三役で初日から勝ちっぱなし、12勝で殊勲賞。3月も優勝争いに加わり、千秋楽勝てば決定戦だったが貴闘力に惜敗し11勝どまり。大関獲りの5月も11勝。3場所34勝と星は十分だが今ひとつ相撲内容が強さが感じられず、審判部でも異例の多数決で大関昇進が決まるなど盛り上がらなかった。そんな不評を土俵で吹き飛ばしたかったが、右肩の具合が悪く新大関場所で負け越し。今までの好成績が嘘のように一桁の勝ち星で勝ち越したり負け越したり。角番の13年9月海鵬戦で敗れ左足に重傷を負い、大関陥落。在位中の成績は5割を切ってしまった。この休場のついでに古傷の右肩の手術も行ったが経過が悪く、公傷明けの大関復帰のチャンスを棒に振って治療に専念した。前頭8枚目からの出直し場所、初日勝ち名乗りを受けて花道で号泣した。これから大関復帰を狙おうという15年1月、貴乃花に二丁投げをかけた際右足首を負傷、翌日朝青龍戦で強行出場したが悪化させて休場に追い込まれた。以後優勝争いにも出てくるが三役では大負けしていたが、16年7月12勝して調子に乗り、関脇でも3場所連続9勝と安定感を示した。

 上がってきた頃の雅山は幕内1,2を争う巨体の割りに突き押し左四つ右四つ何でも取れる器用さがあり、どんな相手にもそれなりに取れる。しかしそれはつまり型がないということ。そのせいか入幕後成績はいいのに横綱大関にはさっぱり勝てなかった。足の運びが今ひとつで出足不足。はたきにも良く落ちる。ただ逆に押し込まれた時は意外な粘りで突き落としを見せて逆転も多く、対戦相手も雅山とやるときは勝負が付くまで何が起こるかわからないと警戒されている。大関陥落後は右肩が良くなったのか突っ張りに威力が増し、いまや完全に突き押しの相撲になっている。やや上突っ張りの傾向があるが、回転も速くて相手を起こすのは十分。この種の突っ張りと相性がいいのかはたきも良く決まるが、ちょっと安易に引きすぎる感も。

  出 島 前頭(元大関) <押し・右差し寄り> 武蔵川 30 181/169
C10 C10

モロ筈押し4b

モロ手突き3b

おっつけ 3a

腕返し    3b

のどわ  2d

がぶり寄り3c

モロ差寄り3d

ぶちかまし3c

はたき 3c

掛け投げ1d

ハズ押し4a

突っ張り3c

いなし 3c

渡しこみ1e

極め  1d

小股  1d

<立合>

ぶちかまし3a

体当たり 3c

モロ差   2d

右差し   2c

突き落とし2e

頭a 肩d

胸b手d変化e

<体>

上体柔軟

出足

足痛

早熟

<心>

ツラ相撲

尻上がり

スロ-スタ-タ

 

 

C10 C11
D09 E07
E07 E07
F05 E06

 幕下付出し。9年3月新入幕ながら優勝争いに加わる活躍を見せて敢闘技能を受賞。9月は両横綱から金星を獲って殊勲技能。しかし11月新関脇の場所で中大の先輩玉春日戦で左足を負傷。長引いて番付を下げたがめげずに復活。10年7月にはまた2横綱を倒す上位キラーぶりを発揮、三役に復帰・定着する。11年5月関脇で11勝。翌場所は足固めの場所と見られたが、大関獲り本命の魁皇を尻目に2横綱2大関を破って13勝2敗、兄弟子武蔵丸が1敗の曙を倒して同点決勝となり、立合いいなしからの速攻で初優勝を飾った。三賞も3つとも獲得、3場所32勝で大関に推挙された。大関出島は最初の一年ほどはまずまずの成績を修めていたが、13年に入って不振に陥り、2度目の角番の7月蜂窩織炎による発熱で不運にも12場所で大関陥落。6場所連続負け越して前頭9枚目まで下がったが、まだ若く足の具合さえ良くなれば復帰も狙えると思われた。実際上位陣にも通用し、15年1月は貴乃花を引退に追い込む金星も得ているし、番付が下がれば優勝争いにも顔を出して何度か二桁勝っている。しかし調子が上がってきたところで3度も右足に重傷を負い、出直しを迫られる。一時14枚目まで落ちた。蜂窩織炎に蝕まれて腫れたふくらはぎはサポーターが外せなくなり、叩かれて前に落ち、なかなか起き上がれない姿は痛々しく、さすがに大関復帰は苦しいが、実力はまだまだ衰えず陥落後の幕内在位記録は更新できそうだ。

 「出る出る出島」の名文句のとおり、立合いの当りから一気に出る出足が持ち味。どんな強豪にもこの出足は脅威だろう。大関の頃までは、突っ張りあいになってのいなしなど動きも良かったが、最近は速いのはもっぱら出足の勢いだけで、一気に持っていけず止まってしまうとどうしようもない。押し相撲というより、右または左、もしくは二本差しての寄りがメイン。土俵際は差し手を突きつけるか、がぶるか、渡しこんで立合いのエネルギーを出し尽くす。投げはあまり見せないが、その分相手は面食らう。17年7月若の里に意外な上手投げを見舞って破っているし、同年3月朝青龍にやぐら気味の掛け投げを仕掛けて脅かしている(逆に叩きつけられて悲惨な目にあったたが)。立合いに関しては変化されると落ちるので、最近胸で体当たりすることもある。出島といえば大関時代はその白い肌で美白大関と呼ばれた。時間になると紅潮する色の変化も注目されていた。

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横綱・大関・関脇

朝青龍 魁皇 千代大海 栃東 若の里 雅山 出島

 

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