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二所一門 出羽一門 立浪一門
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大正期から続き、双葉山を生んだ名門部屋。戦前戦後を通して強豪が輩出している。一門の本家としては時津風の次に歴史が浅く、長く伊勢ヶ濱一門との連合勢力となっていたが、伊勢ヶ濱部屋閉鎖に伴って「立浪一門」に改められた。ところが24年の理事選で現師匠が造反票を投じたことから、破門同然となり、投票先の貴乃花グループへ事実上合流。盟主が離脱した立浪一門は、春日山・伊勢ケ浜組合、さらに伊勢ケ浜一門と改称した。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星。) 横綱 双葉山、羽黒山、双羽黒 ■四股名の特徴・その他 部屋名より「立」や「浪」。先代、先々代の時代は師匠の四股名から「羽黒」などが多かった。 髭の伊之助、27代木村庄之助と名行司も所属していた昭和の主役だが、理事長を擁立したことはなかった。 ■歴史 開祖緑嶌 伊勢ノ海系の春日山部屋に所属し、明治の終わりから大正初期にかけて上位キラーとして活躍して小結まで上がった小兵力士。大正4年に引退後、立浪部屋を興している。小部屋からスタートしたが、実績のわりに交友が厚く、広くスカウト網を広げて順調に弟子を増やしていった。大正末期には、のち金星3つを獲得した吉野山など幕内力士数人が誕生して素地を作る。 双葉山の躍進 昭和7年の春秋園事件では、立浪からも2人の幕内力士が脱退するなど少なからず影響を被ったが、その脱退力士を除いて作られた新番付では双葉山が入幕するなど、残留力士が一気に躍進するきっかけとなった。幕内に定着した双葉山、徐々に地力を蓄えて11年から勝ちっぱなしの69連勝。一気に横綱となり、王者二所ノ関の玉錦らを駆逐。幕内の片屋を占めた出羽海部屋に対抗する。双葉山は戦中にかけて無敵の横綱として君臨したが、改めてその活躍を説明する必要はないだろう。 立浪三羽烏の時代 双葉山を猛然と追いかけたのが羽黒山。9年の入門から、各段全て優勝で駆け上がり、15年には大関、16年夏には初優勝を果たして17年には横綱と、年2場所制の当時としては異例のスピード出世を果たした。羽黒山に追い越された名寄岩も長く関脇を務めて18年に大関。立浪三羽烏と恐れられ、戦中は立浪黄金時代であった。ただ、双葉山は現役中から双葉山道場を興して独立。師匠との確執があったと言われる。立浪部屋も空襲が始まると撤去し疎開を余儀なくされる。 混乱期を支えた羽黒山、二枚鑑札に 終戦後、双葉山は引退。影に隠れがちだった羽黒山の時代が来る。国技館が接収されて転々とする中、妻子を失う不運に見舞われながら4連覇を果たしている。その後、重症を負って休場がちとなるが、27年に復活の全勝優勝を果たすなど、12年に渡って横綱を務め、不知火型中興の祖と讃えられた。27年に緑島の立浪が死去、横綱と部屋の師匠を兼ねることとなった。大関名寄岩は戦後の混乱の中で体調を崩し、2度大関陥落(全敗も記録)。しかしよく奮起し、「涙の敢闘賞」で有名な復活劇を飾った。 立浪四天王 羽黒山は29年に引退して立浪部屋師匠に専念するが、続々と有望力士が出てきていた。28年に平幕ながら全勝優勝を果たすなど再三優勝争いに絡んだ時津山。髭の伊之助涙の猛抗議で有名な栃錦戦を演じた白い稲妻・北の洋。しぶとい相撲で逆転技を得意とし、32年には新三役で優勝、栃錦最後の一番の相手ともなった安念山(のち羽黒山)。この3関脇に、のちに新大関優勝を果たす若羽黒。彼らは立浪四天王と呼ばれて大いに期待された。しかし結果的にはあと一歩伸び悩んで上の地位に届かなかった。 羽黒山晩年 昭和40年代、四天王の時代は終わったが、まだ印象的な活躍が見られた。43年に若浪が吊り、打っ棄りのオンパレードでまさかの平幕優勝。44年、横綱大鵬を戸田(のち羽黒岩)が押し出して金星、45連勝でストップさせる。役力士がいなくなっても大仕事をやってのけて師匠を喜ばせたが、44年10月に横綱羽黒山の立浪は若くしてこの世を去った。後継は娘婿であり、2代目羽黒山を名乗っていた安念山が予定通り襲名した。 ピラニアとデゴイチ 昭和40年代後半から50年代前半にかけては、2人の個性派が活躍した。ピラニアと呼ばれたしぶとさが信条の相撲博士・旭国は、技能賞の常連で名大関として名を残す。一方、平らで巨大な額でぶちかます姿が機関車になぞらえられた黒姫山は上位キラーとして殊勲賞の常連となり、存在感があった。 嵐のように去った横綱 57年に黒姫山が引退し、岩波らも十両から陥落してついに関取不在に陥る。この窮地に登場したのが北尾だった。59年に新十両、新入幕と一気に駆け上がり、上位の壁も何のその。61年には横綱となり、偉大な部屋の2横綱から「双羽黒」と改めた。しかしムラの大きさが目立ち、なかなか優勝に手が届かないまま不祥事を連発。62年末に師匠と衝突して失踪、ついに事実上破門の廃業となってしまった。米櫃をコントロールできなかった立浪への批判の声も多かった。直後、ふたたび関取が不在となる。 学生出身力士が活躍 平成に入ると、大翔山、大翔鳳、高校教師から27歳で角界入りした智ノ花と立て続けに大卒の幕下付出力士が入幕。生え抜きの立洸も続いた。大翔鳳は敢闘賞3回、智ノ花は連続技能賞で三役を勝ち取った。11年に師匠が停年、旭国の大島部屋所属で養子となっていた旭豊が継承した。 継承で訴訟沙汰、部屋流転 旭豊は均整の取れた長身力士、マツケン似で角界の暴れん坊将軍として人気があった。貴乃花から金星を挙げるなど期待されたが三役に定着できず、継承も視野にあったのか10年限りであっけなく引退。姻戚関係もあって万全の継承のはずだったが、先代と金銭トラブルが発生。対立は激化し裁判にまで発展、年寄株に司法が値段を認めるのか注目された。関係は修復不可能で離婚となり、両国の部屋も引き払うこととなった。力士が人力で稽古場を取り壊していた姿が印象的である。現在は茨城のつくばみらい市という遠方に落ち着いた。しばらく関取も不在になっていたが、18年にモンゴル出身の猛虎浪が昇進。入幕したものの、23年の八百長事件で引退に追い込まれた。 ■現状・展望 引退の猛虎浪に代わって飛天龍が十両に昇進したが、すぐに陥落。依然厳しい状況が続いている。若い師匠の下、名門復活はなるだろうか。 師匠は貴乃花派への傾倒が明白になっており、理事選を機に一門から離脱。盟主の伝統を捨てて再出発を図る。
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