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二所一門 出羽一門 立浪一門
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二代目横綱若乃花が引退後に創設。二子山部屋の横綱・大関4人が独立したが、その一つである。 ■主な力士 (赤は現役。優は優勝、三は三賞、金は金星。) 幕内 大和、若ノ城、五城楼、若ノ鵬 ■四股名の特徴・その他 師匠の四股名から「若」がつくことが多いが、弟弟子の若嶋津の松ケ根部屋も「若」が多いため紛らわしい。そのためか、「若ノ〜」「若三〜」(大関時代まで名乗った若三杉から)という四股名も使われていた。 ■歴史 二子山後継候補から一転、独立へ 昭和53年、二子山親方の実弟・貴ノ花を追い越して横綱に登り詰めた若三杉。二代目若乃花幹士と改名、師匠の娘婿となるなど、一時は貴ノ花を差し置いて二子山の後継者候補となることが有力視された。しかしトラブルが続いて離婚、横綱としては本領を発揮できず58年に引退。間垣を襲名すると、その年のうちに独立することとなった。結局二子山の名跡は、平成5年に独立していた貴ノ花の藤島が襲名して部屋を統合した。 関取が次々誕生 昭和50年まで旧追手風系統の間垣部屋があったが、全く新たに興すこととなった。平成4年に若闘将、山中山が連続して関取となるが定着できず。平成7年にハワイ出身の巨漢大和、長身の若ノ城、五城楼が十両に。3人ともに9年に新入幕を果たす。しばらく定着して期待されたものの、病気や怪我もあって活躍期間は短かった。五城楼は前頭3枚目まで昇進、幕下陥落後も粘って幕内上位まで戻ったが怪我に泣いて17年に引退。浜風(のち濱風に改名)を襲名したが、一門の佐渡ヶ嶽部屋に移籍した。 期待の大器が... なかなか上位で通用する力士が現れなかったが、17年にロシア出身の若ノ鵬が入門する。外国人として最年少の18歳で十両に昇進、19歳で入幕を果たす。多々問題を抱えながらも順調に番付を上げ、部屋初の三役力士誕生は時間の問題と思われた。ところが20年8月に大麻所持で逮捕、解雇される。さらに23年の八百長事件では、長い序二段から戻ってきた苦労人の十両若天狼が引退に追い込まれて関取消滅となってしまった。 大器を置き土産に閉鎖 師匠は健康を害しており、25年3月に閉鎖。30年の歴史に幕を下ろした。師匠と所属力士らは貴乃花一派の部屋ではなく、伊勢ケ浜部屋に移籍。同郷の後輩横綱の部屋ということが関係したのかもしれない。間垣はその年のうちに退職してしまったが、有望株だった若三勝が移籍後に関取昇進。照ノ富士と改名して翌年には幕内上位に進出、間垣勢の最高位を更新している。
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