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部屋一覧
二所一門 出羽一門 立浪一門
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昭和後期に3人の横綱が巣立った名門。部屋の歴史もドラマに溢れている。 ■主な力士 (赤は現役、優は優勝、三は三賞、金は金星) 横綱
北の富士(優10)、千代の富士(優31)、北勝海(優8) ■四股名の特徴・その他 現在は師匠の四股名から取った「千代」の冠が付けられる。原則三段目に昇進すると四股名を与えるので、まずはそれを目指して頑張ることになる。一昔前の北の富士の直弟子は「富士」をつけていたが、全て引退した。現在は旭富士の伊勢ケ浜部屋や富士桜の中村部屋が富士をつけることが多い部屋として知られている。開祖千代の山の時代は出羽海からの移籍組はそのままの四股名を名乗り、独立後の力士は今ほどではないが多くに自らの「千代」をつけていた。そのためレパートリーが限られてしまい、「大海」「天山」「大龍」など2字熟語をつけたりもしているが、「千代櫻」のようにかつての力士名が復活することもある。「千代の富士」も実は2代目だった。 かつては3横綱を筆頭に北海道出身の力士を多数抱えていたが、最近は他の部屋同様激減している。 ケガに対しては無理させず休んで治す方針。千代の富士や北勝海も休場は多かったが、治療を優先して復活した。 千代の富士の印象が強いが、伝統的に動きのある突き押し相撲が多い。 ■歴史 仁王・千代の山 昭和後期を彩った強豪。屈指の人気を誇る部屋の船出は大嵐の中、しかし華々しいものだった。出羽海部屋から出た横綱千代の山、太刀山の再来とも謳われた猛烈な突っ張りを得意とした仁王像のような力士だった。戦前戦中は双葉山、羽黒山の立浪に押されていた幕内の半数近くを占めた最大勢力の出羽海部屋。反攻の期待を背負って英才教育を受け、見事頂点を極めた。 嵐の船出 破門・アベックV 一時代を築くまでは至らなかったものの存在感を示して引退、年寄九重として部屋付を経て出羽海を襲うものと見られていた。ところが、弟弟子の佐田の山が横綱に昇進すると流れが変わり、師匠らの意向で後継者となることが濃厚となった。自ら後継と自負していた九重は部屋付きに甘んじることをよしとせず、自らスカウトした大関北の富士ら内弟子を連れて独立の意向を示す。しかし、出羽海部屋は長く独立を禁ずる伝統があり、元横綱といえども特例は認められなかった。紛争の末、独立が認められたが、けじめとして一門からは破門という決着。幸い、すぐに高砂一門への合流が認められ(気の毒に思った出羽海の根回しがあったらしい)、無所属という事態は避けられた。 北の富士時代 初期の九重部屋は、人気力士北の富士を擁し安定軌道に乗る。師匠は出身地・北海道から続々とスカウトを続ける。創設から3年、ついに北の富士が横綱に昇進し、北玉時代を築こうという45年の秋、師匠が故郷福島町から連れてきたの新弟子がひとり。北の富士にウルフとあだ名された目付きの鋭い少年がのちの千代の富士である。北の富士は49年まで横綱を務め、引退後は井筒を襲名して、若の富士ら内弟子を連れて独立する。一人横綱も務め10回の優勝を部屋にもたらした英雄を擁したが、後続はなかなか出て来なかった。新入幕場所など度々大活躍した小兵北瀬海がいたくらいである。 低迷期 昭和50年代前半、しばらくは北瀬海が部屋頭として引っ張る。小兵ながら勢いに乗ると上位を食い、関脇にまで昇進したが安定して上位で取ることはできなかった。その他何人か関取が出るが、みな故障で短命、若くして土俵を去っている。50年秋、20歳で入幕した千代の富士もケガが絶えずに幕下へ陥落、同じ運命を辿っていてもおかしくなかった。 巨星墜つ 52年10月、突如元千代の山の九重が逝った。独立からまだ10年だった。後任は井筒部屋として分家していた元北の富士が戻ることになり、再び合併する形となった。翌年千代の富士が三役となるが、54年にまたケガで十両落ち、同年北瀬海も引退してしまった。しかし、ここから千代の富士が急成長。56年には一気に横綱に登り詰めた。世はウルフフィーバー、再び人気横綱を擁した九重部屋は中興期を迎えた。 黄金時代 26歳で昇進した横綱千代の富士は、予想に反して10年に及ぶ長期政権となり、九重部屋黄金期を迎える。さらに多くの弟弟子を引き上げた。特に、期待の大きくなかった北勝海が急成長して62年についに横綱昇進。九重包囲網と呼ばれた二大巨頭でライバルを潰し、61年から62年にかけて2人で10連覇、63年から平成元年にかけて9連覇と栄華を極めた。孝乃富士らも幕内上位に顔を出して層も厚かった。 雌伏の時代 3年に引退した千代の富士は、一代年寄の特権を辞退して九重を継承。愛着ある部屋の伝統を引継ぐ決断をした。引退翌年の4年、元北の富士から禅譲を受けて3代目の師匠となる。しかし、ここから九重部屋は低迷期を迎える。北勝海が故障がちとなって28歳にして引退(八角として独立)、孝乃富士、富士乃真も若くして土俵を去り、期待の巴富士もヒザのケガに悩まされて低迷。幕内力士不在になって二子山全盛期を傍観する寂しい時期が続いていたが、そこへようやく台頭してきたのが千代大海だった。 十年大関 9年に入幕すると、翌年には三役定着、そして11年1月若乃花に逆転優勝して大関となった。若乃花の父貴ノ花は千代の富士に後を託して入れ替わるように引退。そして千代の富士はその次男貴花田に敗れて引退を決意。その兄若乃花に、弟子の千代大海が雪辱を果たすという因縁の対決だった。この場所では新入幕の千代天山も敢闘賞(その後3連続三賞の新記録)と、九重部屋創立の場所を思わせるダブル受賞。また九重時代が到来するかと期待が膨らんだが、千代大海は何度かチャンスはあったものの遂に横綱には届かず。千代天山は短命で幕内から姿を消し、後続はパッタリ止まってしまった。 新世代躍動 しかし皮肉にも部屋頭の不祥事をきっかけに、大量の引退力士が出て一気に流動化した関取の座に、期待の若手がなだれを打って殺到してきた。関取消滅からわずか1場所、千代の国が先陣を切ると、翌場所千代嵐、千代櫻が同時昇進。さらに24年は幕下付出の千代大龍に千代皇、さらに千代丸、千代鳳兄弟、モンゴル出身千代翔馬と立て続けに関取が誕生。これまでの九重部屋はどちらかというと数よりも質で、飛び抜けた力士がポツンと上位にいることが多かったが、同世代が出世を競う新しい時代がやってきた。これまで採用してこなかった大卒力士や外国勢を受け入れたことで、一気に活性化した。 ■現状・展望 千代大龍、千代鳳は三役昇進も果たしたが、全体に故障がちで大躍進とはいかない。それでも一時三段目まで落ちた千代の国が幕内に戻って躍動するなど、若い関取衆が一門を引っ張っている。九重新時代の本格が待たれる中、千代の富士が逝った。前年に見事な肉体で還暦土俵入りを果たしたばかりだった。元千代大海の佐ノ山が順当に継承。部屋付として名コーチぶりが評判だった新師匠の手腕に期待がかかる。(平成28年9月)
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