平成名力士
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竹葉山 平成時代引退第1号の昭和の力士ではあるが、平成で最も多く部屋に賜杯を預かった名伯楽を、今シリーズの端緒としたい。長らく十両定着にも苦労していたが、昭和61年に優勝した勢いで幕内に2場所在位。 31歳で引退して間もなく先代が死去、急遽名門の宮城野部屋を託された。斜陽化していた部屋は、白鵬の登場で一気に復活。売れ残っていたやせっぽちを受け入れた大英断は相撲史を動かした。先代の娘婿に突如師匠の座を譲ったが、後任の不行跡を受けて復帰する幸運。白鵬の言動には度々監督不行届を責められたが、停年時に名跡交換して部屋を託した。 北勝鬨 均整の取れた体つきでキレのある技を繰り出し、長年幕内で活躍した道産子力士最後の砦。
久島海 高校時代は選手権3連覇、さらに大学生、社会人も退けて全日本も制し、咆哮ぶりから怪物クッシーと注目を浴びた。日大でも1年次から3連覇するなど最強の名をほしいままにして角界入り。1年半で入幕。2年春には終盤まで優勝争いに加わり期待されたが、ケガも多く三役にも達しなかったのは残念。敢闘賞2回、金星2個。ワキが甘くて強引に抱え込んでいたが、巻き込むような小手投げは恐怖だった。 引退後は田子ノ浦として独立、ようやく碧山が幕内にという時に急逝し、部屋は閉鎖された。 大翔山 幕下付出デビュー。幕下から新十両まで3場所連続優勝と急速に力をつけ、2年9月新入幕。3場所目には早くも金星を挙げるなど通算3つの金星。5年1月にはあわや巴戦進出という12勝で敢闘賞を得たが、慢性的な腰痛に加え、アキレス腱のケガで4年足らずで幕内を明け渡すと、三役経験のないまま通算7年間で土俵を去った。巨体の割に右下手半身が多く消極的と言われたが、貴闘力と流血張り手合戦を演じる闘志も秘めていた。 かつて義父の元追手山が所属した追手風部屋を再興すると、遠藤ら人気力士が続々と輩出し屈指の大部屋に。黒海は欧州勢初の関取に、大栄翔は賜杯をもたらした。
春日富士 平成元年春新入幕から定着に成功。上位で目立ったのは引退前日の北天佑を破ったくらいだが、2場所のブランクを挟んで通算42場所幕内を務めた。回転の良い突っ張りと鋭い変化技を武器に躍動。唯一10勝をマークした2年名古屋では敢闘賞。対戦相手は全て平幕中位から下位、しかも決まり手は突き落とし5、叩き込み4、不戦1の怪記録だった。引き技が多かったが、当たる寸前や当たった瞬間の横への動きで大型力士を翻弄した。
小城ノ花 父は関脇小城ノ花、弟は小結小城錦。貴花田と同時期に二世力士として躍進した。長身で柔らかい体から繰り出す右上手投げは二代目若乃花を彷彿させた。入幕3場所目には東2枚目に上がり霧島に大関初黒星をつけたが、この場所が最高位にして唯一の上位戦勝利となってしまった。2場所後に十両転落するなど、幕内でも勝ち越す力はあるのに番付の昇降が激しく、長く定着できなかった。十両では地力を発揮し4度も優勝している。 旭 里 十両を1年ほどで突破して新入幕を果たすが、千秋楽負け越しで陥落。翌場所は最年少新入幕で注目された貴花田に初日敗れたものの9勝で再入幕を決めたが、今度は大敗。以後は十両ではほぼ上位に位置し、2年おきに再入幕するも、いずれも1場所で陥落した。2度の幕下転落を乗り越え、まだまだ十両の番人として働けそうだったが、10年1月を最後に突然引退した。やや細身の長身で右四つ、左からの投げを得意とした。 肥後ノ海 幕下付出から1年余で入幕。平成5年秋には丁髷姿のまま新大関若ノ花に土をつけた。筆頭で迎えた7年夏には曙から初金星、上位戦を終えて五分の星で残り3日だったが無念の休場。その後上位では大負けが続くも、11年春には貴ノ浪、貴乃花を連破。通算で金星2、銀星7を記録した。左四つで上手出し投げの上手さがあり、離れても取れる器用な力士だった。
湊富士 粘っこい体で度々意外性のある逆転技を放つ、人呼んでマシュマロマン。柔らかく出足を吸収してしまうようで、押し相撲には嫌がられた。腕捻り、首投げの奇手で横綱貴乃花相手に初めて連勝した曲者として印象深いが、元来体格の良い真っ当な右四つで、上手、下手に出投げの技巧もあった。出世に時間はかかったが、25歳で入幕すると2度目の入幕から定着。平成7年九州では優勝した若乃花ら2大関を破り敢闘賞。長らく上位から中位に位置し、30歳前後になって金星3つを得ている。息の長い活躍が期待されたが、右足の怪我を負ってからは衰退して14年秋引退。
