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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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明治大正期には無敵の横綱太刀山を擁し、二所ノ関部屋も生んだ強豪部屋友綱は、昭和期には衰退し戦後間もなく閉鎖。 昭和15年に元小結巴潟が玉垣部屋を興し、のち独立元の高嶋部屋を継承していたが、昭和36年に義父の友綱名跡を継いだことで再度部屋名を変更したのが令和4年まで続いた友綱部屋の始まりである。娘婿への継承が続いたあと、吸収した大島部屋から合流した元旭天鵬が継承していたが、しばらくして先代師匠と再び名跡交換して、古巣の大島部屋に改称した。 なお、高嶋部屋(のち高島)は元大関三根山によって再興されたが、のち熊ヶ谷部屋に吸収され、すぐに元高望山が復活させたが平成23年に弟子不在のため門を閉じた。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星) 横綱 〇吉葉山 無印は友綱部屋時代。〇は高嶋部屋時代。★は大島部屋からの移籍 (参考)旧大島部屋時代 横綱 旭富士(優4) ■四股名の特徴・その他 先代の現役名でもある「魁」や、旧大島勢の「旭」が特徴になっている。そろそろ当代の色を出したいが、まだ直弟子からは関取が出ていない。かつての友綱部屋とは直接の関係はないが、やはり名門の名跡ということで歴史にあやかり、平成期には、かつての大関「太刀光電右エ門」の四股名を復活させて話題になった。 概略のとおり高島部屋の歴史と絡み合っており関係がややこしい上に、全く別系列の大島とも絡まった。 ■歴史 小結巴潟の高嶋時代 高嶋部屋の巴潟は小兵ながら鋭い当たりで弾丸と恐れられた力士。当時の高嶋部屋から初の幕内力士となった巴潟は引退後玉垣部屋を持っていたが、師匠の停年後に高嶋部屋を継承。小部屋だった高嶋部屋だが、人気横綱吉葉山や大関三根山が育って一躍賑わった。彼らが引退したのち、年寄名跡を変更したため友綱部屋と改称された。 友綱改称後の低迷 しかし、引退した吉葉山が宮城野部屋、三根山が高島部屋として独立すると弟子も減って衰退する。それから15年、師匠停年直前になってようやく現師匠の魁輝が幕内力士となった。昭和51年の停年時には、高嶋部屋時代の弟子で姻戚関係の元十両一錦に部屋を継承した。 一錦時代の友綱部屋 その後魁輝は押し相撲を武器に関脇まで昇進し、34歳まで現役を務めた。同時代にはのち世話人となる王湖が1場所だけ幕内に在位。62年に引退した魁輝は師匠の娘婿となり、2年後の平成元年に部屋を譲られた。その間の昭和63年春場所にのちの魁皇が入門している。 大関魁皇が誕生 弟子が10人に満たない小部屋になっていたが、長身太刀光が63年に十両昇進しバトンを繋ぐ。そして期待の魁皇が平成4年に十両昇進、三役に昇進すると豪快な相撲で三賞の常連となった。なかなか大関には届かなかったが、12年に初優勝を飾るとようやく昇進。横綱には届かなかったが優勝5回を記録、10年以上に渡って大関に君臨して最多勝記録は並み居る大横綱を凌いで1位に達した。人気面でも低迷する角界を支えて存在感は絶大だった。これに続く力士が出て欲しかったが、アメリカ出身の戦闘竜は幕内下位が限界で、とっくり投げで鳴らした魁道も幕内に届かず。魁皇最晩年に新入幕のブラジル出身魁聖が10連勝、期待の星に後を託して23年に現役を退いた。 大島部屋吸収 移籍即V 平成24年に元旭國の停年に伴い、大島部屋を吸収。一挙に関取3人を含む7人が加わった。するとその場所で37歳旭天鵬が平幕優勝。奇しくも大正期に友綱部屋の横綱太刀山に次ぐ年長記録だった(昭和以降最年長)。旭天鵬は40代で幕内を張り、旭秀鵬も息の長い活躍を見せた。魁聖は関脇まで達したが、これに続く生え抜きが出てこず、10年経って再び関取は魁聖頼みとなった。 大島部屋へ改称 引退して部屋付きとなっていた旭天鵬の大島は、元魁輝の停年に伴って名跡交換し、友綱部屋を継承した。日本への帰化時は先代大島の姓を名乗り、異常な力士寿命のせいで友綱部屋預かりとなったものの、いずれ大島部屋を再興するとみられていただけに意外だった。すると、令和4年になって再び名跡交換して大島を名乗り、かつての看板を復活させることとなった。友綱部屋は魁皇が継ぐのが順当と思われたが、浅香山部屋を興しており、このタイミングでも名跡交換がないことを思うと、名門はしばらく眠ることになりそうだ。
■現状・展望 魁聖のいるうちに、次代を担う関取が出てきてほしいが、なかなかホープが現れない。 |