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千賀ノ浦
部屋
所属 
出羽海
創設 平成16年 現師匠
舛田山
前師匠
開祖
勢力
 D
実績
 E
伝統
   F


概略

 春日野部屋の元関脇舛田山が独立して誕生した新興の部屋。平成生まれ第一号関取の舛ノ山を抱え、これからの成長が待たれる。

主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星)

  幕内  舛ノ山

四股名の特徴・その他

 師匠の現役名から、「舛」をつける力士がほとんど。

 師匠の出身である石川県、拓殖大学からのスカウトに強みがある。

■歴史

関脇舛田山   舛田山の四股名で昭和49年3月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。以後、昭和50年1月場所に十両に昇進。昭和51年11月場所には新入幕を果たした。さらに昭和56年1月場所に新三役小結に昇進した。しかし同年9月場所に左足の腿腱筋を断裂して十両に陥落。この頃から徹底的に叩く相撲を取るようになり復調し、昭和57年7月場所に再入幕を果たすと、昭和58年9月場所には一気に最高位の関脇まで番付を上げた。その後は幕内で相撲を取り続け、昭和60年5月場所を最後に十両に陥落。再入幕を目指していたが、平成元年7月場所限りで現役を引退した。引退後は年寄・千賀ノ浦を襲名。春日野部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たったが、平成16年9月場所後に独立し拓殖大学の後輩の栃の山ら4人の力士と行司1人を引き連れて千賀ノ浦部屋を開設した。(部屋HPより。あまりにきっちり紹介されているので拝借)

のがした大魚  引退から15年ほどが経過し、かなり高齢での独立は意外だった。すでに独立に師匠が口を挟む時代ではなく、了承されたものの、弟子の移籍を巡っては一悶着あった。部屋頭の関脇栃乃洋は、石川県七尾市出身、拓殖大学相撲部と全く同じルートで入ってきており、入門に際しても自身が引っ張ったとあって連れていくつもりだった。しかし、長年名門の部屋頭として活躍してきたベテランは、慰留されて迷った末に春日野部屋に残留することを決意。大きく計算が狂ってのスタートだった。

1からのスタート  部屋頭の栃の山も盛りを過ぎて関取に届かず現在に至っており、関取誕生までは苦労した。ハンガリー出身の舛東欧、旧帝大の初の入門者、名古屋大出身・舛名大など話題性のある力士はいたが大成せず。

期待の新星  しかし、18年に入門した舛ノ山が22年九州で新十両。まだ10代で、高安と共に平成生まれ(2年)初の関取と注目された。翌年には幕内昇進を果たした。

■現状・展望

 期待の舛ノ山は新入幕場所で足首を骨折し途中休場となって転落。いまだその影響から本調子でないが、復調傾向にあり再入幕は時間の問題だろう。平成生まれの出世争いをしてきた高安に追いつきたい。彼の活躍がそのまま千賀ノ浦部屋の浮き沈みとなる。

 部屋の歴史は浅いが、師匠はもう還暦。せっかく有望力士を抱えているだけに部屋消滅は避けたい。後継の準備が急がれるが、独立の時の経緯から元栃乃洋の竹縄は難しいかもしれない。当代が築いた地盤を引き継げる存在だが。

 

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