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二所一門 出羽一門 立浪一門
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元小結両国の中立が出羽海部屋から独立。その後師匠が名跡交換して境川部屋となった。新興ながら多数の弟子が入門、次々関取も誕生し、順調に勢力を伸ばしている。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星) 大関 豪栄道 ■四股名の特徴・その他 大師匠にあたる先代出羽海親方の現役名佐田の山から、「佐田」を冠する力士が何人かいるが、基本的にはそれぞれの力士に縁のある文字を組み合わせて名付けることが多い。豪栄道の「栄」、豊響の「響」、城ノ龍の「城」はいずれも出身校に由来する。 大卒もいるが、豪栄道ら高卒力士が育つ傾向が強い。岩木山、豊響は卒業後社会人経験がある。 ■歴史 出羽海部屋から独立 師匠両国は日大出身の巨漢力士。出羽海部屋ゆかりの四股名が示すとおり、大きな期待を背負ったが、最高位は小結に留まった。千代の富士を苦しめるなど上位に強かったが、怪我で力士寿命は短かった。独立には厳しい出羽海部屋だが、すでに横綱三重ノ海が独立を許された前例もあり、特にトラブルなく認められた。大学の後輩でもある久島海も田子ノ浦部屋を起ち上げている。現春日野の栃乃和歌は大学時代から好敵手だが、両国が独立した時にはまだ幕内で現役を張っていた。 小結岩木山の貢献 まず関取として活躍したのが巨漢岩木山。古風な風貌で渋い人気のあった学生相撲出身力士だが、大学卒業後社会人を経て、同郷で元出羽海部屋・舞の海の紹介で入門した。年は食っていたが一気に幕内に駆け上がると、朝青龍全盛期に上位に定着した。しばらくは関取は岩木山一人という時期が続いたが、若手に稽古をつけて後進を引き上げた。 若手続々 まず続いたのが18年の寶智山、高校相撲で実績のある青森出身力士で、初期の人材は舞の海人脈によるところも大きかった。高校相撲に強みを発揮し、強豪埼玉栄の豪栄道、鳥取城北からモンゴル出身の城ノ龍(22年日本国籍取得)が関取となった。高校横綱の豪栄道は同期入門の豊響や、高校相撲でライバルだった春日野部屋の栃煌山とスピード出世を争い、幕内に昇進すると派手な活躍を見せてすぐに三役昇進。出羽海部屋で師匠の兄弟子だった元小結佐田の海の息子は中学卒業後に入門、父子関取となり、のちに父と同じ新入幕での敢闘賞を得た。 埼玉栄コンビ 22年の野球賭博事件では豪栄道、豊響らが関与。謹慎で全休し十両陥落、一時幕内力士が途絶えた。もちろんすぐに復帰したが、豪栄道は三役に定着するものの停滞。その間、高校時代同学年で競い、大学相撲で幕下付出資格を得た妙義龍が台頭。24年には関脇に並び、先に三役での二桁勝利。これに刺激を受けた豪栄道は関脇を史上1位の14場所守った末についに大関へ昇進した。豪栄道は28年に全勝を記録し部屋に賜杯を呼び込んだ。カド番も多いが長く大関を務めた。妙義龍は一気に技能賞5回をマーク、上位を食い荒らしたが、三役定着とはならなかった。 ■現状・展望 豪栄道は5年余りその地位を守っている。妙義龍、佐田の海共々30歳を過ぎても健在だ。佐田の富士は引退し部屋付きに、豊響は衰えて幕下に落ちている。次の世代が伸びてこないのが寂しい。 (令和2年1月) |