巌 雄 岩のようにガッチリした巨躯を活かした右四つ左上手の寄りで力を発揮した。北の湖部屋の一番弟子。順調に出世したが怪我に泣き、21歳で新十両を果たしてからも、怪我で2度全休するなど苦労して、再十両まで3年半を要した。が、その間蓄えた地力が開花し、所要4場所で新入幕。31歳で膝が限界に達するまで約4年間連続して幕内を維持した。その間、4度上位に進出するが、いずれも3勝12敗に終わっている。横綱大関からの白星は奪えなかった。
時津海 軽量ながら力もあり、確かな技術を伴った右四つ相撲で技能賞4回。主に平幕中位あたりで推移したが、時に目立つ活躍。11勝で初の三賞を得て4枚目で迎えた13年秋、千秋楽に既に平幕優勝を決めている琴光喜を破り9勝。15年名古屋は大関栃東を破って9勝2敗で一時単独首位に立ち、4場所ぶり再入幕の18年1月にも終盤まで優勝争いに残って12勝。
北 桜 前髪が後退したいかつい風貌、豪快な塩まき、気迫溢れる敢闘ぶり、そして本場所でも構わずハイタッチに応じるサービス精神で、不祥事に沈む角界を明るく照らした。出世は遅く12年近くかかっての新十両。そこから定着にも2年余。5度目の十両から急に強くなり、3場所目には筆頭で13勝で優勝。30歳目前で新入幕を果たす。弟の豊桜とは、同時昇進も果たした。その後も定着には至らなかったが、30代後半でも元気に取っていた。右四つだが、右は差すより前まわしを引きつけた方が力が出る。笑う門には福来るで、不戦3、勇足3、つき手、つき膝でも白星を得ている。
潮 丸 四股名の通りまん丸い体を活かした押しとモロ差しの取り口で幕内12場所、十両31場所を務めた。怪我が多く幕下まで下がることもあったが、何度も立て直し5度目の入幕では新入幕以来の勝ち越しを記録した。最後の2年は十両を保っていたが、21年夏場所を最後に師匠停年のため部屋を継承した。
隆の鶴 同世代が芽吹いた頃には足の大手術で長期離脱。前相撲に落ちたりと苦労した。それでも大きな体を武器に新入幕では早々に勝ち越し、12日目には10勝1敗と優勝争いに残っていた元大関出島を破る活躍も、最後3連敗で条件付き敢闘賞を逃した。その後は故障で幕下落ち、這い上がって再入幕で6連勝で勝ち越した。幕内在位は5場所。同じく長身でもみ上げを蓄えた闘牙とのそっくりさん対決が話題。相撲ぶりは対照的で、巨体を生かした寄り、極め技で、腰高ながら腹を押しつけて出る迫力があった。
M 錦 琴光喜、高見盛と日大で同期。小兵らしくしぶとい相撲で技能を発揮。右下手からの捻り、投げを武器に幕内7場所を務めた。怪我も多く幕下、三段目まで落ちて苦しむ時期も長かったが、よく辛抱して、最晩年には当時最長ブランクの39場所ぶりの再十両を果たした。
土佐豊 30連勝を記録するなど最速タイの6場所で新十両。すぐに幕内中位に定着、初顔で大関琴欧洲を破っている。自己最高位の前頭筆頭で左膝を負傷。その後は故障を繰り返して急落、十両転落を機に手術して三段目下位まで落ちたが、よく再起して1年後に十両復帰。3年ぶりの幕内へ戻ったが、初日に負傷して僅か1日の幕内カムバックとなってしまった。1年後には再び三段目に落ち、今度は再起ならず。 大 道 通算決まり手で寄り切りを上手投げが上回る、近年珍しい力士。長らく幕下で足踏みし、十両目前で顎を骨折。十両は早々に突破しかけたが、賭博事件で謹慎し幕下転落。新入幕では28歳となっていた。定着に成功し2年13場所連続で在位。連続勝ち越しで迎えた25年名古屋だったが、初日から黒星が続いて千秋楽にどうにか全敗を逃れたものの突然の大乱調で幕内を明け渡すと、その後は復帰ならず。2年十両を保ったのち、幕下で負け越すと引退を表明した。
蒼国来 2年半ものブランクを経て復帰した苦労人。中国内モンゴル自治区出身。身体が細く関取になるまで7年を要したが、地力が開花し幕内にも定着かというところで八百長認定され、敢然と否認を貫き解雇処分となった。諦めずに訴訟を起こし、時間を要したが、解雇不当の判決を得て復帰が決定。最終成績を基に幕内での復帰となった。すぐに十両下位まで下がったが、感覚が戻ると自己最高位を更新。33歳になった29年1月には12勝の活躍で技能賞。翌場所には日馬富士から金星も挙げた。その後は幕内での勝ち越しはなく、2度目の幕下転落で引退。軽量だが上手を取ると力強く、吊りも見せた。右四つだったが、いつの間にか左四つが軸になった珍しい転向例。
(十両)金親、大竜 最高位が十両でも部屋持ちにはなれる。現役時は北の湖部屋ながら先代の娘婿となって宮城野を一時継承した金親(月山)。大鵬部屋を継承した大嶽が解雇され、急遽継承した大竜。
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